第4話 ⑤
辺境公が派遣した一団がアンリンの街から到着し、村はようやく復旧作業に取り掛かる事が出来るようになる。多くの死者や負傷者を出す事となった災厄は、ファロ村始まって以来未曾有のものであった。
幸いな事に、辺境公が派遣した一団は村の復旧に協力的であり、周辺の集落にも号令をかけてくれた。また、その一団には怪我の手当てに長けた人が何人かいて、マーレンを欠いた中でも負傷者の手当ては順調に行われた。それでも、村が被った被害は、物質的にも精神的にも甚大なものであった。
セリスは戸棚に並ぶ薬を数える。在庫は十分といえるだけ残ってはいない。考え事をすると不安になるので、彼女はすぐに別の仕事に取り掛かる。池の端では数少ない、家が残った者なのだ。やるべき事はたくさんあった。
奥の部屋からリノンが駆け出してきて、床に置きっぱなしにしていた籠に蹴つまずく。そのまま転んだリノンは、涙を浮かべたまま言った。
「兄ちゃん、起きた!」
セリスが部屋に駆け込むと、包帯だらけのアゼルが目を彷徨わせていた。体を支えて起こし水の入った椀を差し出すと、彼はそれを一息で飲み干す。何か言いたそうな彼を制し、彼女は台所に戻った。蜂蜜と香草を加えて温めた牛乳を用意する。十日も眠っていたのだ、水だけでは足りないだろう。
リノンにその場を頼むと、セリスは医者を呼びに走る。辺境公が村に派遣したのは傭兵との戦闘を想定して兵士だったのだが、それだけに怪我の手当てが出来る人は確かな技術を持っていた。
小太りの人が良さそうな男性は、アゼルの怪我の具合を見ながらしきりに感心している。治りがとても速いらしい。かなりの怪我だったので、もっとかかるものだと考えていたのだそうだ。
「魔術師謹製の薬のおかげかもなぁ」
左肩の固定はもうしばらく続けておくようにと言って、医者は包帯を巻きなおしていく。マーレンの作った薬があとどれくらい残っているかを確認して、その人は村の方へと戻っていった。まだ回らなくてはならない家があるらしい。
ベッドに横たわったアゼルの不安そうな顔に、みんな大丈夫だとセリスは微笑みかける。
「マーレンも、ディカルダさんも、生きているわ」
どちらも一命を取り留めたという状態だが、無事である事は確かだ。ほっとした表情を見せたアゼルに、何か食べるかと聞く。彼は柔らかく煮た麦粥を少しだけ食べ、再び眠った。それが怪我を治す方法だと、体が訴えているのだ。
それでも、彼はめきめきと回復し、三日もすると肩の固定を外さないまま、歩き回れるようになっていた。ナギとヤナンを伴って、届け物や買い物くらいは出来る。村は落ち着きを取り戻しているように見えた。
実際、家なども壊された池の端と違い、村の中心部は被害を受ける事もなく、亡くなった人も避難していた老人がほとんどで、働き手を失ったわけではない。池の端の復旧作業のために近隣の人や隊商なども出入りしており、魔物による被害という事でアンリンの街の聖堂からの援助もあった。そのため、村には活気のようなものすら感じられる。
アンリンから来た人達が配っていた、干した果物や雑穀の粉などをもらった帰り道、アゼルは村長の息子に呼び止められた。隣村を襲撃した傭兵の生き残りの処遇が決定したのだそうだ。
「ユンハさんの事もあるし、一応な」
結局、隣村の住民で無事だったのは、ファロ村に逃げてきた男性と、たまたま所用で村を離れていた母子、そして物置の地下貯蔵庫に隠れていた一人の子供だけだった。その生き残った人達に所帯を持たせ、近隣の集落と協力して復興を目指す事は決まっているのだが、実行に移すのはもう少し先になるだろう。
隣村では、共同で遺体の埋葬だけは行っていた。しかし赴いた人達は、誰もどんな様子であったかを語っていない。口に出せないほどの惨状であったのだろう。ユンハに関しても、きちんと埋葬されたという話しか、アゼルも聞かされていなかった。
村長の息子が指を差す。視線を向けると、辺境公が派遣した一団が仮の宿舎にしている建物から、隊列が進み出てくるのが見えた。その中ほどに、馬が引く荷車がある。板に車輪を付けただけのそこに、一人生き残った傭兵が打ち付けられていた。両手両足をかすがいできつく固定されている。
アンリンの街まで連行され縛り首になるという話だが、全身が黒く腫れあがったあの様子では、その前に死ぬだろう。嫌な気分しかもたらさないそれから視線をそらし、アゼルは村長の息子に礼を言ってその場を離れる。
怯えたような顔のナギとヤナンの頭を撫でると、干した果物を内緒だぞと言って渡した。アゼルはその足で、広場に向かう。怪我人を集めて治療するために、大きな天幕が張られているのだ。家の再建が終わっていないディカルダは、まだそこにいる。
「師匠、どんな感じ?」
「どんなもこんなもあるか、若いもんがうらやましいわ」
包帯の残る体を見せながらディカルダは言った。それでも体を起こせるくらいには回復しており、家の建て直しが終わる頃にはベッドから離れられるだろう。食事もちゃんとしたものを出してくれるし、贅沢が身につく前に家に帰りたいなどと言っている。
「やはり魔物の出現は聖堂として看過できんようだな」
単に傭兵に襲撃されただけでは、このような手厚い援助を辺境の村が受けられるはずがない。辺境公が派遣した一団が協力的なのは、団長と村長が個人的に親しい事が大きな要因であり、追加の物資や資金を援助してくれているのはアンリンの聖堂だった。隣村の復興の要として聖堂を建設する計画も噂されている。
そしてディカルダは、魔物がどのように倒されたのか何度も聞かれると愚痴を言った。アンリンから来た堂司や魔術師が、入れ代わり立ち代わりその事を聞くのだそうだ。ずっと気を失っていたディカルダには分かるはずもないのだが、相手はどうにも納得しないようだ。
「最後はマーレンさんの魔術で退治したんだろ?」
「え……あぁ」
アゼルの返答に、ディカルダは黙る。マーレンはもう家に戻っているのだが、ずっと床に臥せっているのだ。特に目立った傷はないのだが、体全体が衰弱してしまったように、ベッドから起き上がれないままだった。
悪い事は考えまいとするのだが、今のマーレンの様子は不安を抱かずにはいられないものであった。アゼルは軽く頭を振る。また来ると言うと、ナギとヤナンを促して天幕を後にした。
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