第6話 ⑤

 空堀の向こう側には土を頑丈に突き固めて作った壁が続いている。アンリンの街は、大部分がこの堀と街壁に囲われているのだ。門に当たる部分は石造りで、櫓になっている場所には兵士の姿が見えた。街に出入りする場所はいくつもあり、主要部分は夜でも門を閉じないのだという。アゼル達の目の前にあるのは北側の小さな門であり、日暮れとともに閉じられるので、周りの人も急ぎ足になっていた。

 門をくぐると、目の前に街が開けた。アゼルとセリスは思わず声をあげる、これほどたくさんの建物を見たのは初めてなのだ。言葉にならない驚きを口から零しながら、二人はゆっくりと視線を巡らせた。

 アンリンの街はなだらかな丘の上に築かれた城を中心に形成されている。辺境公が住まうそこは高い城壁と尖塔が特徴的で、街壁近くのここからでもはっきり見る事が出来た。

「あっち高い建物は?」

「あれがアンリンの聖堂です」

 街中のひときわ高い建物を指さしたセリスに、ギストは何事もないように答える。そして、今晩はそこで過ごせばいいと言った。アンリンの街は宿も多いが物価も高い、今後の旅を考えれば節約できるところは節約すべきだと。

 アゼルとセリスは顔を合わせる。ギストの言う事はいちいちもっともだが、彼らにも当てがないわけではなかった。

 ギストは別段しつこく二人を招く事なく、困った事があればいつでも聖堂を訪ねるように言う。手を振りながら街中に消えて行こうとするギストを、アゼルは退き止めた。そして、荷物の中から木札を取り出し、そこに書かれている場所を教えてもらう。

「ここであってるはずだ」

 看板に書かれた仕立て屋の文字を読んで、アゼルはつぶやく。初体験の雑踏に難儀しながら、二人は木札に書かれていた場所にたどり着いた。二階建ての大きな建物に気おされ、扉を手において一呼吸した。内側から勢いよく開いた扉に額をぶつける。額当てが無ければこぶでも作っていただろう。

 大丈夫ですかと出てきた人に用件を伝えると、店頭ではなく裏手に回るように言われた。建物だけでなく敷地も広かったため、裏手に回るのも苦労する。裏口をくぐって、改めて用件を伝える。

「アゼル! よく来たわね」

 彼より少し年上らしい女性が現れ、慣れた様子で彼を抱きしめる。栗色の髪を結い上げ、質素だが良い服を着ている。驚いた顔をしているセリスに、その女性は丁寧な仕草で自己紹介をした。

「ターヤ・ナノ。私も、マーレンのところにいたわ」

 女性は水を入れた桶と手拭いを用意してくれた。荷物を下ろして旅装を解くと、手足と顔を拭く。テーブルと椅子の並んだ広間の一角に腰を下ろし、セリスも自己紹介をした。ターヤは既に、セリスの事を知っていた。

 ファロ村にも、アンリンとの定期的な行き来はあるので、時折手紙のやり取りをしていたのだ。マーレンの死もターヤには報せてある。色々と苦労があっただろうと、彼女はねぎらいの言葉を掛けてくれた。

 出された茶は初めての味がする。熱いそれを少しずつ口にしながら、セリスはアゼルとターヤの話に耳を傾ける。二人は小さい時から一緒に育てられた仲であった。

 マーレンの家の決まりで村を出るにあたり、ターヤはアンリンの仕立て屋が針子を探しているという話を聞いてやって来たのだ。以来彼女は、住込みで仕事をしていた。アンリンの街に来て、もう三年になる。

「それにしても、来るなら手紙を寄こしなさい」

「準備とか、ばたばたしててさ」

「まぁ、いいわ。泊まる場所決まってないんでしょ? 女将さんに掛け合ってあげる」

 しばらくして、ふくよかな婦人がにこやかな表情でやってきた。この仕立て屋で、針子達を束ねている女性だった。宿屋のような事はできないが、寝る場所の提供くらいなら出来ると言ってくれる。

 セリスが礼を言っている横で、アゼルはターヤに耳打ちした。

「お金は、どれくらい出せばいい?」

「それくらい、お姉さんが出してあげるわよ」

 最近は忙しくて、上がった給金の使い道がないのだと言って笑った。夕食も食べさせてくれるそうだ。先ほどから漂っていたいい匂いの正体だろう。広間は食堂で、ぞろぞろと人が集まってくる。

 ライの粉で作った種ありのパンにはバターとチーズ、そして炒った木の実と刻んだ干し果物の和え物が添えられ、練ったひき肉の団子と葉野菜のスープには溶いた卵も入っていた。村なら特別な時に出てくるようなものだ。ターヤは二人に、私も初めは驚いたと言う。

 この仕立て屋は針子だけで十人以上を雇っている大きなところで、アンリンの人口が増えている事もあってとても繁盛しているそうだ。ターヤのように住込みで働いている人も多い。

 アゼル達のような来客は珍しいのか、色々と話しかけられた。しかし彼らにとっては、アンリンの街の様子の方がよほど珍しい話題だ。

「セリスちゃんは、私の部屋ね」

 そういって通されたのは、三階のターヤの部屋。建物の一階は店舗と広間や台所などの水回り、二階は作業場、住込みの人達は三階に部屋を与えられている。その部屋は十分に広く、掃除も片付けも行き届いていた。ベッドを譲ろうとするターヤの申し出を固辞し、セリスは敷物を床に広げる。

 獣脂の蝋燭の火が淡く部屋を照らしていた。ベッドに腰を掛けたターヤが、セリスの着ていた上着を手に取る。その裏地を見ながらマーレンの縫い目だとつぶやき、針仕事はあまり得意ではなかったのにと笑った。

「大変な役割を任せるんだもの、服の仕立て直しくらいは当然か」

 それからターヤは、ファロ村での事、特にアゼルの子供の頃の事を色々と語ってくれた。

「あいつ、カッコつけだから小さい頃の話とかしないでしょ」

「でも、私が村に来た時から、ずっと良くしてくれてます」

「……惚れてるね」

「!?」

「カッコつけのくせに意気地がないから、セリスちゃんが引っ張ってやってよ」

 女二人がそんな話をしている時、アゼルは案内された階段下の小部屋にようやく落ち着いた。中の片付けをしてくれた老人に礼を言う。

 仕立て屋の雑務をしているというその老人は、いやいやと首を振った。もともとしなくてはならなかった事を先延ばしにしていただけなので、丁度いい機会だったと笑う。雑務もいろいろと立て込んでおり、不急の仕事はどうしても後回しになるのだ。

「お忙しいんですね」

「ええ、辺境公の代替わり以降、人も増えましたし街も大きくなりました」

 当然、服の需要も増え仕立て屋の仕事も忙しくなる。針子にも他の仕立て屋から引き抜きの声がかかるほどで、この店でも給金を上げたり食事を良くしたりと努力しているのだという。アゼル達を泊めてくれるのも、ターヤに対する配慮なのだ。

「遠くから来られた方なのに、こうして訪ねてくれる人が多いというのは良い人ですよ」

 老人は先日もターヤを訪ねて人が来た事を教えてくれた。ずいぶんな老人で、彼女の育ての親の知り合いだったそうだ。アゼルはその人の事を聞く。

 老人の話によると、その人はしばらく聖堂に滞在し、ファロ村に向かう役人や隊商を見つけ次第、アンリンの街を出発する予定だそうだ。明日、ターヤに確認を取り次第、聖堂に向かう必要があるだろう。

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