第7話
「皆さん本日はお忙しい業務の最中お邪魔させていただき、誠にありがとうございました」
鳴り続けていたコールのラッシュも落ち着いた夕ぐれ時。西日の射し込むブース内で、深津課長はそう述べた。
彼女たちにとってはクライアントにあたるVaios社から来た、私たち二人を見送るため電話対応中でないスタッフや、リーダー以上の役職の者が円陣を組むように集まっていた。
目の前には、マネージャーである野崎さん。
そして、かつての私の先輩であり、現窓口のSVである逢沢先輩。
その隣には、先ほどまで目を腫らしていた伊藤さん。
その面々を前に、私も一言挨拶を述べる。
「……このたびは、私にとっても縁の深いTra-fixs社様へ出向くことができ、皆さんの業務を間近で見させていただきとても勉強になりました。私が御社のスタッフとしてコール対応についていたときの、かつてSVとしてご指導いただいた野崎さんをはじめ、現SVの逢沢さんとも顔を合わすことができ……。とても、貴重なお時間でした。ありがとうございます」
半分は本心。半分は皮肉。
ここで毒を吐くほど私はつまらない人間ではなくなったし。
かといってここでプラスアルファの気の利いたことが言えるほど、Tra-fixsを好いてはいない。
目を合わせた野崎マネージャーは、どこか安堵のような表情。
そして、逢沢先輩はかつてと変わらぬ険しい表情だった。
「それでは……、私と、逢沢SVで見送りしますのでこちらへ」
野崎さんがそう口にして、一歩踏み出したとき。
ある声がそれを妨げた。
「あの……! あの。勝手ながら……私に、Vaios様にお話があります!」
そのまだ幼さの残る震えた声は、伊藤さんのものだった。
「伊藤くん、そういうのは……Vaiosさんがお帰りになられたあとで、電話やメールでも……」
「それじゃ、ダメなんです!」
野崎さんの制止を振り切るような言葉で、伊藤さんは意を決したように手にもった黒いバインダーを前に出す。
「伊藤さん! やめなさい」
一喝したのは逢沢先輩だった。
「やめません! 坂口さんとさっき話をしてて、私思ったんです! このままじゃだめだって、つまらない人間になるんだって」
「なんの話をしてるのよ……! クライアント様のまえよ!」
そのとき、私には彼女が何を話だすのか、わかってしまった。
それはきっと深津課長もそうだったのだと思うけど……深津課長はそれは訝しむようなものでもなければ、したり顔でもなかった。
ただ、無表情で伊藤さんを見ていた。
「私がいまのデータを取りまとめる業務についたのは2年前で……その3年以上前のデータから見直しました! Vaiosさん……いえ、深津さん! 坂口さん! 本当に申し訳ございませんでした……! ごめんなさい! 5年前から提出していたデータは、改ざんしたものでした――!」
「伊藤さん! 滅多なことを言うんじゃない。深津課長、たぶんこの子はまだ未熟なもので……おそらく数値の出し方を誤っているものだと。事実はこちらで再度確認しますので……」
「間違ってません! 何度も確認しました。まとめたものがこのバインダーにあります。何より改ざんは……私がやりました」
ブース内がざわつく。
だめだ、この問題をこのままにするわけにもいけないけど……。まだ対応をしているスタッフもいる。その先にはお客様がいる。
伊藤さんの報告は正しいものだけど、その対応は社会人として間違っている。
「……事実確認は、後ほど戻ってからしっかりさせてもらいます。なので、今はブースから出ませんか?」
深津課長の許可もなしに、私は咄嗟にそう口にだしていた。
そしてもう一言、はっきりさせるべき事柄にたいしてこう言葉を告げた。
「伊藤さん……本当のことを話してくれてありがとう。その改ざんは貴女の判断ですか?」
「……逢沢SVです」
「勝手なことを……勝手なことを言わないで! 違うわよ、私はなにも言ってない。データの報告はしっかりマネージャーにもしてますし。ですよね野崎マネージャー!」
「あ、ああ。なにかおかしなところがあれば私が気づいてるはず――」
「不倫してるじゃないですか! だから逢沢先輩がSVにあがったの私、知ってるんですよ!」
そういえば、野崎さんは既婚者で。
もしその言葉の通りなら、逢沢先輩と……。もう無茶苦茶だ。
「――Tra-fixs様とは長いお付き合いですから、いまここで聞いたお話は私の胸のうちにおさめます。ただし、正しいデータを改めて事実確認のうえ、私と、CCに坂口を加えて明日までにメールで送っていただけますか?」
いつもより少しだけ大きくて、やや低い深津課長の言葉にシン、と静まり返ったブース内。
「……大変、失礼しました」
「じゃあ……出口まで案内しますので」
伊藤さんが謝り、野崎さんは項垂れながらも、やるべきことのために動き出した。その場から動けない様子でいたのは、逢沢先輩だった。
「……なんなのよ、なんで私が……」
列の後ろをついて最後まで残っていた私だから聞こえた、恨みつらみの言葉。
でもね。『なんで私が』なんて、貴女の下で私は言い尽くしてきたの。
だから、一言も声をかけずに立ち去るつもりだった。
手を掴まれるその瞬間までは。
「……上嶋さん、待って! 貴女なら、なんとかしてくれるよね?
懇願の言葉の中にも、いやらしさが纏わりついていて。
そんな言葉を吐く彼女に対して嫌悪感を覚えるとともに
あまりのつまらなさに、彼女が哀れにすら思えた。
「私はいまは坂口ですし。前にも言いましたが……もう私、貴女の部下ではありませんので。失礼します」
彼女の腕を振り払ったとき、下を向く伊藤さんと目があった。
かつての自分と同じ境遇のなか、違う道を選んだ彼女が、これから先どういった生き方を選ぶかはわからないけど。
それが、つまらないものでないことを。
ただ祈ってる。
<大変お言葉ではありますが……もう私、貴女の部下ではありませんので。・完>
大変お言葉ではありますが……もう私、貴女の部下ではありませんので。 甘夏 @labor_crow
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