n+5
わたしの
「待っていた」
門の前で、
「待ちわびていた」
すらりとした主の腕が、わたしたちの背中に回る。華奢だけれど、かっしりとした、きれいな青年の腕だ。この腕の、元の持ち主は、どんな《オルタナ》だったのだろう。わたしは目を細める。着物越しに伝わる主の体温が、わたしの躰を染めていく。
「愛しています、主」
わたしは返答する。正しく、この躰の定義のとおりに。
「愛しています」
わたしたちは、
+
窓の外に、茜の紗が広がっていた。まもなく陽が落ちる。夜を告げられる。
イサナの髪を、わたしは整えていた。いつかのように――いつもの、ように。
「ありがとう。交代するね」
イサナは微笑み、わたしの手から、
椅子にはイサナのぬくもりが残っていた。わたしの腿に、脚のはざまに、じわりとイサナのあたたかさが
イサナの手が、わたしの髪を
「……や……」
かしゃん、と、鋏の落ちる音が響く。無意識に、わたしは、鋏を振り払っていた。胸の奥に走った
「……いや、だ……切らないで……」
整えないで。
「イコナ?」
揃えないで。
「わたしは――」
席を立つ。イサナのぬくもりが、わたしから離れる。振り返って、向かい合う。
「……同じ……じゃない……」
おんなじ、じゃない。
ぱきり、と、胸の奥の硝子が砕け、破片を落とす。それは
――終わりのときは、あなたの手で。
躰の内側に、声が響く。懐かしい声。
「わたしは……ここにいる」
わたしは触れる。わたしの記憶に。《イノセンス》の
「あなたは、ここにいる」
イサナの
遠い昔……最初のイサナが、わたしに触れたときのように。
「わたしたちは、等しくない」
だから願える。わたしから、あなたに。
「わたしたちは、均しくない」
だから望める。わたしから、わたしたちに。
「ひとりと、ひとりの、命だった」
わたしは
「わたしのからだを、わたしにおしえて」
白い頬から、黒い髪へ、指をすべらせながら。
「わたしのいのちを、わたしにつたえて」
深く
「……イコナ……」
イサナが呟く。深淵の瞳が、波紋を立てるようにゆらめく。
「……わたしたちは……」
白妙の手が、わたしの頬を、そっと包む。わたしを見つめるイサナの
「……あなたと、わたしは……」
囁きにのせて、イサナの唇が、わたしのそれに、ふわりと重なる。絹の紗のように、柔らかく、優しく、わたしの呼吸を
「…………永遠に一緒じゃ、なかったの…………?」
イサナの手が、わたしの
私の温度が、わたしの温度を、わたしに伝える。
私の手が、わたしの輪郭を、わたしに教える。透明だったわたしのかたちをなぞり、描き出していく。
わたしが染まる。色づいていく。私に触れられた場所から。無色透明だったはずの、わたしという器に、わたしの色が、
わたしの、意思の造形。わたしだけの、意志の色彩。
私の指が、わたしの影に、
わたしはひらく。わたしのからだを、私ひとりにあてて。
(
ぎゅっと目を
(灼ききって。
このからだから、解き放って。
(もっと)
触れて。伝えて。確かめさせて。
わたしはここにいるって。わたしはここにあるって。
わたしのからだを。わたしのこころを。
わたしの意思を、意志を、遺志を。
命を。
――疑わず、安定性を保て。
――考えず、公共性を保て。
――表さず、調和性を保て。
試験管の中で、繰り返し言い聞かされた言葉は、きっと、呪文だった。わたしたちの心を守る、封印だった。
けれど、わたしは、疑ってしまった。わたしの在り方を。考えてしまった。わたしという存在を。そして今、こうして表している。わたしの望みを。わたしの願いを。
このからだから。このこころから。
「……さいごまで……泣けなかった……」
目をあけて、わたしは微笑む。
「…………ね……」
私の手を、そっと取る。指を濡らす透明な雫が、つう、と銀色の糸を引いてきらめく。これが、涙なら、よかったのに。
「叶えて、くれる……?」
私の両腕を、わたしは導く。整いきらない呼吸にゆれる、細く弱い、わたしの首へ。
「わたしに……」
どうか。
「自由を」
――《シヴィタス》の意志の下、
無垢な声が、遠くきこえた。
閉ざした
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