第7話 ②

「……マーレンは詳しく教えてくれなかったのですけど、アンリンの聖堂は何が?」

「神器をいかに扱うか、その考え方がな」

 自分達の立場と大きく違うのだとテミウは言う。

 混沌たるウィドが形を成した魔物、人に危害を加えるそれを退治するために神が遣わす神器。その神器をあくまでも神の意志に基づいて扱うのか、人の意志に基づいて扱うのか。その部分に大きな違いがあるのだという。

 聖堂ごとにその立場は微妙に異なり、極端な話をすれば魔術師ごとに意見の相違はある。アンリンの聖堂では、神器を聖堂が管理し、聖堂が魔物退治を主導するという立場をとっているのだ。さらに魔物退治を、世俗の政治権力として行使しようという意見が強い。

 アンリンの聖堂は、先代の辺境公が蓄財に走り政治に関心を示さなかった事もあって、以前はアンリンの実質的な統治者として振る舞っていた。そのため今の辺境公とは微妙な関係であり、魔物という驚異に唯一対抗できる存在という優位な政治的立場を得るためにも、アンリンの聖堂は神器の存在を欲しているのだ。

 そのような所にセリスを連れてくる危険は避けるべきだとテミウは言った。彼女がどのような扱いを受けるか分からないからだ。

「神器がただの武器なら、最悪アンリンの聖堂に引き渡してでも、君達をこの件から遠ざけもするのだが……」

 その選択肢がない事は、最後までマーレンを悩ませたのだろう。テミウが嘆息とともにつぶやく。彼はコップの中身を飲み干すと、セリスを交えた上で改めて今後の事を話そうと言った。

 テミウは不思議な仕草で音消しの魔術を解くと、アゼルに昼食を取っていかないかと誘う。なかなかにいいものを出してくれるぞと、わざとらしい陽気さで言った。それを辞して、アゼルはテミウが滞在している部屋を出る。

 宿坊の入り口には、アゼルを待っていたかのようにギストがいた。アゼルは口元を引き締める。

「ニヴ師を訪ねて来たのかい?」

「ああ、マーレンの昔の知り合いだって」

 ギストはそれ以上何も言わず、代わりに今後の予定を聞いてきた。はっきりと拒絶すべきなのかどうなのか、アゼルは一瞬口ごもる。

「いや、別にいいんだ。私はまたしばらく街を離れる事になっていてね」

 その前に、セリスを交えて食事でもどうかと思ったのだと、ギストは笑って言った。警戒を態度に示したまま、アゼルは会釈だけしてその場を去ろうとする。ギストはアゼルを呼び止めた。

「まだ、何か?」

「すまない、回りくどい事をしてしまった。君に魔物の事を教えて欲しいんだ」

 これから彼が赴くのは魔物による被害が何件も報告されている地域なのだという。魔物の存在を確認し次第、聖堂は魔物を退治するための魔術師を派遣する事になっているのだという。

 その確認のために派遣されるのがギストなのだ。事前に少しでも情報が欲しいと彼は言った。文献ではなく、生の証言の方が貴重なのだと。

「街にも魔物の被害にあった人や目撃した人はいるのだが……」

 それを冷静に語る事の出来る人は少ない。ましてや魔物と戦った経験のある人など皆無なのだ。ギストの言葉に、アゼルは視線を落とす。

「俺も、話せる事なんてほとんど」

「わずかでもいいんだ、魔物と対峙し生き残った者の経験は間違いなく役に立つ」

 真剣な表情のギストに、アゼルは再び視線を落とす。唇を噛み、迷いをそのまま吐き出すように、ギストが出発する日を聞く。






「何日でも泊っていけばいいのに、とは言えないんだけどね」

 ターヤはいたずらっぽくそう言うと、アゼルとセリスを交互に抱き締める。何かあったらいつでも連絡するようにと言って、彼女は二人を送り出した。

 ターヤの勤めている仕立て屋を後にした二人は、昨日のうちに確保していた宿に向かう。仕立て屋の雑務をしていた老人が紹介してくれたところで、ファロ村に親族がいる人が営んでいる宿なのだそうだ。テミウから銀の粒を貰っていたのでそれを支払いに充てると、一番良い部屋に案内してもらえる。開け放たれた窓から差し込む光は穏やかで、風はほとんど吹いていない。

 昼食として出されたのは、蕎麦の粉で作った薄焼きのパンで挽き肉と豆の煮込みを包んだもの。リンゴの酒とともにそれを食べているところに、テミウがやってきた。足を引きずるような歩き方で部屋に入った彼は、挨拶より先に音消しの魔術をかけた。

