第4話 ④

 アゼルの体が地面に落ちるのが見えた。矢を放っていた村人の姿も見えなくなり、魔物の咆哮だけが断続的に聞こえる。セリスは体の痛みに顔をしかめながら、マーレンを助け起こした。意識が朦朧としているのか、マーレンはうわ言を繰り返している。

 廃墟になっていたディカルダの家は、魔物の咆哮でがれきの山になっていた。その陰にマーレンの体を引きずり込み、セリスは何とか息をつく。

 魔物は数日となく消えるとマーレンは言っていた。だがその数日の間で、魔物は村を破壊しつくしてしまうだろう。魔物が村人の避難した場所へと向かえば、犠牲者はさらに増えるだろう。

 倒れているアゼルやディカルダを見捨てて、マーレンを置き去りにして、自分一人で逃げてどうなるのか。セリスは頭を振った。何も出来ない事は分かっている、だが何もしないではいられないのだ。自分を助けてくれた人を助けずに、ただ自分だけ助かる事など、例え誰が許しても、彼女自身がそれを許さない。

「どうしてっ……!?」

 憤りが無意味な言葉になって溢れる。穏やかだった村を壊したものに、満ち足りた日々を失わせたものに、調和を崩し秩序を乱したものに、セリスは憤りの言葉をぶつける。

 そして彼女は、願いより深く請い、祈りより激しく望んだ、目の前に広がる混沌、それが形を成した魔物、それらを等しく打ち払う事を。

 胸の中を何かが渦巻き、出口を求めて膨らんでいくような苦しさに、彼女は涙を流した。

「あっ……ぅうあぁ……あぅぅっ」

 それが胸の苦しみだけではない事に、セリスは気付いた。もっと確かな、形のあるものが自分自身の中に存在する事を感じるのだ。その苦しみを突き破って、何かが自分の中から出ようとしていた。

 彼女は幾度となく喘ぎ、やがて細い悲鳴を上げる。

 その声、そしてセリスの体から発せられる光に、マーレンはわずかに意識を取り戻した。セリスの胸が輝き、その光が一つの形を成していく。やがてそれは、セリスの手の上で一振りの剣となった。マーレンは、その意味を悟る。

 呼吸を荒げているセリスに、マーレンは微笑む。自分の身に何が起こったのか、セリスにはまだ分からないだろう。だが、その一振りの剣の意味は『鞘の乙女』であれば分かるはずだ。セリスはマーレンに力強く微笑み返す。

 剣を胸に抱くようにして、セリスは駆け出した。それを振るうべき人は、彼女にとって彼しかいない。

「アゼル!!」

 その声に、彼は体をよじる。魔物の拳を受けた左肩は感覚がなく、受け身を取り損ねた背中は全体が痺れるように痛い。それでも、駆け寄ってくるセリスに、近づかないように言わなくてはならない。

 だがアゼルの体を起こしたのはセリスの腕だった。その腕を添えられるだけで、痛みが軽くなるように感じる。その安心感に気を失ってしまわないよう、アゼルは自力で立ち上がろうとした。

「これを使って」

「……?」

「私にも分からない。でも、これなら皆を助けられる。魔物を倒せるの」

 不安な表情のまま、それでも確信に満ちた目で、セリスは剣を差し出した。装飾も何もない簡素な剣、だがその刀身は自ら青白く光を放っている。アゼルはその柄を握った。手に吸い付くような感触はまるであつらえたかのようであり、その軽さは金属ではないように感じる。

 アゼルは剣を構えた。体には痛みがあり、心の中にはまだ恐怖がある。しかし、その事を冷静に見つめている自分自身にも気付いていた。そして、背中に感じるセリスの気配に、落ち着きを覚える。

 魔物がアゼルの方に向き直った。弓を持った村人達が身を隠していた大木が、折れて倒れている。魔物は体をひねるようにして拳を構え、ゆっくりと向かってきた。突き出される拳がアゼルに迫る。

「っ!?」

 振り下ろされた剣が、魔物の腕を断ち切った。何の抵抗も感じないほどにやすやすと魔物の腕を切り落とした剣に、アゼル自身も驚く。しかし彼の体は、落ち着いた動きを見せていた。振り下ろした剣を腰に据え、大きく踏み込んで突き出す。

 魔物の脇腹を貫いた剣を振り上げると、斜めの切り口を見せて魔物の体は両断された。

 アゼルは息を吐く。手の中の剣はきらめく粉のようになって消えてしまったが、それは魔物を倒したからなのであろう。両断されて転がる魔物は、その切り口から徐々に砂状になって崩れていく。

 全身の力を抜くと、振り向いてセリスを見る。彼女の微笑みを見たところまでは、アゼルも覚えていた。

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