n+1

 この国を水墨画にたとえたのは、昨年粛清された絵師だった。磨硝子のような薄曇りの空の下、黒煉瓦れんがの長屋が続く石畳の街路を、白鼠しろねず色の海霧が流れていく――この国の日常風景を写実的に描きつづけていた人気の絵師だったらしいけれど、どういう心境の変化が彼を蝕んだのか、突然、不認可の絵画を無許可で発表したとして、彼は、この国の民である権利――《シヴィタス》の資格を剥奪され、矯正施設へ送られた。その報道を、わたしはマスタの部屋に置かれていた新聞の切り抜き帳スクラップブック偶々たまたま目にして知った。この国を統べる《カンパニ》の逆鱗に触れた絵画には、いったい何が描かれていたのか。《カンパニ》の警告を、彼は、なぜ無視したのか。《シヴィタス》には、その片鱗さえ知らされない。語ることも許されない。退屈だ、とマスタつぶやく。昔は、ほとんどの悪事には物語が創られたのだという。なぜ殺したのか、なぜ死んだのか、なぜ描いたのか……罪の理由を人々は知りたがったし、語りたがった。それが娯楽のひとつだったからだ。罪の理由が劇的であるほどもてはやされた。辻褄つじつまの合う刺激的な物語さえ与えられれば、それが真実かどうかなんて、どうでも良かったのだ。けれど、あるときから《カンパニ》は、物語を禁じはじめた。同情や共感によって、悪人に追随する《シヴィタス》が出ることをおそれたからだ。《カンパニ》は、《シヴィタス》を、健全に保ち、守らなければならない。だから、悪人は《シヴィタス》とはまったく異なる粛清すべき不純物で、清浄な国をおびやかす汚染源でなければならない。

 つまらない、と主は嘆息する。他者の悲劇をもてあそぶことほど最高の娯楽はなかったのに、と。

「イコナ」

 呼ぶ声に、わたしは、はっと顔を上げた。夕餉ゆうげの食材をそろえるために、わたしは――わたしたちは、商店街に来ていたのだった。

「目的のパン屋さんは、ここ?」

 わたしの隣を歩いていたイサナが、わたしのそでを軽く引く。危うく通り過ぎてしまうところだった。

「なにか考え事でもしていたの?」

 イサナが軽く首をかたむけて尋ねる。肩の上で切り揃えた黒髪が、白い頬にさらりとかかる。わたしを見つめるイサナの黒い瞳には、わたしの――イサナと同じ少女の姿が映っている。

「過去の記憶を再生していたの」

 ごめん、と不注意をびたわたしに、イサナはゆるく首を横に振って微笑んだ。先に店の階段を上がり、扉をあけて、わたしを待つ。扉につけられた土鈴が、からころと温かな音を奏でる。吹き抜ける潮風に、そろいのはかまが、軽やかになびく。そろそろ海霧の立つ季節だ。

「すてきなお店ね。バゲットがとてもおいしそう」

 薄桃色の唇をほころばせて、イサナは呟く。初めて訪れた日に口にした科白せりふと、一言一句、たがわずに――いや、イサナにとっては、今日が、初めてなのだ。イサナの記憶は、長くても、七日間しか保てない。短いときは一日で、わたしはイサナと『初めまして』を繰り返す。

マスタのお気に入りよ」

 わたしはイサナに教える。そうなの、とイサナは笑う。

「憶えておくわね」

 カウンタに置かれていたちらしを、イサナは丁寧に畳んで、大事にふところにおさめた。やしきに戻ったら、イサナはそれを、主にもらったセルロイドの小箱に入れて、大切にとっておくのだ。次に『初めまして』を迎えたイサナの手がふたをあける前に、わたしの手によって破り捨てられるまで。

「日が暮れないうちに、急いで帰ろう」

 食材を包んだ風呂敷を抱えて、わたしたちは歩調を速める。

 灰白色の空に、わずかに薄紅の紗が広がりはじめていた。雲間から射す茜の薄日が、わたしたちの影を淡く石畳に引いていく。同じ長さの、同じかたちの影。坂を駆け上がる深靴ブーツの音も、海風がでる髪も、肌も、みんな同じ。どこまでも、同じ。

 わたしとイサナは、おんなじようにできている。

 さらに言えば、わたしとイサナと、この国のどこかにいる九十体あまりのきょうだいは、おんなじようにできている。同じ遺伝子でかたちづくられたからだで、同じ条件下で同じように動く。等しく、均しく――それがわたしたちの需要であり、定義だ。

「あっ……」

 十字路を折れようとしたとき、イサナは大柄な男の人と、であいがしらにぶつかった。はずみでイサナは後ろに転び、風呂敷の中身が石畳に散らばる。

「どこ見て歩いてんだ、くそがき」

 男の人がイサナを見下ろし、声を荒げてののしる。色褪せて所々摩り切れた浅葱あさぎの作務衣。無造作に束ねた髪に、無精髭。年は四十代後半くらいだろうか。このあたりでは見かけないいでたちだった。仕事を探して農村部から出てきた人かもしれない。

