第1話 ファロ村のアゼル
第1話 ①
風はもう冬のものではない。春の息吹という言葉そのままのような風が、草の生えだした野原を吹き渡り、芽吹きだした木の枝を微かに揺らしている。そして、緩やかな斜面になっているその野原は今朝、ちょっとした緊張感に包まれていた。
野原の一番高いところに、少年たちの一団が陣取っている。その真ん中にいた一回り大きな少年が、斜面を登ってくる一人の少年を睥睨していた。
斜面を登ってきた少年はその中ほどで立ち止まり、風が吹き乱す赤茶色の前髪をかき上げると、視線の先にいる一団をまとめて睨みつける。そして怒気を隠す事のない声で言った。
「決闘だぞ!」
「手出しはさせない。見届け人だ」
斜面の上に陣取っていた少年たちは、真ん中の少年の合図で広がる。二人の少年を遠巻きにする形で、決闘の舞台が整えられた。斜面を登ってきた少年にとっては取り囲まれた形にもなるのだが、彼は小さく舌打ちだけをして決闘の名乗りを上げる。
「俺はファロ村のアゼル・ナン! この決闘に勝ったあかつきには、貴様が弄した虚偽と侮辱を皆の前で取り消してもらう!」
「ファロ村の外れの池の端のアゼルだろ、名乗りくらいはちゃんと……」
「俺は名乗り終わった!」
アゼルと名乗った少年は、相手が自分をあざける言葉を言い終わる前に殴りかかった。完全な不意打ちで地面に転がった相手を見下ろし、アゼルはきちんと名乗りを上げるように言う。
「クソが! 俺はファロ村のゲラン・バァク! 決闘はガンサ、決着の判定は見届け人にやらせる」
決闘は申し込んだ方が要求を、申し込まれた方が闘い方を決める。ガンサはこの地方の格闘技の一つで、殴る蹴るに加え投げ技が許され、関節技や締め技そして倒れた相手への攻撃が禁止されている。
勝敗はどちらかが立ち上がれなくなった時とされるが、その判定を取り巻きが行うのであれば、アゼルは転んだだけで負けとされるだろう。そんな不利は百も承知とばかりに、アゼルは打って出る。
体格はゲランの方に少し分があるが、アゼルの腕は巧みにゲランの攻撃を凌いでいた。牽制の攻撃には目もくれず、重い一撃だけを見極めて防御を固める。攻撃直後のゲランの伸び切った手を、アゼルが掴みにいく。投げ技を警戒して後ろに下がるゲランに対し、素早く踏み込んだアゼルの拳が撃ち込まれた。
重心を低くし両腕でしっかりと上半身を固めているアゼルに、ゲランが与える有効打は少ない。逆に、アゼルの攻撃は少ないながらも的確にゲランの脇腹に蓄積していった。
「てめぇ……さっきからチマチマチマチマと!」
大きく距離を取って脇腹を押さえるゲランはそう毒づくと、アゼル目掛けて一気に駆け出す。その勢いを利用して投げ技を仕掛けようとするアゼルの目の前で、ゲランが飛んだ。両足を揃えての飛び蹴り。意表をついた攻撃をまともに食らってアゼルは転がる。相手より一瞬でも早く立ち上がれば勝ち判定をもらえるという、計算ずくの捨て身戦法だ。
だがアゼルは、斜面を二回だけ転がるとその勢いを立ち上がるのに利用する。そのまま斜面を駆け下りそうになるのをたたらを踏んで持ちこたえたが、振り向いたところにゲランの拳が待っていた。
「終わりだ!」
ぐらついたアゼルに追撃の蹴りを撃ち込むゲラン。
「舐めるな!」
素早く膝をついて後頭部を狙った蹴りをかわすと、ゲランの軸足の膝に思い切り拳を叩き込んだ。たまらずに倒れ込んだゲランに、アゼルは立つよう促す。それが挑発に見えたのか、ゲランが猛然と飛びかかってきた。計算も何もない相手の動きを見て、アゼルはそれを鮮やかに投げ飛ばす。
アゼルは口の中の血を吐き捨て、周りの少年たちを見た。受け身を取り損ねたゲランは、なかなか起き上がらない。このままアゼルに勝ちの判定が下されてもいいはずだ。しかし、そんな判定を下すために取り巻きを集めたわけではないのだろう。
ようやく上半身を起こしたゲランに視線を移したアゼルは、同時に背中に強い衝撃を受けた。振り向く間もなく次の衝撃に襲われ、彼はたまらず斜面を転がる。取り巻き達が一斉に飛びかかってきた。
卑怯だと言う事もなく、アゼルは立ち塞がろうとする少年の腰に飛びついて押し倒すと、その肩を踏みつけて斜面を駆け下る。視界の端には、ようやく立ち上がったゲランが腕を振り回しているのが見える。追え、追えと盛んに言っているのがはっきりと聞こえた。
斜面に一本だけ生えている木を目掛けて、アゼルは全力で走る。その勢いのまま幹に足を掛けると、トントンと二歩で枝に飛びついた。
「囲め! 絶対逃がすなよ!」
「逃げるかよ!」
アゼルはそう言い返して、枝から飛び降りる。その手には彼が普段の稽古で使っている木剣が握られていた。
「うわぁッ! 武器を隠してたなんて卑怯だぞ!」
「そのまま返す!」
先頭に立って追いかけてきた少年の腰を薙ぎ、驚いて転んだ少年を無視し、逃げようと背中を向けた少年の尻を思い切り叩く。大きく木剣を振り回しながら周囲を牽制し、アゼルは再びゲランへと向かっていく。ゲランは大声で取り巻きを鼓舞するが、彼らの腰は完全に引けていた。
それでも果敢に向かってきた一人の少年の足に、アゼルは木剣を投げつけて転ばす。周りに誰もいなくなったゲランに向かって、アゼルは今日一番の大声で怒鳴った。
「ゲラン! 覚悟!!」
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