第5話 旅立ち
第5話 ①
鎧戸を通してわずかな光だけが差し込む。篝火も焚かれているが、室内の薄暗さは変わらない。重厚な石壁がもたらす圧迫感は、広いはずの空間を狭く感じさせていた。装飾のされていない一枚板のテーブルを、数名の男達が囲んでいる。
その一番奥、石壁に飾られた古くくすんだタペストリーを背にして座った男が、テーブルの前で直立不動の姿勢を保っている兵士を下がらせた。まだ年若い面立ちのその男は、テーブルを囲む他の者達の顔を見回すようにして言う。
「今の報告に関して何か?」
「今年に入ってすでに三件目ですな」
「確度は高いのであろうか?」
もたらされた情報は、神器の出現が確認されたというものであった。各地での魔物の出現と軌を一にするように、神器もまた各地で出現しているという。しかし魔物の出現は、目撃情報にせよ被害情報にせよ、それなりに正確な情報がもたらされているが、神器に関してはいい加減な情報の方が多かった。
「神器は魔物を滅するために神が遣わすもの、魔物が増えれば増えるのも当然」
「それだけに、希望や願望がすぐ噂になる」
その中から正確な情報を選び出すのは至難の業である。かつてのアラタシア王国であれば、全土に広がる密偵網を駆使して正確な情報を見つけ出す事も可能だったであろうが、今となっては望むべくもなかった。王国が滅びて数十年、彼らには限られた手勢しかなく、その僅かな人手を何に使うかを考えねばならないのだから。
一番奥の男は、気付かれぬようにため息をつく。この場の者に諮って、何か良い意見が出たためしはない。報告された事を別の言い回しで繰り返し、修辞を弄してそれを否定する。それでいて意見を諮らずに何かをしようとすると、決定事項ですら盾突くのだ。彼らに見えている現状はどのようなものなのであろうか、奥の男はそんな事を考える。
「聖堂の動きを確認してからでも遅くはないのでは?」
「場所も遠く、人を遣るにしても馬鹿にならない」
神器の情報はアンリン辺境領からもたらされたものであり、しかも北の外れの名も無き地方に現れた魔物が退治されたという曖昧な情報から推定されたものであった。魔物の出現は確からしく、魔物を倒せるほど多くの魔術師がそのような地方にいるはずもないので、推定としては間違いではない。だが、神器そのものの情報ではなかった。
反対意見が出るのもやむなしといったところであるが、果たして正確な情報がもたらされたとして彼らは動くのであろうか。会議の散会を宣言し、奥の男は集まっていた者達を下がらせた。
そして別の者を呼ぶ。神器に関する情報に対しては、常にそうしていた。剣を帯びた細面の男が現れてひざまずく。
「また無駄足になるかもしれんが、頼めるな」
「我らただ、王命のままに」
左肩の違和感はすっかりなくなっている。前に骨折した時はこんなに早く治っただろうかと思いながら、アゼルは肩を回した。マーレンの寝ている部屋からセリスが出てきたので、様子を聞いてみる。良くも悪くもないという感じらしい。
アゼルも正確には知らないが、マーレンは七十歳を過ぎているはずだ。村でも数えるほどしかいない高齢の人なのだが、以前はそれを感じさせない元気さだった。しかしあの日以来、年齢相応になってしまった。アゼルもセリスも口には出さないが、これは治るとか回復するというようなものではないのだろうと感じている。
芋と根菜と干し肉のスープ、昨日の夕食の残りで朝を済ませる。三人の子供に留守番を頼んで、二人は上着を着こみ連れ立って出かけた。復旧の進む池の端では、手伝わねばならない仕事が山ほどあるのだ。
「もう少しかかりそうだね」
柱が建てられているだけのディカルダの家を見て、セリスは言う。家が建ち並んでいる場所からは外れたところにあり、なにより家主が不在なので色々と後回しにされているようだ。アゼルは当面、この家の建て直しを手伝う予定だった。
届け物に向かうセリスを見送って、アゼルは作業に取り掛かる。もっとも、他の人が来ない事には、高い所の作業や重い物を動かすような作業はできない。アゼルが鋸で板を引いていると、数人の人が歩いてくる気配がした。
「もう、大丈夫なのか?」
「……あ、まぁな」
肩を指差しながらゲランが聞いた。アゼルは曖昧に返事をする。
魔物の咆哮を受けて倒れたゲランだが、何ヶ所かの怪我で済んでいた。倒れた木の巻き添えになった人の中には死んだ人もいるので、彼は幸運だったのだろう。アゼルにしても、ゲランが弓矢で援護してくれなければ、死んでいたかもしれない。
二人は無駄にいがみ合う事をせず、アゼルはそのまま鋸を引き続け、ゲランは取り巻き達に作業の段取りを指示していく。そのまま、取り立てて言葉を交わすことなく、太陽が真上に昇るまで作業は続いた。
セリスが昼食に用意してくれていたのは、雑穀の粉を練って焼いた固いパン。チーズと干した果物が添えられている。湯を沸かしてお茶を入れパンをかじっていると、ゲランが近づいてきた。アゼルが見上げると、ゲランは何かを差し出す。
「食えよ、余った」
小麦の粉で作った薄い皮で、焼いた豚の腸詰を巻いたもの。腸詰の香ばしい香りが鼻をくすぐる。アゼルは小さく礼を言って、それを受け取った。もっとも、それ以上のやり取りは、二人には無理だった。
日が長くなるのはまだまだ先の季節だが、日暮れ前までに作業は随分と進んだ。セリスが戻ってきた頃合いで、今日の作業を終える事にする。アゼルは後片付けを終えたゲランに声を掛けた。
「ありがとうな、今日は」
「あぁ」
アゼルは別に、ゲランと仲良くなれるなどとは思っていない。だが魔物を前にして、彼との小さないがみ合いがどこかに飛んで行ってしまっただけだ。それはゲランにしても同じなのだろう。
アゼルは荷物を担いで大きく息をついた。家の方を見ながら帰ろうかと、セリスに言う。
二人とも、視線は後ろに向けないようにしていた。魔物と戦った場所は、ここからよく見える。あの恐怖は思い出したいものではなく、倒れた魔物の痕跡はまだそのままになっていた。だから、そちらの方を見ないようにしているのだ。
セリスの持ってきた剣でアゼルが倒した魔物は、黒い砂状になって崩れた。その砂はいまだその場に残されている。気味悪がって、誰も近づかないのだ。
二人が歩き出そうとした時、こちらに向かって歩いてくる人達が見えた。呼びかけてくるわけではないので、彼らに用があるわけではないのだろう。会釈をかわしてすれ違った中に、魔術師の正装を着ている人がいた。アンリンの聖堂からは援助物資を持った人達が来ているが、池の端まで来る魔術師は初めてだ。
そのまま家路につこうとした二人を、魔術師が呼び止めた。銀髪を短く刈った髪型に精悍な顔つきの青年。だが二人を呼び止めた声は、思いのほか柔和だった。
「アゼル・ナン君とセリス・ナノ君だね。ナナ師の容態はどうですか?」
一瞬誰の事か分からなかったが、ナナはマーレンの魔術師としての公式の名前だ。丁寧な言葉と物腰に、セリスはしどろもどろになりながら答える。アゼルが警戒心を見せるように足を踏み出すと、その魔術師は聞きたい事があると言って先に立って歩きだした。
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