3

 暖炉の薪のはぜる音が、閉ざされた部屋に満ちる静寂を、環境音楽アンビエントのように快く揺らしている。重厚な緞帳の下がった窓の向こうには、いちめんに広がる、磨硝子のように凍てついた初冬の夜空。邸の外は、きっと冷たいのだろう。ぼくは想像する。ぼくが感じるあたたかさを、たしかめながら。

 柔らかな寝台に、なにもまとわない躰をゆだねる。季節感を狂わせる、完璧に整えられた空調。安定した淡さで影を描く洋燈。ゆらめく暖炉の炎。あたたかい。ここは、あたたかい。このしあわせは現実だろうかと、頭の隅に、ふと自問がよぎる。けれど、現実かどうかなんて、どうでもいいことだと、すぐに思い直す。もし、これが現実なら、この奇跡に終わりが来ないことを祈るだけ。もしも夢なら、醒めなければいいと願うだけ。

(今日は、いつもより、すこし、荒い……?)

 指をつかうのもそこそこに、博士はぼくの中に入ってきた。博士の手が、唇が、舌が、牙が、ぼくの頬に、首に、肩に、胸に、脚のはざまに、ひとつひとつ蒔いてきた快楽の種が、ひといきに芽吹き、ぜるように咲いていく。加速する波。あばらの内側を破るように打ちつけるつづみ。跳ねる肩。全身に灯った熱が一斉に、ぼくの躰の中心へ集束していく。だめ、まだ、早い――刹那、ぼくの反応を見計らったように、博士の手が、ぼくの兆しを封じた。きつく握られて、頭の奥が、じん、としびれる。透明に近い白が、博士の指のあいだからじわじわとにじみ、博士とぼくのはざまを伝う。ぼくからあふれた、未来の屍骸。それさえ利用して、博士は、ぼくの中へ。重みをのせ、ずっと、もっと、奥へ。

「っ……ん……」

 声を呑みこむ。ぼくは躰をわずかにそらして、上手に息を吐いてみせる。呼吸の仕方も、よがりかたも、ずっと上手くなれたと、思う。

「大分、おぼえてきたようだね」

「はい」

 ぼくは微笑む。ぼくに覆い被さる博士の顔は見えなくて、降り注ぐ声に温度はなかったけれど、言葉ひとつで、ぼくは、こんなにも報われる。

「……そろそろ、使えるか……」

「え……?」

 ぼくが聞き返すのと、博士がいましめの指を解くのは同時だった。悲鳴とも嬌声ともつかない声を、必死で抑える。全身が、わななく。中心から駆け上がる痛みと、爆ぜる熱。頭の芯が白くき切れ、博士がつくりだす大きな波に、ぼくは夢中で身を投げる。

(これで、いい)

 これでいい。このすべてを、ぼくは許容している。いや、享受している。この痛みも、熱も、すべて、ぼくのものだ。このひとの心が、ぼくに注がれているという、しるしだ。

 ぼくの命を肯定する、あかしだ。

(博士)

 呼びたかった。でも、呼べなかった。

(梍博士)

 ぼくに名はない。このひとは、ぼくを抱くあいだ、一度もぼくを呼んだことがない。

(さいかち、はかせ)

 繰り返し、くりかえし、このひとのつくりだす波にゆられながら。

(どうか、ぼくを)

 吐き出せない声が、言葉が、ぼくの中に降り積もっていく。すべてを押し潰す雪のように。冷ややかな、白さで。


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