第6話 ②

 草は腰くらいの高さまで伸びている。そこを踏み分けるようにして、なだらかな斜面を下りながら、セリスは何度も振り返る。先ほどアゼルの声が聞こえてきたので無事なのだろうとは思うが、彼女自身はどうすればいいのだろうか。ぽつんと立っている低木に手をついて、息を整える。

 追い剝ぎ、野盗の類であれば、生け捕りなど考えないだろう。あの者達は、明確に彼女達を狙っていた。それは、彼女達がただ辺境の村を出発しただけの旅人ではない事を知っているという事だろう。

 セリスはようやく治まってきた鼓動を確かめるような仕草で、胸に手を当てる。彼女の中にあるという神器、それを狙う者がもう現れたのだ。

 低木の幹に拳をぶつけ、セリスは落ち着こうとする。彼女にはアゼルを手助けできる具体的な方法がない。下手に近づけば、アゼルの足を引っ張る事にもなるだろう。

「だからって……」

 このまま身一つで逃げてどうなるのか。頭の中に、何一つ考えが浮かばない苛立ちを、セリスは再び低木の幹にぶつける。枝の方でガサガサと動物が動く音が聞こえた。セリスが覚悟を決めようと息を吸い込んだ時、再び物音が聞こえた。

 咄嗟に屈んで、低木の幹に身を隠す。暗闇の向こうで草が揺れているのが見える。セリスは息を潜めた。

 男が一人、無造作に現れる。セリスには、暗闇の中に辛うじて見えたその顔に見覚えがあった。男もセリスがそこにいる事を分かっているのだろう、敵対の意志がない事を示すような身振りで、幹の裏側にいる彼女に声を掛ける。

「セリスさん、だね? アゼルくんを助けたい、案内できるか?」

「……」

「警戒するのはもっともだが、今がその時かを考えて欲しい」

 セリスはその男の前に出る。アンリンの聖堂から砂状になった魔物の残骸を回収に来た男、手にした小さな灯りが短い銀髪を照らしていた。セリスが言葉を発しようとすると、男はそれを制する。移動しながらだと言って、セリスを促した。

 元来た道を、セリスは小走りで戻る。だいたいの方向を覚えていたので、暗い中でも何とかなった。セリスが後ろをついてくる男に説明を求めようとしたところで、アゼルの声が聞こえた。

 ホッとした表情を見せたセリスの肩に手を置き、男はその場に留まるよう言う。彼は声のする方へ、一気に駆け出した。再びアゼルの大きな声が聞こえる。

「うぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 大きく足を踏み込んで、アゼルは長剣を横薙ぎに振るう。傷のせいか疲れのせいか、長剣の重さをはっきりと感じる。それを打ち消すために声を出した。自分を鼓舞し、敵を威嚇するために出す声。戦場で生き残るのは声の大きな奴だ、師匠の教えを守って声を出す。

 生け捕りが目的の敵は積極的に踏み込んでこない。この状態を続け、じわじわとアゼルの体力を削っていけばやがて疲れて動けなくなるという作戦だろう。囲みを崩さなくては埒が明かない。

 大きく振りかぶった長剣を思い切り振り下ろす。簡単に避けられた斬撃は地面に食い込み、アゼルの動きが一瞬止まった。すかさず飛びかかってくる一人に、アゼルは腰の鞘を逆手に握って思い切り打ち付ける。

 予想外の攻撃が顎に入り、その相手の膝がぐらついた。さらに追撃の蹴りを食らわせ、アゼルはその相手を踏み越えて囲みを抜け出した。そのまま走って逃げる。

 しかし背後からの強い衝撃を右肩に受けて、体勢を崩してしまった。膝をついたまま、突き刺さった矢を引き抜く。再び投げ矢を受けたのだ。先ほどと同じ展開に、アゼルは歯噛みする。わずかな光しかない暗がりでも正確に投げ矢を命中させるのだ、後ろの男の腕前は格段に上だ。

 奥歯を噛みしめて痛みに耐えるアゼルは、視界の霞みを涙のせいかと思った。そんな弱気を振り払おうと、声を出すために大きく息を吸い込む。その時、いつの間にか周囲に白い霧がたちこめている事に気付いた。暗闇でも白く見える奇妙な霧。

 周囲の男達も、アゼルと同じ動揺を受けているらしい。しかし、その姿もあっという間に見えなくなり、声しか聞こえなくなった。

「うわぁっ!?」

 突然足首を掴まれ、アゼルは声をあげる。耳元で静かにするよう強く言われ、そのまま何者かに手を引かれて霧の中を小走りで進んでいく。

 ようやく視界が晴れると、そこは野宿をしていた場所だった。何が起こったか分からないまま、アゼルは周囲を見回す。背後にはまだ白い霧がたちこめている。

 しかし、岩場の向こうからセリスが飛び出してきたのを見て、アゼルもようやく危機を脱したらしい事を理解する。その飛び出してきたセリスは、抱き着くより早くアゼルの傷に気付いた。慌てて傷の手当てを始めようとするのを、霧の中から現れた銀髪の男が制する。

「とりあえずの血止めだけにしてくれ。私の霧が晴れる前にこの場を離れたい」

 見覚えのあるその男の声は、先ほどアゼルが霧の中で聞いた声だった。有無を言わさぬその言葉の調子に、アゼルは布と包帯だけを受け取り、セリスには荷物をまとめてもらうよう言った。

 広げた荷物をまとめている時、セリスはようやく自分が靴も履かずに逃げていた事に気付く。

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