第5話 ⑤

 葬式も埋葬も、マーレンは事前に色々と手配していた。村の人にも様々な依頼をしていたようで、アゼルもセリスも何か特別にしなくてはならないような事はなかった。全てが滞りなく終わり、あとは家の片付けが残るくらいだ。

 アゼルはディカルダが吸っている胸の薬を届けに出掛けた。家に残っていた最後の物だ。よく使う簡単な薬は、マーレンが薬草の見分け方や調合の方法を書き残してくれていたが、この薬はもう入手できなくなるだろう。ディカルダも、その事は分かっていた。別になくても死ぬようなものじゃないと言ってくれる。

「出発はいつにするんだ?」

「春。酒鞠追いが終わってからにしようって、セリスと決めた」

 これから冬を迎えるので、それが明けてからという判断だ。もう少し居られるなとディカルダは言い、剣の稽古も最後の仕上げに取り掛からんとな笑った。最近のアゼルは今までより一層熱心に剣の稽古をしている。

 それだけでなく、旅の訓練としてディカルダとともに十日ほどの遠出を何度か行っている。疲れにくい歩き方から負担の少ない荷物の持ち方、自分の体の調子の見極め、雨を凌ぐ方法、野宿を行う場所の探し方。知らなくてはならない事がたくさんあり、時間はたくさんなかった。

 そのため、ディカルダも厳しく応じていた。容赦なく叱責し怒声を浴びせ、アゼルの体に生傷が絶える事はなかった。それでも彼は懸命に習った。

 セリスの決心を聞き、彼女についてきて欲しいと言われる前から、彼の心は決まっていたから。それはきっと魔物が現れ、セリスから神器を手渡された時から決まっていた事なのだから。

「しかしマーレンさんは、遠い所から来たんだなぁ」

 アゼルとセリスは、マーレンの髪を生まれ故郷に埋葬するという名目で旅に出る事になっていた。神器に関する話はディカルダにもしていない。

「故郷の風習だというし、マーレンさんからもよくよく頼まれはしたが……」

 同じ話を村長もしていた。家を訪ねてきた村長に茶を勧め、セリスはお礼の言葉を述べる。残される三人の子供は、村長が引き取ってくれる事になっていた。リノンもナギもヤナンも家の事は当然出来るし、読み書きも少しは出来る。三人を引き取るのは、逆に助かるくらいだがと村長は言うが、それでもと続ける。

「ここで二人で所帯を持つ気はないのか? 畑なんかも村で少しは融通もできる」

 北の辺境であるこの地方でも、傭兵の襲撃や魔物の出現があったのだ。戦乱の収まっていない地方や治安が極端に悪い地域、魔物が頻繁に現れる場所もあるという。当然、命の保証などなく、生きて再びファロ村に戻って来られるかなど分かりはしない。村長の心配そうな表情に、セリスは頭を下げる。

 自分達を心配してくれている人達に、本当の事を隠している痛みを感じながら、彼女はもう一度お礼を言った。セリスと神器の事を多くの人に知られるわけにはいかないのだ。

 神器を探している者は多く、その者達が例え魔物を倒すという共通の目的を持っているとしても、その目的のために神器をいかに使うかまでは分からない。それはセリスがいかに扱われるか分からないという事である。

 聖堂の祭壇に丁重に祀られるのか、魔物との戦場に駆り出されるのか。どのような扱われ方であっても、他者が扱う以上、そこにセリスの意志は無い。

 他の誰かに勝手に扱われないためには、セリス自身が神器の扱い方を知らねばならない。自らに遣わされた神器のあり様を知り、その正しい使い方を彼女自身で決められるようにならねばならない。

 だから、それを知るための旅に出なくてはならないのだ。

「マーレンの最後の願いですから」

 セリスの言葉に、村長はため息を一つついて立ち上がった。丁度帰ってきたアゼルに、明日の仕事の段取りを伝えると、村長は軽く手を挙げて帰っていった。

 そんな風に時折村人からの訪問を受けながら、ファロ村での最後の冬は過ぎていく。見よう見まねで作ってみたトッサムはものの見事に腐らせてしまったが、それ以外は何事もなく穏やかな日々であった。

 年が明け、寒さも緩んでくる頃には、家の片付けもすっかり終わっていた。マーレンが持っていた魔術に関する本は、隊商が来た時に売り先を指定して買い取ってもらっている。家財道具も少しずつ人に譲るなどして、今では最小限のものしか家にはなかった。広くなってしまった家で、アゼルとセリスは最後の身支度を整える。