 魔術をかける不思議な仕草に戸惑いながら、セリスは挨拶をする。

「はじめまして。私は、」

「聞いとるよ、セリス・ナノ君だね」

 セリスの挨拶を遮ってテミウは自己紹介をする。そして彼女の手をがっちりと握り締めた。

「会えて光栄だ、神の意志を携える者よ」

 テミウの真剣な態度にセリスは背筋を伸ばす。改めて挨拶をして、彼に椅子を勧める。早速アゼルが切り出した。

「セリスが神器なら、その、魔物を退治しなければならなくなるのですか?」

「いきなり、核心を突く問いだな」

 核心である以上その問いに他人が答える事は出来ない、そうテミウは言った。その前にまずは、きちんとセリスを調べなくてはならない。テミウは荷物の中から大きな袋を取り出した。

 中に入っていたのは真っ黒な砂。それには二人も見覚えがあった。

「魔砂……?」

「そう、流石に知っとるな」

 セリスのつぶやきにテミウはそう応じると、これは魔術の燃料のようなものなのだと教えてくれる。そして、魔術の事はどれくらいマーレンから聞いているのか尋ねた。

「ほとんど、何も」

「そうか……そうだろうな」

 他の道具を取り出しながらテミウはつぶやき、神器の事をはっきりとさせた上で、きちんと説明しなければなるまいと言った。

 複雑な模様が織り込まれた敷物を広げると、テミウはセリスにその真ん中に横たわるよう促した。彼女の周りに魔砂を盛った皿を並べ、蝋燭に火をつける。テミウは両手に魔砂を掴むと、口の中で呪文を唱え始めた。低く唸るようなそれは、人の声のように聞こえない。蝋燭の灯が微かに揺れたのは、窓から入ってきた風のせいではなかった。

 アゼルは部屋の隅でその様子を見守る。魔術については何も知識はないが、そこで何かが起こっている事は分かった。蝋燭の火が不規則に揺れ、魔砂は皿の上で不気味な動きを見せている。何より、横たわるセリスが淡く光っているのだ。

 それなのに、不思議と恐ろしさは感じなかった。ただ、静かな表情のまま目を閉じているセリスを心配に思うだけだ。

「くぁぁぁぁっ!!」

 テミウが出した突然の大声に、まどろみの中を漂う様な心地だったセリスも驚いて目を開ける。

 思い切り両の拳を突き出した格好のテミウが手を広げる。握っていたはずの魔砂は無くなっており、代わりに皿の上の魔砂が細く伸びあがってセリスへと向かってくる。しかし彼女が悲鳴をあげるより早く、魔砂は蒸発するように消えてしまった。

 ぐったりとしゃがみこんだテミウにアゼルが駆け寄るのを見て、セリスも慌ててテーブルの上の水差しを取りにいく。差し出された水を飲み干したテミウを助け起こして椅子に座らせた。

「大丈夫ですか?」

「いやぁ、久しぶりに大きな魔術を使ったものでな」

 アゼルもセリスも、魔術の使い過ぎが魔術師にどのような影響を与えるか知っている。二人の心配そうな顔に、テミウは魔砂を使って魔術を使ったので心身の調和と秩序が乱れる事はないと説明する。水をもう一口飲むと、大丈夫と言って二人に座るよう言う。

「神器の存在は間違いない」

 先ほどの魔術は、魔砂を疑似的な魔物へと変容させる魔術であった。セリスはそれに反応し、セリスの身から出た力は魔砂を消滅させた。これは神器の反応に他ならない。

 ただ、セリスの中に神器があるのか、彼女自身が神器なのかははっきり分からないと言う。マーレンも、その辺りについては大まかな推測以上の事はしていないようだった。きちんと調べれば分かるかもしれないが、ここでは無理である。

 テミウは、他の紹介状の宛先をアゼルに聞いた。神器について何らかの見識を持っている魔術師である事は間違いないので、名前を聞けば何か思いつく事もあるかもしれない。

「ネイ師とロヤ師か。厄介だな」

「そのお二人には何かあるんですか?」

「いや、ロヤ師は王都の郊外の大聖堂にいるはずだが、ネイ師がなぁ」

 数年前からどこかの諸侯に仕えだし、最近ではその行方が分からなくなっているという。

 テミウはこれからどうするのかを二人に聞く。マーレンの紹介状には、セリスが神器なのかどうかの確定を依頼するとは書いてあった。しかし、それ以外の事についてはテミウに何も頼んではいない。セリス達の今後の方針を聞いた上で、自分に出来る事があれば手伝おうとテミウは申し出た。

「どうって……」

 アゼルとセリスは互いに顔を見合わせた。沈みゆく日の最後の光が窓から差し込んでくる。

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