第3話 ②

 夜明け前の一番静かな時間。男達のけだものじみた声も、女達の呻きやすすり泣きも聞こえなくなり、男はようやくまどろみに落ちる。

 勝ち馬に乗ったはずが、今は敗残の身。戦利品の分け前を巡って前の隊長を殺して隊長になったはいいが、余計な苦労も背負いこむ事になってしまった。傭兵など所詮は無能ばかりなのだと、彼は自分の事を棚に上げて思う。

 だから、こんな時間に再び大騒ぎを始めた部下に、彼は大声でもって応じるしかない。

「うるせぇぞ! おとなしくねんねも出来ねぇのか、クソどもが!」

 彼は剣を掴んで家を出た。無駄に薪を使って、外は明るく照らされている。しかしそこで繰り広げられていたのは、乱痴気騒ぎなどではなかった。武器を構えた部下が、何者かを取り囲んでいる。

 しかし、部下の腰は明らかに引けており、既に地面に転がっている者も何人か見えた。追手の奇襲かと、隊長は慌てて剣を抜いて振り回す。

「敵襲! まだ寝てる馬鹿どもを叩き起こせ!」

「違うんだ隊長さん! 何か、ヤバい奴なんだよ!」

 若い男が息を切らせて寄ってきた。要領を得ないその言葉に、隊長はその若い男の頭を殴りつける。男の持っていた松明を取り上げ、囲みへと近づいた。

 取り囲まれているのは一人。だがそれは人なのだろうか。

 その体に衣服らしきものは見えず、代わりに部下が打ち込んだと見られる斧や槍、戦槌がめり込んでいた。裂けたような巨大な口、びっしりと生えた鋭い歯、頭には角のようなものが生えており、黒い肌は人のものではなかった。

 隊長は息をのむ。そして思いついた言葉を口にしてしまった。

「……魔物」

 部下の一人が囲みから後退る。踵を返して駆けだそうとした次の瞬間、その体を槍が貫いた。魔物が自分の体に突き刺さっていた槍を抜いて投げつけたのだ。一瞬の沈黙。部下に動揺が走る前に、隊長が先手を打つ。

「一斉にかかれ!!」

 その声に急かされるように囲みが縮まり、数名の部下が武器を振り立てて魔物に襲い掛かった。しかし、いくつもの武器を突き立てられながら、魔物は意に介さぬ様子で腕を振る。鋼の棒のような腕が頭を割り、指先から延びる爪が顔面を抉った。

 悲鳴と怒声、魔物に向かっていく者、魔物から逃れようとする者、逃げる者を押しとどめる者、押しとどめる者を押しのける者。隊長の声はかき消され、その場は混乱の渦となった。その中心にいる魔物は、体に突き刺さった武器を一つ一つ抜きながら投げていく。それらは、木を刈り倒し、建物を貫通し、人を潰していった。

 崩れた石の壁に身を隠し、隊長は何とか息を整える。聞こえてくる声に、まともに生きている者がほとんどいなくなった事を察した。同じ場所に転がり込んできた男の胸倉を掴むと、意味のない言葉で怒鳴りつける。

「何で手ぇ出した!」

「最初はガキみてぇな成りだったんだよ! それがいつの間にかあれだ!」

 壁の陰から覗くと、魔物は人の背丈を上回る大きさになっている。棒立ちの魔物は、穴が開いたような真っ黒な目を虚空に向けていた。隊長は剣を握り締めたまま開かなくなった手を見つめる。魔物に立ち向かうなどという選択肢は皆無だ

 この惨状を脱するためには魔物を倒さなくてはならない、そんな考えを持つのは馬鹿でしかない。しかしその馬鹿が現れ、隊長には逃げる機会が訪れた。

 にやけ面の大男が、愛用の槌を手に魔物の前に立ちふさがっていた。体の大きさと馬鹿力だけが取り柄の無能だが、その男が持つ金属の棘が埋め込まれた巨大な槌の威力は、他の有象無象の武器とは威力が違った。大男は雄たけびを上げて槌を振るう。

 鈍く重い音とともに槌は魔物の胴体にめり込み、その勢いのまま魔物を地面に叩きつけた。大男は槌の柄から手を離し、腰の短剣を抜くと魔物の喉に止めの一撃を突き込む。

「へ? ……ガッ、グァァァァァァァァァッ!!!」

 その絶叫は大男が発したものだった。喉に短剣を突き入れられたまま、魔物は口を開けて大男の腕に噛みついたのだ。慌てて腕を外そうとするが、微動だにしない。

 魔物の口が不気味に動き始めると、どういう仕組みになっているのか、大男の腕が吸い込まれていく。腕の骨が砕かれる音とともに、魔物の口から大量の血があふれ出す。悲鳴を上げる大男の腕は完全に口の中に消えるが、なおも魔物は大男を吸い込もうとする。

 やがて大男の悲鳴は聞こえなくなり、上半身の左半分を無残に引きちぎられた死体が地面に転がった。

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