第7話 ④
旅に出ると決めた後、セリスはマーレンから色々な事を習った。しかし魔術に関する事はほとんど教えてもらわなかった。マーレンの体調がすぐれなかった事もあるのだろうが、意図的に避けていた節もある。
それは当然だろうとテミウは言う。魔術の起こりは神器なしで魔物に対抗するためのものだったそうだ。
「混沌たるウィドを人の手で操る事で魔物と戦う……だが魔物と魔術、どちらもウィドから生まれる点では同じだ」
そのため魔術師は、その二つが本質的には同じものだと考えている。
この世界の外側には混沌に満ちた始原が広がっており、世界とは始原に浮かぶ泡のようなものと考えられていた。始原に満ちる混沌は、時にこの世界へと染み出てくる。それが、ウィドの正体だ。
光と闇の二柱の神が調和と秩序で満たすこの世界において、混沌が長くとどまる事は出来ない。しかし混沌が消えるまでの間、調和と秩序は乱され続けるのだ。ウィドが形を成した魔物は必ず消滅するが、それまでの間に魔物は世界に仇をなし続ける。
「神器はその混沌を祓い、調和と秩序を取り戻す神の意志として遣わされるんですね」
「そうだな。魔砂は、魔物を成していたウィドが、神器によって調和と秩序を与えられることによって生じるわけだ」
そのため魔砂は魔物よりも長くこの世界に留まる事が出来る。それでも、長い時間をかけてゆっくりと消滅していくのだそうだ。そして、ウィドが形を変えた姿だからこそ、魔砂は魔術の燃料となる。
魔術とは、始原より引き出したウィドに様々な形や力を与えるものだ。テミウは手の平を魔砂を広げて、つぶやくように呪文を唱えた。黒い靄のようなものが立ち上り、それが複雑な動きで揺らめき、形を成していく。やがてそれは、小さな金属の針になった。
セリスはそっとそれを摘まむ。金属光沢をはっきりと見せるそれは、融けるように消えてしまった。
「混沌は全てを生むが何も残さんのだ」
しかし魔術には、物を作り、力を生み出し、さらには場所や時間を自由に行き来する事すら出来るものすらあるのだという。これこそ、神器のない人間が魔物と戦うために手に入れた技術であった。
魔術師はその身に、ウィドを引き出すための魔導図と、ウィドに形と力を与えるための魔術式を刻んでいる。袖をまくったテミウの二の腕には、親指の爪ほどの小さな入れ墨が施されていた。それはセリスも、マーレンの介護をしている時に見たことがあった。
「これ、マーレンの背中にあったのと同じですか?」
「師匠が同じだからな」
魔導図と魔術式、この二つが魔術を生み出す仕組みなのだが、始原から混沌たるウィドを引き出し制御する事が出来るのは、人が調和と秩序に満ちた存在だからだ。物や動物や植物に魔導図と魔術式を刻めば、制御できないウィドはすぐに魔物と化す。
人であっても、多くの魔術を使えばそれだけ多量のウィドに曝され、心身の調和と秩序を失う事になる。それが何を引き起こすかは、セリスも知っていた。
しかし魔導図によってウィドを引き出すのではなく、魔砂をウィドに戻す事で魔術を使えば、心身がウィドに曝される事は防げる。魔術師にとって貴重な魔砂を入手するという観点からも、聖堂にとって神器は重要な道具なのだ。
「君は記憶を無くしていると聞いたが、魔術師の弟子だった可能性はあるのか?」
「マーレンも気になっていたみたいなのですが……」
魔術師には誰もがなれる訳ではなかった。魔導図と魔術式を刻んでも、多くの人の場合一年ほどでその効力は消えてしまう。子供の方が定着しやすいため、魔術師が弟子を取る場合は幼い子供を選ぶ事が多い。
セリスも一度、マーレンに全身をくまなく調べてもらった事があるが、彼女の体には何かを刻まれた痕は見つからなかった。しかし、マーレンが魔術の気配のようなものを感じると言っていたのは覚えている。
テミウも同じようなものを感じるらしい。それが神器に由来するものなのかどうなのか、少し調べさせて欲しいと言った。
「魔術師は偉そうな事を言うが、実のところ分かっとる事なんぞありはせんのだよ」
申し訳ないと思っているというテミウの言葉に、セリスは首を振った。
「昨日の夜、アゼルと話したんです」
