4
楓博士の休暇は一日だけだった。数回に分ければ日帰りも可能な手術だという。
「次は一週間後なの」
声を
「……そう、ですか……」
わたしは、ぼんやりと、博士を見つめた。わたしの中で、
「きれい?」
楓博士が無邪気に尋ねる。
「ええ、とても」
わたしは肯定する。博士の望む答えを、正しく返答する。けれど、次に博士の口から放たれた
「ほんとうは伊
博士は苦笑する。わたしが
「発売当時から、伊群の
「……そんなに、需要が、あるのですか」
回収命令が出された《オルタナ》なのに。
「躰は正常だもの。部品としては、何の問題もないわ」
「……躰は正常……?」
じゃあ何が――と、言いかけたわたしの声は、
「失礼します」
静かに放たれた声には聞き覚えがあった。開発部の主任だ。以前は同じ課で毎日顔を合わせていたけれど、楓博士が今の部署へ異動になってからは、ほとんど見ていない。わたしの心臓が、どくんと跳ねた。そうだ、このひとは――
「頼まれた
均整のとれた小柄な
「……梍博士……」
わたしの呟きが、足もとに
「…………母さん……そのからだは……なに…………?」
梍博士の手から、硝子の
「驚きすぎよ」
でも嬉しい、と、楓博士は笑った。
「見違えたでしょう、私。あなたを、びっくりさせたくて、異動してから、ずっと、あなたに、見せてこなかったもの」
うたうように、楓博士は続けた。場違いなほど、朗らかに。
「姿が変わると、心の持ち方だって変わるものね」
一歩、楓博士が、梍博士に、距離を詰める。
「どう? よく見てちょうだい、梍」
楓博士が微笑む。亜麻色の髪が縁取る、ほんのりと桜色に染まった、透き通るような白い頬で。
「桜の体に、近づけたかしら」
「この体なら、
「……さ…………」
梍博士の喉が、呼吸を塞ぐのが分かった。零れかけた声は言葉をかたちづくることなく、引き
「……すみません、また、あとで」
狭まる喉で、震えた唇で、絞り出すようにそれだけ言って、梍博士はきびすを返した。ふらりと
「あんなに驚くなんてね」
くすくすと笑う声が、静寂を破り捨てていく。
床に散らばった硝子の破片を、わたしは手早く片づけた。
「この試料、もらってきます」
楓博士の返事を待たず、わたしは小走りで研究室を出た。
廊下のつきあたりで、左右を見回す。最奥の排水溝の前に、膝をついた白衣の背中を見つけた。ひとけのない、影の下で、
「梍博士」
白い背中に、わたしの影が落ちる。梍博士が、ゆっくりと振り向く。
――わたしは、そこに、自分と同じ闇を見た。
冷たい深淵が四方から押し寄せ、わたしたちを呑みこんでいく。光も音もない、
「わたしと、一緒に、来ていただけますか」
吐き出した声は、透明な
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。