第2話 ③

「それが、魔女が新しく拾った女か」

「あ、あのセリ……」

「挨拶なんて、する必要ない」

「いらねぇよ、気持ち悪い」

 ゲランのその言葉に、アゼルは奥歯を噛む。相手の安い挑発に乗る必要はないし、ここで何を言っても無駄だ。そう考えてその場を離れようとするが、取り巻きの何人かが人込みに紛れて背後に回り込んでいるのに気付いた。

 ゲランの背後にいたにやけ顔の取り巻きが、わざとらしい口調で言う。

「駄目だぜゲラン。まだ魔女って決まったわけじゃない」

「だから何だ?」

「まずはちゃんと確かめなきゃならんだろ」

「……おぉ、そうだな」

 アゼルはセリスたちをかばうように体を前に出す。にやけ顔の取り巻きが、もったいつけるような足取りでアゼルの眼前までくる。

「そいつが危険な魔女かどうか、ゲランが今晩じっくり調べてくれる。そっちのガキもついでに剥いてやるよ」

 魔女は腹に呪文が書いてあるんだろ、その取り巻きは笑った。アゼルは静かに息を吸い込み、眼前の男を無視してその向こうにいるゲランに向けて声を発した。市の喧騒を突き抜ける、力強く怒りに震える声。

「ゲラン! あの決闘の決着、今日、この場で付ける!」

「てめぇ、負け犬の分際……」

「村中の人が知っている事を、知らないとは言わせない」

 春先の決闘の顛末はみんな知っていた。ゲランの取り巻きは自分達に有利な噂を流そうとしたようだが、実際の噂ははるかに早く村を駆け巡っていた。娯楽の少ない村で、こういう話は格好の話のネタなのだ。

 アゼルとゲランを取り巻く人垣が出来上がっていく。人々の囃し立てる声に合わせて、隊商の楽師が音楽を奏でだした。アゼルは人垣の真ん中に進み出る。ゲランも後には引けなくなった。

 互いに名乗り合う事なく、いきなり拳を交える。双方の拳が、双方の頬を捉えた。体格が大きい分、ゲランの打撃の方が強い。よろめいて見せたアゼルはしかし、追撃の拳を掴みとめて投げ技に転じる。だが綺麗な受け身を取ったゲランは、難なく立ち上がって見せた。

「もうそれは通用しねぇよ」

「練習なんかしてたのか、似合わないな」

 アゼルの挑発めいた言葉にも、ゲランは乗らなかった。

 ちゃんと戦えばゲランは十分に強い。アゼルは内心の焦りを見透かされまいと、拳を顔の前に構える。ゲランも慎重に間合いを取って対峙する。人垣の興奮は高まっているが。中心の二人はジリジリとした膠着状態に陥っていた。

 不意に人垣から一人の老人が抜け出してくる。足元のふらつくその老人は、ろれつの怪しい声で怒鳴った。

「駄目だ、駄目だ。決闘には正式な立会人が必要だ」

「し、師匠?」

「不肖ながら、このディカルダ・ナンセ・スメラが、立会人を務めさせていただく!」

 高らかにそう宣言した老人は、唖然とするアゼルとゲランに一礼すると、盛大に吐く。二人は同時に悲鳴を上げて飛び退った。老人はそのままあおむけに倒れると、大いびきをかき始める。

 人垣は爆笑し、楽師が滑稽な拍子を合わせた。アゼルとゲランの目が合う。

「気が抜けた、やめだ」

 ゲランはそう言って、人垣をかき分けるように立ち去り、取り巻き達が慌ててその後ろをついていく。アゼルは全身の力を抜くと、何度も大きく息を吐いた。

 そして、駆け寄ってくるセリスたちに謝ると、地面の上で手足を広げて寝ている師匠にも、小さな声で礼を言った。






 池で捕った魚を干物にする際に出る内臓や干物にならない小魚などを、甕の中で塩漬けにして液状になるまで発酵させたものを濾し、そこに様々な香草を漬け込んで作ったマーレン特製の調味料。発酵中は独特の臭いがすることから、池の向こう側の小屋で作っている。

 たくさん作っているわけではないが、癖がある味のため村でも使う人は多くない。だから、隊商の責任者からの売って欲しいとの申し出に、あるだけ全部持って行った。思ったよりはるかにいい値段になったため、昨日の騒ぎで買えなかった肉や飴と、他にも色々と買ってアゼル達は家に帰った。

 二日酔いの薬を届けてくるとアゼルが再び家を出ていき、入れ違いに来客があった。マーレンは子供達の相手をセリスに頼むと、来客用に茶を煎じる。

「マーレンさんには、申し訳ないと思っとる」

「いいんですよ、こういうのはどこにでもある事です」

 来客はこの村の村長だった。市の方を息子夫婦に任せて、こちらに足を運んだのだ。昨日の一件は早速村の噂になっていた。喧嘩など珍しい話ではなく、ましてや子供の喧嘩に大人が何かを言う必要もない。それでも村長が足を運んだのは、ゲラン達の態度が村の態度ではないと釈明するためである。

 村が大きくなるにつれて住民の中に序列意識のようなものが生まれていた。村長のように昔から村に住んでいる旧住民、早くに財産とともに辺境へと逃れてきて村を拡大した新住民、そして戦乱や魔物の害から逃げ延びて村に居ついた池の端の住民。ゲランは新住民の代表格であり、彼らが池の端の住民を見下しているのは周知の事実であった。

 マーレンがこの村にやって来たのは、まだここが辺境の寒村であった頃であり、村の中では古くからの住民になる。池の端に居を構えているのは、彼女が魔術師だからだ。光と闇の二柱の神を祀る聖堂に勤めていない魔術師は、人里から離れて暮らすのが不文律であった。

「村が大きくなったのだから、私が池の向こう側に住むべきなんですよ」

「そんな事、言わんでくれ。あんたを頼りにしている村人は多いんじゃ。池の向こうに行かれたら、怪我人を診てもらうのも手遅れになってしまう」

 村長は小さく息をついて、新住民のおかげで村が豊かになった事、それでも村の現状を快く思っていない事を、率直に語った。マーレンは視線を落として茶をすする。

「最近ではこの辺りでも魔物の噂を耳にするようになった。もし魔物が現れたりしたら、あんたみたいな人がいてくれんと、わしらではどうしようもない」

 混沌たるウィドが形を成した、魔物と呼ばれる存在。王国崩壊後、各地に現れるようになり実際に被害も出ている。魔術とは人間がウィドを操る技術であり、本来は魔物に対抗するために生み出された術であった。

 村長の言い分はどこまでも率直であり、ある意味好感の持てるものである。マーレンは苦笑いをして、自分も魔物と戦ったのは若い頃に一度だけだと言った。豚ほどの大きさの魔物を一匹退治するのに、丸一日の時間と大怪我まで必要だったのだ。大きな期待はするなと、マーレンも率直に言う。

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