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 邸の二階の露台からは、街の風景が一望できた。坂を駆け上がる海風が、わたしたちのはかまをなびかせる。手摺てすりに上体を預けたマスタが、穏やかな声で、わたしたちを呼ぶ。雲間から、わずかに夕映えがにじみ、したたり落ちる茜の雫が、主とイサナの影を描き出す。

「君たちは、ひとの代わりじゃない」

 紫煙とともに、主の言葉が潮風に流れる。わたしに煙管キセルを渡すと、主はその手をイサナの肩から胸へと進めた。イサナのからだを後ろから抱きすくめて、主はイサナのえりおもむろにひらく。あらわになった首筋の白に、茜の光と、主の影が落ちる。

「ひとなんかの、代わりじゃない」

 喉の奥で、主は笑う。

「あんな醜いものの代替だなんて、吐き気がする」

 《カンパニ》の連中は何もわかっていない、と主は舌打ちして、イサナの躰を強く抱きしめた。先刻、《カンパニ》から届いた書類に、何かいやなことが書かれていたのかもしれない。

「君たちは、《機械》の代わりなんだよ」

「《機械》?」

「そう……《隣の国》ではね、君たちの役目は、《機械》が担っているんだ」

 うたうように呟いて、主は遠い街の向こうに目をった。わたしも主の視線を辿たどり、丘の下に広がる世界を見渡す。

 この国は、平野が少ない。北、東、南の三方を灰色の海に囲まれ、階段状に開拓された土地に黒煉瓦の家がひしめいている。気候は一年をとおして冷涼で、空は薄く曇ったまま、ほとんど晴れることはない。荒海に追われ、潮風に傷んだ、せた土地を、細々と抱えている。資源に乏しく、特に金属は貴重だった。子供は生まれず、老人ばかり増えた。そんな国を支えるために、《カンパニ》が柱にしたのが、生物工学だった。作物の品種改良、人体の老化に抗う技術の開発……そして、わたしたち、《オルタナ》。

「……《機械》……」

 わたしは西の彼方に視線を移す。海岸から続くなだらかな坂を西へ上がりきったところに、豪壮な黒煉瓦の建造物――《カンパニ》の楼閣はたたずんでいる。そして、さらに先、この国の西の果てに目を向けていくと、突如としてそびえ立つ重厚な鋼鉄の壁が現れる。空から巨大なおのを振り下ろしたように、それは大地に突き立ち、陸地を分断し、その向こうの風景を遮断していた。《隣の国》が立てた、国の境界だった。

 《隣の国》は、この国とは違って、資源が豊富で、金属もたくさん採れるのだという。わずかだけれど交易はあって、《隣の国》から入ってきたバゲットや深靴ブーツは、この国でも馴染なじみのものになったし、とりわけ細々と輸入される高価な洋燈ランプは、今では貴族の象徴だ。

 でも、《機械》は、わたしはまだ見たことがない。金属でできているらしいけれど、《オルタナ》と同じように使われるのなら、ひとのかたちをしているのだろうか。わたしたちより、ずっと上手に、義務を果たすことができるのだろうか。需要を満たすことができるのだろうか。

「《機械》には、心がない。意思も、意志も、遺志も、ない。無色で、透明な存在だ。君たち《オルタナ》と同じくね」

 そう言って、マスタはイサナのうなじにくちづけをおとした。

「……同じ……」

 わたしは主の言葉を反芻はんすうする。

 ひとの代わりなら、ひとと同じように扱われるのだろう。

 《機械》の代わりなら、《機械》と同じように扱われるのだろう。

 わたしたちは、ひとのような心をもたない。胎児の段階で脳をいじられて、感情の機能を制御されているから。けれど、わたしたちのからだは、金属でできてはいない。わたしたちは、ひとと、《機械》の、どちらに近いのだろう。

「心は体を蝕み、やがて、命を滅ぼしていく。私は、君たちがうらやましい。心というけがれをもたぬ君たちが、清らかなその身が、愛おしい……」

 主の声が、潮風にさらわれていく。主の手が、イサナのえりから深く沈み、イサナの肩が、ちいさく震える。

「君たちは、美しい、無色透明の器だ」

 主の唇からこぼれ落ちる声が、押し寄せる夕闇ににじんでいく。雲間からしたたる茜の最後のひとしずくが、国境の壁の向こうについえていく。

「さあ、私を肯定してくれ」

 主の言葉が、影にとける。

 ふたつの影が、扉の先の薄闇に沈む。

 ひらかれていくイサナの躰を見下ろしながら、わたしは《イノセンス》の残りを計算する。

 次は、何日、保つだろう。


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