第6話 ④

 畑や放牧されている羊などの家畜の姿が散見されるようになっている。アンリンまであと少しの所まで来ていた。ギストは振り返って、今日はこの先の小さな集落で宿を求めようと言った。久しぶりに屋根の下で眠れるかもしれない、セリスはほっと息をつく。

 ギストと同行すること数日、彼はセリス達の足に合わせてゆっくりと進んでくれているのだろう。街道筋の歩きやすさもあって、疲れはそれほど感じていない。アゼルの傷も治りは早く、旅路は順調だった。セリスは、後ろのアゼルに目を向ける。

 その目は、警戒心を解いていないと如実に語っていた。

 セリスとしてもアゼルの警戒心はもっともだと思うが、この数日の間ギストが二人を詮索する事はなかった。もちろん、ギストが何を考えているかを説明する事もなかったが、少なくとも敵ではないと認めてもいいのではないだろうか。昨日の晩、そんな事をアゼルに話してみたのだが、納得はしてくれなかった。

「聞きたい事があるんですけど、いいですか?」

 後ろのアゼルの視線を気にしながら、セリスはギストに話しかけた。涼しげに微笑んで見せる彼に面食らいながら、彼女は気になっていた事を聞いた。

「あの霧の魔術は人に対して使っていいものなのですか?」

 魔術で人に危害を加える事は禁忌だと、マーレンは言っていた。あの魔術はどのような扱いなのだろうか。人を助けるためであれば許される場合もあるのだろうか。

「あれは、私が使った魔術の中にあの者達がたまたま入り込んだだけですよ」

 あの襲撃者を狙って魔術を使ったのではなく、魔術を使ったところに襲撃者が来ただけなので、禁忌には触れない。微笑んだままそう言ったギストの答えは、セリスには予想外のものだった。

 理屈は分かるし、それでアゼルが助けられたのも事実だ。だが、癒しの魔術ですら滅多に使わなかったマーレンとこの男では、根本的に考え方が違うようだ。ギストの横顔に視線を向けたまま、セリスは今の答えが質問への単なる返答ではない事を感じる。

 ギストは、まだ青年と呼んで差し支えないくらいの年齢だろう。その旅慣れた立ち居振る舞いや自信に満ちた物腰からは、セリス達を軽んじている節も感じていた。もちろん二人は未熟な旅人であり、ギストから見れば笑ってしまう様な事もしているはずだ。

 だがギストは、そんなセリス達を軽んじていた訳ではない。禁忌を守り魔術に頼らず、辺境の村でひっそりと暮らしていたマーレンの考え方を軽んじていたのだ。ギストの理屈であれば、魔術で人に危害を加える事は簡単であろうし、実際に時と場合によればそれを厭わないのだろう。

 ギストを見つめたまま、セリスは小さく唇を噛んだ。これはアンリンの聖堂の考え方なのだろうか。その考え方では、神器はどのように扱われるのだろうか。

「セリス」

 急に呼びかけられて、彼女は肩を震わせた。警戒心丸出しの不機嫌な表情をしたアゼルが手を引いて、彼女をギストから引き離した。

 アゼルの警戒は過剰だと思うが、セリスは別の意味でギストを警戒しなければならないと感じていた。マーレンがアンリンの聖堂との接触を避けていたのも、その考え方の違いを警戒していたのだろう。

 そんな二人の様子に気付いているのかは分からないが、ギストは特に表情を変える事無く集落が見えてきたと指をさしている。数軒の民家が寄り集まっているのが見えた。

「いいえ、ありがとうございます」

 村の片隅にある共同の物置小屋を整理して、三人が横になれる場所を作ってくれた村人に礼を言う。銅貨を渡すと夕食も分けてもらう事が出来た。火を焚く事が出来ないので、ギストが蝋燭を取り出す。高価な蜜蝋製のものだ。

 ギストの持っている食料も高価なものが多い。聖堂はお金持ちなのだなと思いながら、アゼルは蝋燭の炎を見る。セリスに先に寝るよう言った。

「朝に出れば日暮れ前にアンリンに着く」

 アンリン周辺の集落は安全だと、ギストはアゼルにも寝るよう勧めた。アゼルは首を振って、炎の向こう側の男を見据える。セリスの言う通りかもしれないが、警戒するに越した事はない。

 もちろん、ギストと対峙してアゼルにどれくらいの事ができるかは分からない。それでも、アンリンの聖堂から神器の事を探りに来た男を、完全に信用する気にはなれなかった。

 もし信用のできる相手であるのなら、マーレンが協力を求めただろう。そうしなかった理由をはっきりとは教えてもらっていないが、アゼルはマーレンがアンリンの聖堂に協力を求めなかったという事実の方を信用する。

 不意にギストが話しかけた。

「魔物とは、どのようなものだったんだい?」

「……どのような、って」

「私は見た事が無くてね」

 アラタシア王国の崩壊後、魔物の出現頻度は増加している。各地の戦乱が小競り合いに終始しているのも、諸侯が魔物対策に追われているという面があった。しかし、辺境の地に行けば行くほど、魔物は出現しなくなっていくと言われている。実際、アンリン辺境領でもケレタロン領と接する南側では幾例かの魔物が報告されているが、ファロ村のある北側ではあの魔物が初めての出現であった。

 ギストは長い間北側の地域を巡っていたため、魔物を見た事が無いのだという。恐ろしいものなのかという問いに、アゼルは沈黙した。あの恐怖は、言葉では掬いきれないほどの量だと思う。彼はセリスに視線を向けた。

 そんな恐怖を未だに覚えていながら、アゼルがそれに怯えずにいられるのは、セリスと彼女が差し出したあの剣のおかげだ。彼が神器という途方もない話を素直に信じられるのは、魔物の前であの剣を手にしたからだろう。

「あれは……体験しないと分からないものだと思う」

 あの剣で魔物を倒した時の感覚はほとんど覚えていない。アゼルは自分の両手をじっと見つめる。

「魔物に剣を突き立てた時は、どんな感触だった?」

「突き刺さりもしなかったよ。思い出すと、手が震える」

 アゼルは苦笑いを見せて両手を握る。ギストの表情は良く見えないが、いつものように涼しげに微笑んでいるのだろう。アゼルは逆に尋ねた。

「神器を手に入れたら、アンリンの聖堂は魔物退治をするのか?」

 その問いにギストは答えなかった。彼は先に眠らせてもらうと言って横になる。ここが安全であると示すように、彼は長靴を脱いでいた。

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