第5話 ②

 アゼルとセリスは顔を見合わせる。あの時の事は、まだ誰にも話していない。

 村人はマーレンが魔物を倒したと思っているし、アンリンから来た人もその村人の話を普通に信じているだろう。だから二人とも、本当の事は誰にも話していなかった。

 セリスから現れた剣、それがいともたやすく魔物を倒した事。簡単に話していい事だとは思えなかった。マーレンの具合が良ければ真っ先に話すのだが、今はまだそのような余裕はない。

 二人は無言で頷くと、魔術師について行く。魔術師と一緒に来た人達は、魔物の残骸を取り囲むようにしていた。その中の一人が魔術師に言う。

「ゼヤ師、大丈夫なんでしようね」

「あぁ、触っても口に入れても害はないよ」

 黒い砂状になっている魔物の残骸を、その人達はシャベルで掬って袋に詰めだした。その作業を怪訝な顔で見ている二人に、魔術師は微笑みを浮かべて言う。

「我々はこれを魔砂と呼んでいる。調和と秩序によって力を失ったウィドだよ」

 魔術師にとってはとても貴重なものだと続け、それがどのようにして生まれるか知っているかと聞く。アゼルは小さく首を振った。魔術師の微笑みが固くなる。

「神器によって倒された魔物が魔砂になるんだ」

 魔砂がここにあるという事は、魔物が神器によって倒された事を意味している。

 始原より滲み出すという混沌たるウィド、それが形を成したものが魔物だ。神器とは端的にそれを倒すために存在する。光と闇の二柱の神が、混沌を祓い調和と秩序を示すために、その意志として遣わされるという神器。

「君達は魔物が倒されるところを見ていたかい?」

「……俺は、気絶してたから」

「マーレンさんを安全な所に避難させようとしていて、魔物の方は」

 魔術師は笑顔を消して真面目な表情になった。そして二人の顔を見据えて言う。

 この魔物を倒した者は、間違いなく神器を所持している。神器を持つ者はそれをいたずらに使うべきではなく、またそれを恣意的に使う事など決してあってはならない。

 世界各地で魔物が出現している今、神器は神の意志として、ただ正しく使われねばならない。神器の存在は神の意志であり、人の身勝手な欲望を離れて広く世界の人々のために使われねばならない。

 そして、神器が正しく使われるように、聖堂は全面的な協力を惜しまない。

「君達も、神器に関係のありそうな情報があれば、すぐに聖堂に報せて欲しい」

 魔術師はそう言うと、再び表情を柔らかくする。魔砂の袋詰めも終わり、その魔術師は二人に礼を言ってその場を後にした。

 日は沈み、あたりはすっかり暗くなっていた。冷たくなった空気の中、セリスはアゼルの手を握る。彼の顔にも、同じ不安が浮かんでいるように見えた。






 マーレンの具合は、少しだけ良くなった。起きて居られる時間が長くなり、言葉もはっきりと話せるようになってきている。マーレンのベッドは日の差し込む部屋へと移され、春めいた光を浴びられるようにしていた。

 ナギとヤナンにマーレンの世話を頼むと、アゼルは村へと出かけていく。池の端の復旧はあらかた終わったが、あくまでも壊された家の建て直しが終わっただけであり、家財道具などはこれから揃えていかなくてはならない。

 そのため、それらを作る仕事が増えているのだ。アゼルはここしばらく鍛冶仕事の手伝いに入っており、セリスはずっと仕立物に追われていた。

 仕事が多い事は、悪い事ではない。こと二人にとって、自分達の手に余る大事を胸に秘めているだけに、目先にやるべき事があるのは心の負担をとりあえずは軽くしてくれる。アゼルは、大小様々な鍋や刃物を入れた籠を背負って鍛冶場を出た。ガチャガチャと音を鳴らしながら、池の端へと向かう。

「景気が良いようだな」

 アゼルが持って来た鍋を受け取ると、ディカルダは銅貨を手渡す。アゼルの背負っていた籠は、持って来た物を配達し終わって空になっていた。支払いの銅貨やその代わりの麦や豆の袋を籠に入れ、アゼルは一息入れる。

 茶でも出そうというディカルダの申し出を受けて、軒先に腰を下ろした。芋の粉で作った団子を食べ、干し肉をしゃぶる。ディカルダの出してくれた茶は、マーレンが調合したものだった。床下にしまっていたため、家の倒壊から免れたのだそうだ。

「マーレンさんも、もう色々と作ったりは出来んかな」

「もっとちゃんと、習っておけばよかった」

「……そりゃどうかな。お前も、本当ならそろそろ村を出る頃合いだろ」

 魔術師は弟子を取り、その知識や技術を伝える。つまり、弟子でない者にそのような事はしないという事だ。育てた子が大人になれば村から外に出すというのも、マーレンが自分の知識や技術を受け継がせたりしないという事なのだ。彼女の知識や技術も、その根本にあるのは魔術でありウィドを操る技術だ。簡単に教えられるものではないのだろう。

 茶を飲み干して息をついたアゼルは、家を出ていいのだろうかと言う。マーレンの事やリノン達の事を考えると、自分がいた方がいいのではないだろうか。アゼルのその言葉に、ディカルダは腕を組んだまま、お前が決める事だと前置きをして続けた。

「もう、元には戻らんのだよ」

 アゼルはティカルダの横顔を見る。視線を向けないディカルダは、あの日より前には戻せんのだと、念押しするように言った。例えアゼルが村に留まり、セリスとともにマーレンを介護し、リノン達の面倒を見続けたとしても、そこに元の生活はない。

「今お前の目の前にある事をこなしていても、不安は消えんよ」

「師匠には、俺の不安が分かるの?」

 分からんさと肩をすくめたディカルダは、稽古には身が入っていないがなと付け加える。忙しい中、それでも毎日剣の稽古をしているアゼルをディカルダは見ていた。そこから感じるものもあるのだと言う。

「前はもっと素直に強くなろうとしていたが、今は違うだろう? 魔物と戦えるようになろうとも思っていない」

「そんな事ない!」

「あるさ。今までしていたように、剣の稽古をする。それだけが目的だ」

 アゼルは黙った。

 今までのように、そうなのかもしれない。何かが決定的に変わってしまった事が怖くて、そこから目を逸らそうとしているのかもしれない。今までの生活を繰り返す事で、何かが変わってしまった事を否定しようとしていた。

 それに気付かされてしまった以上、もう先延ばしにすることはできない。アゼルは立ち上がると、ディカルダに深く頭を下げた。

 この事をセリスに伝え、そしてマーレンに全てを話さなくてはならない。あの日、彼と彼女が成した事が何だったのか。それが何を意味し、彼らに何が求められるのかを、きちんと受け止めなくてはならない。

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