第1話 ③

 家には既に家族全員がそろっている。マーレンと、女の子が一人に男の子が二人だ。集まってくる三人に籠の中を見せると、アゼルは中から細長くうねる魚を取り出し、マーレンに夕食に加えてくれるよう言う。残りは開いて一晩干して明日の朝に焼けばいい。

「魚は俺がやるから、ナギとヤナンはたれを作れ」

 アゼルは二人の男の子にそう言うと、庭に出てもらってきた魚を捌く。日が暮れてしまう前に終わらせなくては手元が危ない。開いた魚を笊に広げて網をかけると、竿を使って軒の高いところに吊るした。台所からは魚の脂が激しく燃える音が聞こえてくる。

「リノン、焦がすなよ」

「兄ちゃん、手伝って!」

 炎を上げる魚に手間取っていた女の子が、怒った声で言う。アゼルは炎を吹き消すと、魚の位置を少し上にした。男の子が持ってきた木の椀に、マーレンが細かく刻んだ香草を入れる。かまどの鍋からはいい匂いが漂ってきた。

 テーブルには豆と根菜のスープ、雑穀の粉で作った固焼きのパン、そして焼いた魚。腹開きにして骨を取り串を打って焼いた魚には、庭の木になっている酸っぱい果実の汁に塩と香草を加えたたれをかけて食べる。

 マーレンは席についた家族を一人一人見まわし、祈りの言葉を唱える。

「今日の糧をもたらした調和と秩序を、明日の安寧をもたらす調和と秩序に」

「調和と秩序に」

 いつもと変わらない食卓。まだ幼いナギとヤナンの世話を、年上のリノンが焼いている。最近はアゼルにも口やかましく言うようになってきた。案の定、服を破いた事を言われる。ナギとヤナンはしきりに今朝の事を聞きたがるが、マーレンがそれをたしなめた。喧嘩の話など言いふらすものではないと。アゼルは喧嘩ではないと抗議の声を上げる。

 数日前に行われた村祭りでの『酒鞠追い』で、勝ったアゼルに対して不正の言いがかりをつけたのはゲランであり、その嘘と侮辱に黙って耐えるのは間違っていると。アゼルの真剣な目に、マーレンはそれ以上何も言わなかった。

 食事が終わり、台所が綺麗に片付くころには、ナギとヤナンはリノンと一緒にベッドに入っている。アゼルは庭で木剣の素振りをしていた。

 師匠と慕う老人に教えられた通り、視野を広く深く周囲の全てを意識し、打ち込む一瞬にだけ敵への意識を集中させる。大きく剣を振るう時はそれで敵を倒そうとは考えず、敵を倒す時は最小限の動きで剣を振るう。素振りであっても、剣を振る事でなく、戦いに勝つ事を考えて行うのだ。木剣を真っ直ぐ構えて、アゼルは大きく息を吐いた。

 マーレンは濡れた手ぬぐいを持って庭に入る。汗を拭って寝るようにアゼルへ声をかけた。素直に礼を言って彼は家に戻る。その後ろ姿に、大きくなったものだと彼女は微笑んだ。

 アゼル達四人の子供はそれぞれ孤児で、マーレンが引き取って育てている。皆、この村の外で拾われた子供で、彼女はそのような生活をもう何十年も続けていた。






 翌日、アゼルは頼まれていた畑仕事の手伝いに行き、日当と麦を半袋ほどもらう。頼まれていた薬の配達や代金の回収を終えて家に戻ると、日は真上をずいぶんと通り過ぎていた。食卓の上の昼食を口に詰め込みながら、荷物を置くだけ置いて再び家を出る。

 庭先で二人の男の子に本を読み聞かせていたリノンが、マーレンの出した課題をちゃんとやれと怒っている。

「師匠の手伝いも頼まれてるんだ、また魚持ってくるから!」

 振り返って、足は止めずにそう言い訳をして、アゼルは走っていった。

 マーレンは博識な人で、子供達にも読み書きを教えてくれている。独立する時、字の読み書きが出来るのと出来ないのとでは、その後の生活に大きな差が生まれる、彼女はしばしばそう言っていた。しかしアゼルはこのところ、そのマーレンの課題を怠けがちだった。

 一通りの読み書きは何とか出来るようになっているのでそれ以上の必要性を感じない事と、他にもやる事がたくさんあるからだ。アゼルは、毎日あちこちで村人の仕事の手伝いをしている。

「俺も来年には家を出る年だから、どんな仕事が自分に向いてるか色々と試したいんだよ」

「なら、読み書きのいる仕事も試さんとな」

 商売をするなら読み書きだけではなく計算もできるようにならなくてはならないし、王侯貴族に仕官するなら腕っぷし以外に色々な教養が必要とされる。舟の櫓を漕ぎながら、老人は言った。

 孤児のアゼルには、受け継ぐ土地も、継承すべき家業もない。それは逆に、様々な選択肢があるという事にもなる。マーレンが読み書きを教えるのは、それが選択肢を格段に増やす手段だからだ。老人はそう解説した。

 あまり納得していない顔のアゼルを笑い、老人は池の中ほどに立てた目印の竿に舟を寄せた。仕掛けを引き上げると、昨日よりはたくさんの魚がかかっているようだ。仕掛けを二つほど引き揚げると老人は言った。

「こりゃ、思ったよりも捕れるな」

 残りの仕掛けはそのままにしておいて、明日の朝に引き上げる事にする。捕れすぎた分は加工に回すので、マーレンにも声を掛けておいてもらうようアゼルに頼んだ。これは、明日も手伝いに来いという事だろう。

 ちゃんと剣術の稽古をつけてくれと言おうとしたアゼルは、遠くの水面に何かが浮かんでいるのを見た。木の枝などとは明らかに異なるその見た目に、彼は強い違和感を覚える。よく見ようと急に立ち上がったため、舟が大きく揺れた。

「どうした急に、気を付け……」

「人だ! 師匠、人が浮いてる!!」

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