第4話 ③

 魔物はこのまま元の姿に戻ってしまうのだろうか。それまでにどれくらいの時間を要し、そうなった時に自分に何ができるのか。ディカルダは気休めと思いつつ、兜の面を下ろした。今斬りつけたら足を切断するくらい出来るだろうかと、剣を振りかぶる。ディカルダの振るった剣は空を切った。

 魔物が下半身だけで飛び下がったのだ。湧き上がる恐怖を払うように、ディカルダは二度三度と剣を振るう。それらを避けて回る魔物は、いつの間にか上半身の大部分を再生していた。

「ケェェェェェェェェェェェェェっ!!」

 聞いたこともない音は魔物の咆哮だろうか。上半身の真ん中に大きく縦に裂けたような口には牙もなく、ただ黒々とした穴からその奇妙な音が絶えず聞こえてくる。頭も右腕もなく、左腕だけが再生した姿の魔物に、ディカルダは身構えた。

 振るわれた左腕は、その先の二つの爪で正確にディカルダを狙う。そこに真っ向から振り下ろされたディカルダの剣は、魔物の爪をその長い指ごと切り落としていた。

 だが魔物の腕はそのままディカルダの左肩を薙ぎ払い、彼は激しい衝撃とともに地面に転がされる。鎧の肩の部分は吹き飛ばされ、剣も取り落としていた。ディカルダは何度か立ち上がろうとしたが、そのまま力尽きるように倒れ伏す。






 激しく咳き込んだマーレンが大量の血を吐いた。魔物が投げつけたものによって壁が崩れ、廃墟のようになっているディカルダの家のわずかに崩れ残った部分に、マーレンの身をもたれ掛けさせる。セリスはマーレンの口元の血を拭き、水筒の水を飲ませようとした。

 そして、わずかばかりの持ってきた薬を広げ、どれを飲ませればいいのか聞いた。水だけを口に含んだマーレンは、首を横に振る。

「私の事はいい、早くお逃げ」

「分かってます! でも一緒に!」

 そう言って、セリスはマーレンを抱え上げようとした。視線に先にはディカルダに駆け寄ったアゼルの姿がある。ディカルダが取り落とした剣を拾い、魔物に対峙するように剣を構えている。

 マーレンを頼むと言って駆け出したアゼルの顔は真っ青で、声もひどく震えていた。それでも彼は魔物に向かっていった。自分に注意を引き付けようと大声を出し、少しずつディカルダから離れた場所へと体を動かしている。

 その間に、少しでもマーレンをこの場から遠ざけなくてはならない。セリスはマーレンに声をかけて立ち上がろうとした。

「あんたなら十分逃げ切れる……村の人もちゃんと逃げていればもう大丈夫のはずさ」

 マーレンが弱々しく指差すのは、奇妙な咆哮を発し続ける片腕の魔物。右腕も頭もない姿なのは、もはやそれを再生するだけのウィドがないという事である。ディカルダに切り落とされた指もそのままであり、魔物の大きさ自体、人の身長と同じくらいにまで縮んでいる。

 アゼルの動きに対してもゆっくりとした反応しか示しておらず、動きも相当鈍っているようだ。魔物は十分に消耗しており、あと数日となく消滅するだろう。

「もう一度だけ、魔術を使う。それで魔物を縛るから、そしたらアゼルと一緒に逃げなさい」

 よろめきながらも立ち上がったマーレンを、セリスは支える。魔術の使用はマーレン自身の体を危険に晒すのだと、セリスは直感的に理解していた。だからといって、自分に何が出来るのだろう。セリスは奥歯を噛みしめた。肩で息をしているマーレンを支えながら、何もできない自分を悔やむ。

 涙を零すまいと視線を上げると、アゼルの方を向いていた魔物が振り向くのが見えた。頭のない魔物がこちらを見ている、セリスはそう感じた。同時に、魔物の奇妙な咆哮がだんだんとその高さを増していくのを聞く。

 次の瞬間、セリスは自分に見えない壁がぶつかるのを感じた。二度三度とぶつかってくるそれに体がよろめき、ついには激しく突き飛ばされる。マーレンを庇ったまま、ゴロゴロと地面を転がった。

 それはアゼルからも見えている。体当たりをする勢いで剣を魔物の腰に突き立てたが、その切っ先がめり込んだだけで止まってしまう。それでも、振るわれた魔物の腕を何とか避け、アゼルは再度撃ってかかる。魔物が遠くにいる者にも攻撃できる以上、自分から攻撃していかなくてはならない。

 しかし、冷静に魔物の動きを見ようとしているはずの目は魔物の動きを見逃し、恐怖にすくむ体は魔物の動きに追い付かない。その動きは最初の時よりずっと遅くなっているはずなのに、無造作に振るわれる魔物の手を避けきれないのだ。剣でその腕をどうにか払いはするが、アゼルも大きく体勢を崩してしまう。

 とどめとばかりに振りかぶられた魔物の腕に、矢が突き刺さった。魔物は体勢を崩し、アゼルは振り下ろされた腕を辛うじてかわす。

「……ゲラン!」

 弓に矢をつがえたゲランが、離れろと叫ぶ。弓を扱える村人が数名、一斉に矢を放った。鈍い音とともに矢が当たり、そのたびに魔物は体をぐらつかせる。突き刺さらずに体に弾かれる矢もあるが、魔物に刺さる矢は二本三本と増えていく。

 魔物の腕は、刺さった矢を抜こうとするかのように動いているが、指を無くした手ではそれもできない。魔物が矢を放ち続ける村人達の方を向いた。その奇妙な咆哮が高まっていくとともに、空気は不快な振動を始める。

 アゼルが警告の声を発するより早く、村人の一人が弾かれるように倒れた。ゲランが放った矢は空中で失速し、同時に彼ももんどりうって地面に倒れた。

 決死の覚悟で飛びかかったアゼルは、魔物に剣を振り下ろす。だが、指を失ったままの魔物の拳が逆に剣を砕き、彼の体は魔物の腕に薙ぎ払われ大きく跳ね飛ばされた。

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