王都に行き、マーレンが紹介状を宛てた人物に会い、神器の事を知れば、それで何かが分かると思っていたと。だから王都には一刻も早く着かなくてはならないのだと思っていたと。
「でも、ここで思いがけずテミウさんに会う事が出来て」
自分達の知りたい事の全てを教えてもらえば、それで旅は終わりなのだろうかと。村に戻って、あの頃のように普通の生活できるのだろうかと。
「それは……多分、違うんです」
神器の事を知るとは、ただ単純にそれに関する知識を教わる事ではない。神器としてセリスがいかにあるべきかを知らなくてはならない。それは、セリス自身で知らなくてはならない事なのだ。
そのためには、回り道も寄り道も必要になるのではないだろうか。魔物の事も、他の神器の事も、彼ら自身で知らねばならない事はたくさんあるのではないだろうか。
「だから、あんたと話をしに来た」
アゼルはギストを見据えてそう言った。アゼルとして教えられる事は話す、代わりにギストにも色々と教えて欲しい、アゼルの申し出にギストも首を縦に振る。話の切り出し方を探すアゼルに、ギストが一つ謝らせて欲しいと言った。
「以前、私は魔物を見た事が無いと言ったが……あれは嘘だ」
幼い頃、ギストは魔物を見ていた。隊商の一員だった彼の両親とともに、ここよりずっと西の地方で魔物の襲撃を受けたのだ。隊商は壊滅し、わずかに生き延びた人達は近くの街に逃げ込んだ。彼はそこの聖堂に預けられる事となり、魔術師になったのだ。
恐ろしかった事だけはよく覚えている、ギストはそう言って口元を曖昧に歪めた。そして彼は、自分の魔術は果たして魔物に有効なのだろうかと問う。
「俺は、マーレンが魔物と戦っていたのをほとんど見ていないけど……村全体が震えるほどの魔術を何度も使っていたみたいだった」
「魔物と戦うための魔術という事か」
ギストはそうつぶやいた。人の目をくらませたり眠らせたりする魔術は、本来の役割ではない。だが、そういった魔術の使い方が増えている事も事実であった。戦乱の激しい地方では、諸侯が雇った魔術師が魔術を戦争のために使っているという話も聞く。今は聖堂に属さない魔術師も珍しくなく、彼らは積極的に自分達を諸侯に売り込んでいるという。
どのような魔術を使えるのかというアゼルの問いに、ギストは魔術師はどのような魔術でも使えるのだと答えた。ただし、きちんとした訓練をしなければ、大きな魔術や複雑な魔術は、発動まで時間がかかったり失敗したりする。普段、人を相手にした魔術しか使っていない魔術師がいきなり魔物と戦う事になれば、どこまで有効な魔術を使えるのか。確かな事とは言えなかった。
「対策を考えるにしても、魔物の力すらよく分からないのが現状だ」
魔物は決まった形をしているわけではない。むしろ、同じ姿をした魔物は存在しないといっていいくらいだ。ファロ村に現れた魔物は二本の足で歩いていたが、これからギストが赴く先の魔物は四つ足だという。
もちろん情報は錯綜しており、人のような姿をしていたという人もいれば、小型の動物のような魔物が複数いたという証言もある。ギストは帳面を取り出して、アゼルから改めてファロ村の魔物の話を聞き、姿や能力を詳しく書き留める。特に、遠くの物を吹き飛ばす叫び声は、アンリンの聖堂が所蔵している書物の中にも記されていない珍しい能力だった。
神器があれば勇気を持って立ち向かえるのだろうがというギストの言葉に、アゼルが視線を落とした。ギストはそれに気付かない様子で、聖堂の本来の役割は神器を管理し魔物を速やかに退治する事なのだと言った。
かつてはアンリンの聖堂にも神器はあったのだ。それがいつどうして失われたのかは、正確な記録が残っていない。だが、ギストがアンリンの聖堂に移ってくる以前から、新たな神器の探索は行われていたらしい。
「多分に、政治的な必要性からなのだろうが」
この言葉に含まれた憤りに、アゼルは気になっていた事を聞いた。
「もし神器が見つかったら、どうするつもりなんだ?」
「……私が? それとも聖堂が?」
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