 魔物の出現で、昨年は開催の出来なかった村祭りを今年は盛大に行うのだと聞いた。それに先立って行われる酒鞠追いを、アゼルは見事優勝で飾っている。ゲランとの正々堂々の勝負。ファロの木の直前で繰り広げられた最後の酒鞠の奪い合いは、後々までの語り草になるだろう。

 勝者に贈られる花の冠は家の壁に掛けられていた。まだ寒いうちから咲き始めるその花を、村の若い女性が摘んで乾燥させて冠に編むのだ。その赤い色が、寂しげな家を少しだけ華やかにしていた。

 祭りが終わってからにすればいいという村人の申し出を断り、二人は今日の出発を決めたのだ。

 アゼルは金属の板で補強された革の額当てを付ける。同じように金属の補強板が取り付けられた革の胸当てに小手、足には丈夫な長靴を履いている。この日のためにあつらえてもらった物だ。中に着ている服も高価な布地を買い求めて仕立てたものだった。

 腰に帯びる長剣は、ディカルダから貰ったもの。鞘も柄も簡素だが装飾が施されており、とても立派なものだった。ディカルダが何かを言ったわけではないが、とても大事にしていたものだという事だけは分かる。だから、アゼルも何も言わずにそれを貰った。

 セリスの服は、マーレンが着ていた魔術師の正装を仕立て直したものだった。生前のマーレンが自らの手で直してくれていたのだ。セリスは短くした髪を軽く撫でつけると、アゼルに小さくうなずいた。

 セリスの髪は、リノンとナギとヤナンのそれぞれに、旅の無事を祈るお守りとして渡していた。並んでいる三人の子供に、セリスは頬ずりをしていく。涙を浮かべている六つの瞳に、セリスは鼻の奥の痛みを耐えられなくなる。それを隠すように、見送りのために家に来てくれていた人に改めて挨拶をし、三人の事を頼んだ。

「さぁ、行こう」

 アゼルは旅の荷物が入った行李を背負い家の扉を開ける。朝の光が、眩しく二人を照らした。

 村の通りを抜けて、正門に当たる場所で一度振り返る。遠くの方でゲランが、腕組みをして立っているのが見えた。アゼルは彼に手を挙げてみせると、村の外へと踏み出す。ゲランもまた何も言わず、ただ手を挙げて二人を見送った。






 村祭りには、周辺の村や集落の人々もやってくる。人が集まるのを見越してやってくる隊商もあり、ファロ村は一年で一番賑やかな時を迎える。村の広場では浮かれた人々の楽しげな声があふれている。

 村の子供達もはしゃぎ声をあげながら走り回っていた。ディカルダは酒の入った杯を片手に、ナギとヤナンの笑い声を聞いていた。村祭りの直前に二人が出発したのは、残された子供達が少しでも寂しさを紛らわせる事が出来ればという考えだったのかもしれない。杯を傾けながらディカルダは思った。

「ほどほどにしときなよ、介抱してくれる弟子はいないんだぜ」

 そんな冷やかしを聞きながら、ディカルダはぼんやりと広場を眺めていた。寂しいのは子供達だけではないなと思い、彼は杯を重ねる。

「飲みすぎないように見ておけって、兄ちゃんに言われてるの」

 腰に手を当てたリノンに杯を取り上げられ、ディカルダは頭を掻く。彼女の髪は随分と伸び、美しい金髪が今日の暖かい日の光を浴びてきらめいている。代わりに差し出された水を飲みながら、ディカルダはぼやいた。

「アゼルもセリスも、余計な事ばかり言っていったなぁ」

 銅貨を取り出してリノンに渡し、ナギとヤナンにも何かを買ってやるように言う。パッと笑顔を見せて走っていったリノンを見送ると、ディカルダは再び酒を求める。不意に横合いから声を掛けてきた人がいた。

「ご老人、奢らせてください」

 村の外から来たのだろう、暗い色合いの厚手の外套をまとった細面の男が一人立っていた。その男から酒の入った椀を受け取るが、ディカルダは口を付ける前に聞いた。

「何か、用が?」

「……実は魔物の噂を聞きまして。吟詠のネタにならないものかと」

 なるほどと言って、ディカルダは長椅子に腰を掛けた。何から話したものかとつぶやきながら、彼は視線を広場に巡らせる。同じようないでたちの者が少なくとも三人は広場にいる。旅芸人ではないなと思いながら、ディカルダは話を始めた。

 その話は、ディカルダがこの村にやってくる前に繰り広げた冒険の数々より始まった。最近は、ナギもナヤンも飽きて聞いてくれなくなった話だ。

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