第2話 ⑤
聖堂のある村であれば、そこに光と闇の二柱の神が祀られ祭礼も行われる。しかしファロ村には聖堂がないので、村の名前の由来になった大きな木のもとで、古くからの住民が毎年輪番で祭主を務め、祭礼を行う事になっている。
ひときわ大きなその木は、二柱の神が世界を作った時に最初に植えた木とされており、村が出来た時から祀られていたという話だった。年始には、村人が総出でその木にお詣りに行く。そして今年も一年、調和と秩序の中で生活する事を二柱の神に誓うのだ。
「団子、師匠の家に持っていくよ」
「あ、私も行く」
ディカルダは、昔負った傷の痛みが寒くなると再発するので、冬は外出を極力控えていた。今年は年始のお詣りもしていないので、祭礼で配られる団子も受け取っていなかった。ファロの木の実から灰汁と渋を抜き、粉にしたものを湯で練って作った団子を食べない事には、村人の年は明けないのだ。
凍結した池を眺めながら、二人で連れ立って歩く。ひどく降り積もる事はないが、ここ数日は連日のように雪が舞う寒さだ。今は薄日が差しているが、外に出ている人はおらず、周りは静かだった。
「ディカルダさんは、昔何をしていた人なの?」
「ずっと遠くの街で貴族に仕えていた騎士だったんだって」
その貴族が亡くなった際、新たな当主に仕える事無く前当主に殉じて騎士を辞め、この村で引退生活を送るようになったのだと、アゼルは聞いていた。この村で、ちゃんとした剣の使い方や戦場での戦いを知っている人は他におらず、アゼルが押し掛けるように弟子を名乗ったのも必然だった。
「アゼルは、騎士になりたいの?」
「……いや、別にそういうわけでもないんだ」
春になればマーレンの家を出て、村からも離れて暮らさなくてはならない。自分に何が出来て、何が得意で、何をしたいのか、それがまだよく分からないのだと、アゼルは言う。ディカルダに弟子入りしたのは、子供心からの憧れであり、それを自分の生涯の生業とするのかと聞かれれば、いまいち想像がつかない。
アゼルは足を止めて、村の方を見る。冬の薄日に淡く照らされる村は、何の変哲もない。
「今更だけど、マーレンに拾われて良かったと思っているんだ」
彼が拾われたのは十年以上前、隣の集落に避難民の一団が流れ着いたという話を聞きつけてマーレンが様子を見に行った際に見つけたのだ。その時すでに両親の姿はなく、彼の記憶の中にも両親の姿はなかった。
だから、アゼルにとってマーレンは親であり、この村は故郷なのだ。だからとても離れがたい、アゼルはそう言って、表情を隠すように遠くを見た。
「私も、同じ」
セリスはつぶやくように言う。
彼女がここに来て、まだ一年にもならない。だが記憶を無くしている彼女にとって、この村での記憶が全てなのだ。アゼル達とともに過ごしたこの一年足らずの日々は、彼女のかけがえのない思い出なのだ。
だから、思い出せない記憶より、この確かな日々の方がずっと大切だと思っている。セリスはそう言って、アゼルの手を取る。
驚いたようなアゼルの顔に、セリスは恥ずかしそうに視線を落とした。
「おぅい。そんなとこで突っ立ってて、寒くないんか」
薪を抱えた師匠の大きな呼び声に、二人ははっと離れて気まずそうに顔を背け合う。持ってきた包みを掲げてわざとらしく走り出したアゼルの後を、セリスは慌ててついて行く。
甕を開けると独特の臭いが立ち上ってくる。魚を開いて蒸した雑穀や豆とともに塩で漬けて発酵させたトッサムという漬物。秋の終わり頃に仕込み、年が明ける頃から食べられるようになる。少ない塩でも作れる保存食なのだが癖のある味であり、春になる頃まで漬けたものは、食べられないという人も多い。
「今の人は贅沢になったもんだよ、昔の冬のご馳走といえばこれだったのに」
マーレンはそう言いながら、子供達が残したトッサムを食べていく。ナギとヤナンに鼻をつまむのをやめさせるが、セリスも食べられずに残している。
寒さもだいぶ緩み、日の光には春の兆しが見えるようになってきていた。早速芽を出した若菜の緑が、粥の鍋の中にも浮かんでいる。もうしばらくすれば、年に一度の祭りの準備が始まる。
「兄ちゃん、今年も一番になる?」
ヤナンの問いかけに、アゼルは力強くうなずく。祭りに先立って行われる『酒鞠追い』に、今年も出場するのだ。彼は去年、ゲランの三連覇を阻止している。
動物の皮で作った人の頭ほどの大きさの鞠に酒を詰め、それを村の若者たちが奪い合いながらファロの木を目指す。鞠を持ってファロの木にたどり着き、最後に鞠を木に叩きつけて中の酒を捧げた者が勝者となる決まりだ。
アゼルに言わせれば、取り巻きを使って鞠を運ばせ、鞠を木に叩きつけるところだけやって勝者を名乗るゲランの方が卑怯者だった。だから、ファロの木に至る道に様々な仕掛けを事前に仕込んでおいた事を卑怯と言われる筋合いはなかった。
そのためゲランは、アゼルが魔術を使って不正をしたなどというと言いがかりをつける事しか出来なかった。それが去年の決闘騒ぎの直接の原因だ。
今年は正々堂々の勝負になる、アゼルは気合を込めて言った。マーレンは渋い顔をするが、何も言わない。突然、ドアを猛烈にたたく音がした。
「マーレンさん、怪我人だ!」
血相を変えた村人がそう言って飛び込んできた。外に出ると、馬に引かせた荷車がやって来るのが見える。マーレンは子供達に指示を出して、治療の準備を整える。運ばれてきた怪我人の顔を見て、彼女の顔色も変わった。
隣村に嫁いだユンハの夫が、大怪我をして運ばれてきたのだ。しかし付き添う人の姿はない。運んできた村人に聞いても、村と村をつなぐ道の中ほどで倒れているところを見つけて慌てて運んできたのだと言うだけだった。
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