第7話  アンリンの聖堂

第7話 ①

 街壁に設けられた門には見張りの兵士が立っていた。門の上の櫓にも兵士の姿が見える。しかしその兵士達は、出入りする人間にさしたる注意を払っていなかった。

 もちろんその事は彼らにとって好都合である。外套をまといフードを目深にかぶった姿でも、見とがめられる事なく街に入れるのだ。五人の男達は雑踏をすり抜けながら、迷う事なく市街地を進んでいった。

 街はどこも人と活気に溢れ、居並ぶ商店には様々なものが所狭しと並んでいる。

「自由に出入りできるのだからな……」

 通行証の発行や通行料の徴収は、領主の重要な財源でもある。どの街でも普通に行われている事であり、アンリンでも以前は同じ事をしていた。むしろ、他の街の相場と比べても高額だと言われていたくらいである。それでも、戦乱を嫌ってアンリン辺境領に流れてくる人は絶えなかった。

 ましてや今は、街への自由な出入りが出来るようになったのである、人が集まるのは道理であった。人が集まれば物が集まり、物が集まれば金も集まる。アンリン辺境公の狙いは単純明快だ。

 男達は掲げられた看板に視線を向ける事無く、通りに面した建物の扉を開けた。テーブルと椅子が並べられ、数名の客が静かに談笑している。男の一人が主人に声を掛け、これで足りるかと小さな銀の板を差し出した。その店の主人はにこやかな表情で、五人の男を上階の別室へと案内する。まばらにいた客が、彼らに注意を向ける事はなかった。

「我らただ、王命のままに」

 ひざまずいて首を垂れる主人は、彼らの協力者である。十年ほど前からアンリンに定着し、様々な活動を続けている熟練の密偵だ。男達はファロ村に向かう前にも、ここでアンリンの聖堂の動向を調査していた。

 彼らは早速、ここ数日の間で聖堂に男女の旅人が来なかったかを聞く。主人は頭を上げて首を振った。

 聖堂は重要な監視対象であり、他の協力者とともにその動向は詳しく把握している。礼拝以外の用件で見知らぬ者が来れば、すぐに分かるはずだ。主人は、数日前に旅の老人が来た以外に、外からの来訪者はないと断言する。

「アンリンを避けた可能性は?」

「直前の集落までは足取りを掴んでいる。聖堂の魔術師らしき男が同行していた事も」

 アンリン以外では食料等の補給は難しい。旅を続けるのであれば、街を避ける可能性は限りなく低い。だが聖堂を避ける可能性はあるという主人の言葉に、男達は表情を歪めた。主人は腕組みをしながら、いくつかの提案をする。

「標的の顔は見られたので?」

「ああ」

「ならば人相書きの名人を呼びましょう。この街に標的の縁者がいるかもしれない、ファロ村と近辺の集落の出身者を当たれば何か手がかりも見つかるでしょう。後は、南の街道筋に先回りして監視もした方がいい」

 主人の提案に沿って男の一人が指示を出した。四人の部下の内二人を南に向かわせ、あとの二人には人相書きの作成と市街の探索を命じる。

 主人は、慌ただしく立ち去ろうとする彼らを押しとどめ、休息をとるよう勧めた。諸々の準備は明日の朝までに整えると言って、彼らを隣の棟の宿へと案内する。指示を出していた男は、自分の至らなさを指摘されたのだと気付き、主人に頭を下げた。

 主人は手を振り、代わりに気になっていた事を聞く。

「ゴーラン卿は、戻られなくていいので?」

「いや、既に予定の期限は過ぎている。一旦戻って、王へ報告せねばならない」

 彼は主人に、報告書をしたためるための道具を用意してもらうよう頼む。そして、聖堂に来たという老人の素性も調べておくように言った。






 アンリンの街は低い丘の上に築かれた城を中心として形成されている。中心街は丘の南側の麓であり、聖堂はそこに建てられていた。広い敷地を高い石造りの壁で囲い、その中に尖塔を備えた建物が何棟もそびえている。知らない人が見れば、こちらも城だと思うのではないだろうか。

 初めて見るその威容に、アゼルは口を半開きにしてキョロキョロと上を見ながら歩いている。周りにいる人も半分くらいはアゼルと同じように歩いていた。余所の土地からアンリンの来た人は多い。

