第6話  襲撃者と追跡者

第6話 ①

 藪を抜けると視界が開ける。小高い丘からは行く手がよく見渡せた。アゼルは手をかざして遠くを見る。

 丘のなだらかな斜面に沿うように下っていけば、アンリンの街へと延びる街道がある。きちんと整備されているわけではないが、隊商が利用する道であり、比較的安全で楽に歩ける道だ。

 しかし彼らは、アンリンの街には入らないつもりであった。どこかで街道を外れ、アンリンの周辺の集落をたどりながら南を目指す予定だ。地図を畳んで、アゼルは後ろにいるセリスに声を掛ける。

「ここまでは師匠と来た事があるんだ。その時に野宿したところまで行こう」

 セリスは深く息をついて、無言でうなずいた。無理をしない速度で歩いてはいるのだが、体が旅に慣れるまでは、もう少しかかりそうだった。アゼルも同じだろうが、やはり男女の体力差なのか、彼の方が足取りも軽い。水を一口飲むが、皮の水筒はもう残りがわずかになっている。

 天気は良く、丘の上から見える木立の点在する草原が広がる景色は、きっと美しいものなのだろう。それを味わう余裕がないのがうらめしい、セリスはそんな事を思いながら足を進める。

 丘を回り込むように斜面を下っていくと、急に小さな崖が現れた。アゼルが手を振っている場所にたどり着くと、岩の隙間から水が湧き出している場所があった。

「あっちに乾いた岩陰があるから、そこで今日は休むつもり」

 アゼルの言った岩陰に荷物を下ろすと、その場の地面を整えて野宿用の織物を広げた。二人は食事の準備に取り掛かる。

 水を汲み、薪を集めて火をおこす。鍋を火にかけて干し肉を煮出し、固焼きの雑穀パンを割り入れる。塩をほんの少し加え、摘んできた野草とその膨らんだ根も入れる。パンがぐったりと崩れた頃合いで、椀によそう。

 温かいものを口にして、ようやく人心地ついた。岩に背をもたれ掛けさせ、二人は並んで暮れてゆく空を見上げる。沈みゆく日に空の色が刻々と変わっていく。

 アゼルはセリスの具合を聞いた。今日は速く歩きすぎたかもしれない。彼女への配慮が疎かになっているという事は、それだけ彼自身も余裕がなくなっているという事である。明日は少し出発を遅らせる事に決めた。

 アゼルは焚火に薪を足す。外套に包まったセリスに長靴を脱ぐように言った。ほんの少しでも、寝心地が良いだろう。

 暗闇の中に聞こえるのは、薪のはぜる音と風が草木を揺らす音、そして思い出したように鳴きだす鳥の声。焚火の揺らめきが見せる陰影は、セリスの寝顔をはっきりと見せてはくれない。彼女の顔の上を踊る影をぼんやりと見つめていると、アゼルも眠くなってくる。

 体を動かそうと立ち上がった拍子に、立てかけていた杖が倒れた。それが傍の石に当たった音は、静かな夜には不釣り合いなほど響く。アゼルは身構えた。

 杖が倒れて音を立てた瞬間、すぐ近くで何かが動いた音もしたのだ。

「……アゼル?」

「ごめん、セリス起きて」

 小さな声でそう言うと、アゼルは焚火を踏み消した。同時に飛び出してくる者が見える。暗闇に慣れきっていない目にも、四つの人影が確認できた。セリスを背に庇うようにして、長剣に手をかける。

 岩を背にしているアゼル達を扇形に囲み、四つの人影は無言のままじりじりと距離を詰めてきた。フードを目深にかぶったその人影は、友好的な相手ではないのだろう。武器は構えていないように見えるが、長い外套の下までは分からない。アゼルはようやく慣れてきた目で、視線を巡らせる。不意に頭上から声が聞こえた。

「生け捕れ!」

 背にしている岩の上にも人がいた。反射的に振り返ってしまい、敵に飛びかかる好機を与えてしまう。アゼルは長剣を抜き放って、一気に薙ぎ払った。それを避けて飛び退った敵の一人に目掛けて、アゼルは追撃の突きを繰り出す。

 金属のぶつかる高い音が響いた。

 小手の金属部分と小剣で器用に突きをさばいた敵に、アゼルはそのまま当身を仕掛ける。その敵と一緒に転がりながら、アゼルは叫んだ。

「逃げて!!」

 綻んだ囲みからセリスが抜け出す。岩の上の男に、アゼルは落ちていた石を掴んで投げつけた。一瞬でも牽制になればと思ったそれが、きちんと命中したのは幸運だった。苛立たしげな声とともに、もう一人の男が岩から降りてくる。立ち上がって長剣を構え直したアゼルは、集中力を周り全体に広げる。

 アゼルを取り囲むのは四人、岩から降りてきた男はその後ろ側にいる。相変わらず敵は武器を見せず、ゆっくりと囲みを狭めようとしている。アゼルは大きく息を吸い込むと、腹の底から声をあげる。

「名を名乗れ!!」

 遠くの鳥が驚いて飛び立つほどの声。アゼルを囲んでいる四人も動きが止まる。後ろにいた男は、石をぶつけられた頬をさすりながら舌打ちをした。

 狙っている物を持つのがどちらか分からない以上、双方を確保するしかない。暗闇の中で逃げた女を追うよりは、目の前の男を捕らえる方が確実だと思ったのだが、厄介な相手かもしれない。男はそう考えると、その相手を見据えながら武器の使用を命じる。

 先ほどの攻防で、相手が田舎農夫の喧嘩剣法ではない事は分かった。もちろん一対一にこだわる貴族の剣術でもない。周囲の全てに意識を向け、常に自分と仲間が動ける場所を確保し続けようとする動き。生存最優先の傭兵の戦法だ。後ろの男は自分の武器も抜いた。囲みを抜けようとする動きを牽制するためだ。

 暗闇の中で輝きもしない剣が、殺気だけを放って揺らめいている。

 アゼルは足を引いて体を回転させるように長剣を薙いだ。背後から間合いを詰めていた敵の眼前を、その切っ先が通過する。咄嗟に下がって距離を取った敵に代わって、左右から二人が同時に迫ってきた。繰り出された小剣を地面を転がるようにしてかわし、踏みつけてくるもう一人の足を受け止めて逆に転ばせる。

 囲みを一瞬崩す事は出来だが、逃げ出す事は出来なかった。アゼルは右の二の腕を押さえて、向き直る。後ろにいた男の投げ矢がアゼルの腕を掠めていた。

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