第3話 ④

「大事なのは、俺の事よりも魔物の事だろ!!」

 村の南の柵の一角に簡易の詰め所が作られており、その傍の木に縛られた男が大声で怒鳴っていた。その男は、警戒に出ていた村人が捕まえてきた者で、村の様子を伺う不審な態度と、村人を見て逃げるそぶりを見せた事から、矢を射かけて犬をけしかけたらあっさりと捕まったのだ。

 傷だらけの体はひどく疲れているようで、最初は逃げてきた隣村の住民かと思われていた。しかし男は、出された食べ物を貪り終えると、いきなり隣の村で起こった事の顛末をぶちまけたのだ。ギレと名乗ったその男が、隣村を襲った傭兵の一員と分かり、村人は慌てて男を縛り上げる事となった。

「だから魔物が来るんだよ!」

「少し黙れんのか」

 ディカルダは腕を組んで周りを見る。詰め所に集まった人々も困惑を隠さない。事態の推移が激しすぎて理解が追い付かないのだ。その男は、隣村を襲った傭兵が魔物に襲われて全滅したと言っている。

 大男を食いちぎった魔物は、体にめり込んだ大槌を無造作に投げ飛ばし、逃げる隊長はそれに潰されて死んだ。男が助かったのは、隊長が逃げ出したのと逆方向に逃げたからだった。そのまま走り続け、この村までたどり着いたのだと言う。

「俺も戦場で何度か魔物を見た事があるが、あんなヤバいのは初めてだ」

 戦場に魔物が現れた時は、手出しをせず辺境公が連れてきた魔術師に任せる決まりになっていた。魔術師が数人がかりで魔物を倒しているところを、男は見た事があるという。しゃべるのをやめない男を、ディカルダは胡散臭そうに見た。だが嘘を言うにしても理由がない。陽動にしても雑だ。

「ここには魔術師がいるんだろ。女が言ってたぜ」

「その子の名は、ユンハかい?」

「はぁ? 名前なんか知るかよ。魔術師が助けに来るって喚いてたのがいたんだよ」

 股も頭もすっかり緩んじまってたがなとせせら笑った男は、問いを発した女性の怒気を察して息をのむ。詰め所に現れたマーレンは村人から事情を聞き、改めて男に説明を求める。先ほどまでの饒舌を失った男は、ただ聞かれた事のみを震える声で答えた。

 男が最後に発した、自分の身の安全に関する問いを無視し、マーレンはディカルダを呼ぶ。

「この男の事、村人には?」

「流石に、隠せはせんよ。だが話の内容は詰め所にいる人間だけだ」

 マーレンは詰め所を出て、柵の向こう側を見る。本当に魔物が現れたのだとしたら、対処できるだろうか。傭兵の一団を全滅させるほどの魔物である、一人でどうにかできるとは考えにくい。

 混沌たるウィドが形を成した魔物は、調和の中に生まれ秩序によって育まれたこの世には本来存在できないものである。故に魔物は長くこの世に留まる事が出来ず、自然に消滅するものであった。

 だが、魔物がこの世界に留まっている時間に決まりはない。一晩で消えてしまうものもあれば、数年にわたって山奥に居座り続けた魔物の例もある。そして、魔物がこの世に害を成す存在である事は確かであった。

「人を襲う魔物であれば……」

 この村に来る可能性は高い。傭兵だけを始末して消えてしまうような、都合のいい魔物が現れるとは思えなかった。

「とりあえず、この警戒はそのままに。男の話の通りだとすると、魔物を見間違える事はないだろうから、現れたら下手な手出しをせずに私を呼んどくれ」

 マーレンはそう言って、詰め所の椅子に腰を掛ける。隣村の生存者は、もはや期待できないだろう。悲しむ余裕もない事を無念に思いながら、彼女は静かに瞑想する。心身の調和と秩序を保つことが、魔術を使う基礎なのだ。






 池の端には大きな建物はなく、避難してきた子供や老人達は木陰で身を寄せ合ったり、有り合わせの物で簡易の天幕を張ったりしている。まだ寒い時期であり、火を焚いている人もいた。火事に気を付けるように注意を促しながら、セリスは集まってきた人の人数を数える。一ヶ所に集まるのではなく、家族単位でバラバラにまとまっているので、人数を数えるのも一苦労だ。

 いざという時は、舟で池の向こう側に逃げるよう言われているが、それほど多くの舟があるわけではない。誰を優先的に避難させるか、きちんと指示できる人が必要になるだろう。

「そうだよな……」

 池で舟の点検をしていたアゼルは、いざとなってからでは遅いというセリスの相談に思案を巡らせた。自分にそれが可能だろうかと考えてもみるが、彼もそこまで自惚れ屋ではなかった。しかし大人達は全員、傭兵の襲撃に備えて村の南側を中心に警戒を行っている。こちらに手を回せるほど余裕はないだろう。

 そうなると他に選択肢はないのだが、その考え自体がアゼルにとってしゃくに障るものだ。アゼルが髪の毛を何度もかき上げるのを見て、セリスはきちんと指摘する。

「今は、そんな時じゃないでしょ」

「分かってるって」

 愛用の木剣を掴み、苛立ちを押し殺すようにして、アゼルはゆっくりと家に向かって歩いた。後ろをついてくるセリスが不意に手を握ってくる。どぎまぎしながら振り向くと、セリスの視線は全く別の方に向けられていた。

 その視線と同じ方向、池から流れ出す小川に設けられた水車小屋の辺りに目をやると、そこに何かが浮かんでいるのが見えた。目を凝らすと、人の形をしたものがゆっくりと浮かび上がってくるのが分かる。水の中からその全身を現したそれは、水面を少し歩いて岸に乗りあがる。

 人の形をしているが、それは全く人ではない。全身が黒く、頭には角が生えている。大きく裂けた口らしきものと、目のようにも見える二つの黒い穴。足は短く、腕は長く、手には長い指が二本だけついている。人よりも一回りくらい大きいそれは、しっかりとした足取りでゆっくりと池の岸辺を歩いている。

「何、あれ……」

 セリスの上ずった声に、アゼルはその手をぎゅっと握って答える。はっとした表情の彼女に家の中に入るよう言うと、彼は駆け出した。

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