 聖堂には礼拝以外の用事で訪れる人も多いため、入り口の周辺から人でごった返している。入り口には来訪者の案内をしている人が何人もいた。揃いの服を着ている人に、アゼルはある人を訪ねて来た事を告げる。その人が滞在している宿坊の場所を教えてもらった。

「私、その時いなかったんだよね」

 今朝確認すると、ターヤはそう言った。だが、先日訪ねて来た老人がいたのは間違いないらしく、来たという事だけ伝えてくれればいいと名前を言って帰ったそうだ。テミウ・リリテミ・ニヴ、それがその老人の名前だった。

 そしてその名前は、マーレンが書いてくれた紹介状の宛名の一人なのだ。遠く王都まで会いに行くはずの人が、向こうから来ている。一刻も早く会いに行かなくてはならない。

 旅装で街を歩く事はないとターヤが服を用意してくれていたので、アゼルはそれを着て聖堂に赴いていた。セリスも一緒に行ければよかったのだが、今日は一柱の神を祀る日で男性しか聖堂に入れないのだ。

 そのためセリスは、ターヤのいる仕立て屋に残っていた。ターヤが仕事に出ている間、一人で知らない街を歩き回る気にもなれず、さりとて何もせずにじっとしているのも性に合わず、セリスは仕立て屋の裏方仕事を手伝う事にした。住み込みで働いている人も多い店であるため、仕事には事欠かない。

 多くの人が出たり入ったりする中をバタバタと歩き回るセリスは、アンリンの街の活気を思い知ったような気がした。

「疲れたろう、少し休みなさい」

 店の雑務をしている老人が差し出した茶を口にして、セリスは一息入れる。そして素直な感想を述べる。

「ここは、毎日こんななんですか?」

 老人はハハハと笑い、今ではそうだと答えた。

 以前は街への出入りも厳しく制限されており、住民に対しては様々な名目で税や戦費の徴収等が行われていたのだそうだ。今よりも人は少なく、商売も活発ではなかった。

 しかも先代の辺境公はそうやって集めた金を使い渋る事で有名だったため、守銭公だの吝嗇公だのと言われていた。アンリンの街並みが整備される事もなく、周辺の街道や橋なども荒れるままに放置されていたのだ。

「今の辺境公は立派な方でね、そのおかげで街も立派になった」

 だから店も毎日繁盛していると、老人はまた笑った。そしてセリスに、アゼルと一緒にゆっくり街を見て回ればいいと言った。急がねばならない旅ではないのだろうと問われたので、セリスは曖昧に笑う。

 期限のようなものは無い旅である。だが、歩みを止めたり寄り道をしたりする事が出来る旅なのだろうか。セリスは立ち上がり、そっと自分の胸に触れる。

 あの日以来、神器が出現する気配はない。そこまで話すと、アゼルは大きく息をついた。テーブルの上のコップに口を付けると、甘い味の中に微かな泡と酒の匂いがする。

「リンゴの酒だよ、辺境公の好物らしくてね」

 私もここに来て初めて飲んだがなかなかに美味いものだなと、目の前の老人が言った。恰幅の良い体形に禿げあがった頭、ごく普通の老人といった感じだ。しかしその老人は、アゼルが見せた紹介状を読むと、部屋に音消しの魔術を施した。マーレンの紹介状には、宛名本人にしか読めない魔術が施されている。

 その老人、テミウ・リリテミ・ニヴは改めて自己紹介をすると、アゼルにこれまでの経緯を説明させた。彼もかいつまんで話したはずなのだが、窓の外の日は随分と高くに上がっている。

「しかし、まさかそのような事になっていようとは……」

 マーレンの弟弟子であるというその老人は、つぶやくようにそう言うと腕を組んで視線を宙に彷徨わせる。

 テミウは、マーレンの所蔵していた書籍の一部が隊商の手によって彼に届けられた事から、何か起こったに違いないと考えて王都からはるばるここまでやってきたのだ。だが、彼女の死自体は予期していたにしても、それ以上の事態になっているとは思いもしなかった。

「明日はセリスを連れてきます。そしたら、」

「待て待て、私が出向く。この聖堂ではまずい」

 アゼル言葉を遮って、テミウはそう言った。

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