第3話 魔物
第3話 ①
その村で一番大きな家に、いくばくかの武装を身に着けた男が入っていった。小さな村なので、一番大きな家といってもたかが知れており、数人の男がたむろしているだけで中は狭く感じる。家に入ってきた男は、金属の板で補強された皮帽子を脱ぐと、禿げあがった頭を拭った。
その顔は今しがた付いたばかりの煤で汚れているが、その以前から既に汚れていた様子で、整えられていない髭も何かの脂で固まっている。室内の男たちも似たような雰囲気で、澱んだ眼だけがぎらついていた。
「消えたか?」
「何とかな。ギレの阿呆はどうする? 隊長さんよ」
「後で吊るす」
テーブルに足を乗せていた男が吐き捨てるように言う。わざと音を立てるように立ち上がり、食い散らかされた食べ物や皿が散乱する床を踏み鳴らしながら、隊長である自分の命令を徹底するよう言った。
火をつけるなという指示を無視して民家に火を放った者がいたため、無駄な手間が増えたのだ。彼らの現在の目的は食料等の調達である。もちろん、それに付随する戦闘行為は当然行うが、村や畑への破壊活動を目的にしているのではない。
しかし冬の終わりという時期であるため、この小さな村の物資では三十名程度の隊を満足させるだけの量すら確保できなかったのだ。どこまで隊長としての求心力を保てるか、男は奥の部屋に通じる扉を見た。
薄ら笑いを浮かべた男達が、その扉から出てくる。先ほど家に入ってきた禿げ頭の男が不満を露わにした。
「貴重な戦利品だぞ、味見ばっかしてんじゃねぇよ!」
「飯も満足に食えねぇんだ、女くらい好きに食わせろよ」
「金にならなくなるだろうが!」
「へへっ、こいつはすまねぇ。おいらのモノじゃ、素人なんざ壊しちまうもんな」
「勃たねぇくせに何言ってやがる」
その途端、にやけ面の大男は憤怒の表情に変わり、近くにあった椅子を振り上げる。しかし、隊長を名乗っている男が剣を鞘ごとその鳩尾に突き込んだ。床にうずくまる男の頭を踏みつけると、剣を抜いて禿げ頭に突きつける。
「戦利品の配分に口出すんじゃねぇよ」
「お、おい、別に俺は配分に文句を言ったわけじゃねぇ」
「なら黙ってろ。奥の女はとりあえず自由だ、好きに使っていい」
隊長は疲れたように椅子に座る。実際、買い手の目途がつかないこんな辺境では、人を捕えても負担になるだけだ。自分達が食べるものも十分にないのだから。数日のうちに、次の食料調達地に向かわなくてはならない。
とりあえずは寝ようと、隊長は自分に当てがった部屋に向かう。奥の部屋から女を連れて行こうかと思ったが、ぐったりと生気を失った目を見てやめにする。しかし、こんな女達でも数日は隊員の不満を誤魔化せるだろう。隣の村はこの辺りの中心となっている村らしく、もう少しましな量の食料が期待できる。
マーレンの家に運び込まれた怪我人は、気を失ったままうわ言を繰り返している。傷の手当をとりあえず終え、マーレンは少し考えてから癒しの魔術を使う事を決めた。意識を取り戻させ、事情を話せるようにした方が良さそうだと判断したのだ。
魔術の効果で目を覚ました怪我人は、包帯だらけの手を無理やりに動かしてマーレンに縋りつく。必死に助けを求める彼を落ち着かせ、マーレンはアゼルに村長や村の主だった人を呼びにやらせた。
怪我人の話はすでに伝わっていたようで、村長たちも大急ぎで集まってくる。怪我人は、隣村を助けてくれるよう訴えた。傭兵による略奪を受けたのだ。
「こんな所にまで流れてくるか……」
徴税人や隊商から話は聞いていた。小競り合いを続けていたケレタロン侯との間で有利な和議を結ぶことに成功したアンリン辺境公は、雇っていた多くの傭兵のうち、ごく一部にだけ約束以上の報酬を払い、残りの大部分の傭兵に騙し討ちを仕掛けたのだという。傭兵の多くが討たれ、散り散りになった敗残兵も各地で掃討されているという話だった。
その傭兵の一部がこの地まで逃げ延びてきたという事なのだろう。アンリン辺境領の奥まった場所に位置するこの地域では、野盗化した傭兵団による被害は非常に稀だった。
隣村では一旦は食料の供出に同意し蓄えを差し出したのだが、その量に満足しなかった傭兵が村に侵入し略奪を行った。武装した一団に対抗する能力は村にはなく、村人の多くは殺されるか捕まるかしたそうだ。
「わ、私は無我夢中で逃げて……妻が、ユンハがまだ村に残っているのに……」
怪我人は全身を震わせながら頭を抱える。マーレンが薬を飲ませて落ち着かせた。
村長たちは隣の部屋に移って善後策を話し合う。ひとまずアンリンの街に馬を走らせ、兵士の派遣を請う事は決まった。
「傭兵がどれだけの量を要求してくるかだな」
「期待はしない方がいいね」
マーレンの言葉に、全員の注目が集まる。アンリン辺境公による掃討から逃れるには、ここから北の森を抜けて河を渡りヘトラ都市同盟の領域まで行くか、逆に河に沿って南下しケレタロン領に入るかだ。どちらにしても距離があり、かなりの量の食料が必要となるはず。村人が餓死覚悟で蓄えを出したとして、それで傭兵が納得するかどうか。
そして隣村の大きさを考えれば、傭兵はすぐにでも次の食料調達を考えるはず。アンリンの街から兵士が派遣されるとしても、それが間に合う事はないだろう。
「傭兵と戦えって事かい……」
村長は深く息を吐いた。村にも自警団のようなものはあるが、それが傭兵相手になるとも思えなかった。村人から有志を募れば頭数は揃うだろうが、素人にどれほどの事が出来るというのか。
「魔術でこう、何とか出来ないんですか」
村人の問いにマーレンは首を振った。怪我の治療をしたり、矢除けの風を吹かせたりは出来るが、直接人に危害を加える魔術の使い方は禁忌だった。魔術師が人の争いに手を貸すのは、この世界の調和と秩序に反する事とされている。
重苦しい雰囲気の中、村長は視線を上げその場にいる全員を見回す。
「こうしている間にも、傭兵どもが近づいているやもしれん」
村中に報せを出し、傭兵の襲来に備えるよう指示を出す。自警団を中心に村の有志を武装させ、村の周りの柵や垣根の補強も行わせる。抵抗する姿勢を示してして時間を稼げば、食料不足の傭兵が自壊する可能性もあるのだ。村長が具体的な指示を出し終わると、集まっている人達が一斉に飛び出していく。
マーレンは不安そうな子供達を落ち着かせるように抱きしめると、アゼルとセリスには薬や包帯の準備をするよう指示した。
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