「……ごめんなさい……」

 イサナの消え入りそうな声が、石畳に落ちる。

「ごめんなさい」

 わたしも深く頭を下げる。男の人の鋭い視線が、わたしにとまる。イサナと交互に眺めて、男の人は目をすがめた。

「おまえら、ただの双子か? それとも、《オルタナ》か?」

 男の人が、わたしに尋ねた。わたしは目を伏せ、声を落として回答する。

「……《オルタナ》です」

 わたしたちは嘘をつくことができない。

「そうかよ」

 節くれだった太い指が、わたしに伸びる。えりもとをつかみ、引き寄せる。

「俺たちの仕事を奪いやがって……おまえらがいるせいで、俺たちに、ちっとも仕事が回ってこねえんだよ」

 男の人の瞳は、黒煙が満ちたように苦しげだった。憎しみと、いきどおりで、くらく燃えていた。わたしたちには持ち得ない、鮮烈な心の色だった。

「やめておけ」

 不意に、ひとだかりの中から声が上がった。おびえたような、うわずった声だった。

「そいつらの所有者は、貴族だ」

 声を浴びて、男の人の瞳が揺れた。ぎゅっと眉根を寄せ、うつむくと、突き飛ばすように、わたしを解放した。悔しそうに唇を噛み、わたしとイサナを睨みつける。

「この……人形ふぜいが……」

 顔を伏せ、舌打ちとともに捨て科白を吐いて、男の人は荒々しくきびすを返した。足早に遠ざかる背中は、瞬く間に雑踏の波間へ消えた。

 石畳に散らばった食材を、わたしたちは拾い集める。

「大丈夫」

「汚れていない」

 顔を見合わせて、わたしたちはうなずき合う。ほどけはじめたひとだかりを抜け、何事もなかったように坂を上がっていく。この街を見下ろす高台に、マスタの邸はある。





「また示威行進デモか。美しくないな」

 夕餉ゆうげの後、《カンパニ》から届いた書類に目を通していたマスタは、ちいさく嘆息し、いかめしく眉をひそめた。としは今年で八十を超えるけれど、主の顔にはしわひとつなく、声の張りも失われていない。抗老化手術を繰り返し、年若い青年の姿を保っているのだ。

「美しくないものはきらいだ」

 ぱさり、と無造作に封筒へしまわれた書類を、イサナがうやうやしく受け取る。

「歯車は、無駄なく美しく整えられてこそとどこおりなく回るものだ」

 そうだろう? と、主がおもむろ煙管キセルを取り出す。わたしは洋燈ランプに油を注ぎ足す手を止めて、燐寸マッチを擦った。街明かりのにじむ硝子窓に、煙管の燈火ともしびが浮かぶ。

「需要を満たせぬものは、淘汰されてゆく。そんな自明のことわりを解さない愚かな《シヴィタス》が、これほど多いとは、まったく嘆かわしいことだ。定められた勤労や納税の義務を果たさぬのに、なおも《シヴィタス》でありつづける権利を主張するなど、あつかましいにもほどがある」

 ゆるやかに綾を描く紫煙が、わたしに絡む。細められた主の瞳が、わたしを映す。

「それに比べて、君たちは素晴らしい。余計な付属物が、何ひとつない。心も、未来も」


――人形ふぜいが。


 先刻浴びせられた言葉を思い出す。人形――そのたとえは、きっと正しい。わたしたちには、怒りも、嘆きもない。赤子のように育つことも、老人になるまで生きながらえることもない。はじめから《シヴィタス》のためにつくられ、さいごまで《シヴィタス》のために使われる。

「この国を動かす歯車に、個性など無用だ。むしろ、摩擦や齟齬そごを生む、害悪だ」

 そうだろう? と、主の手が、わたしたちに伸びる。ささくれひとつない、なめらかな指が、わたしたちの頬を、順に撫でる。その所作に、わたしもイサナも、瞳をゆらしてうつむく。恥じらうように――そう見えるように。条件付けに基づく、正しい反射だ。マスタの微笑が満足げに深くなる。次に放たれる言葉を、わたしは知っている。

「さあ、私を肯定してくれ」



 小さな洋燈ランプの炎を、ひとつだけ灯した、影に沈む狭い部屋。中央の壁際に大きな寝台が設けられ、その手前には一人用の椅子が置かれている。わたしは椅子に腰かけて、主とイサナは寝台に上がる。いつものように。命じられるままに。

 主の大きな手が、イサナの襦袢じゅばんを肩から落とす。薄闇の中、ほっそりとした、たおやかなからだが、ほのかに白く、内側から光るように浮かび上がる。

「ああ……やはり美しいな……伊シリーズは……さすが、我らが《マリアの子宮》の傑作だ」

 寝台の上にひざまずかせたイサナを、主は目を細めて眺めた。

 伊群――わたしたちが生まれたのは、半年ほど前のこと。『濡烏ぬれがらすの髪、白磁の肌、黒曜石の瞳……交配実験を重ね、生まれながらに整形された美少女』――そんなうたい文句で、わたしたちは発売リリースされた。イサナは伊三七、イコナは伊五七。いずれも、名前ではない。出荷時につけられた個体識別タグの記号と番号を語呂合わせして、便宜上、わたしたちが互いに呼んでいるだけだ。所有者によっては《オルタナ》に名前をつける人もいるらしいけれど、主はわたしたちに名前を与えはしなかった。

「元々、君たち《オルタナ》は、工場や福祉施設に派遣する労働力として生み出された。《シヴィタス》が、職業選択の自由などという権利を行使したせいで、人手不足が深刻だったからだ」

 だから、容姿の美醜など、二の次だった……そう呟いて、主はイサナの細い首に指をすべらせた。さらり、と漆黒の髪が流れ、灯るように白いうなじが、あらわになる。

「だから、君たち伊群の開発は、ほんとうに画期的だった。実用一辺倒だったものに、愛玩の要素を発現できたのだから」

 出資者として申し分ない、と主は笑った。その瞳には、恍惚こうこつの炎がゆらめいていた。

 主の腕が、イサナの躰を引き寄せる。

「こうして愛でられるという条件付けの、試作品プロトタイプとしてもね」

 主の薄い唇が、やわらかなイサナの片胸をむ。逆のほうは手におさめ、円を描くようにねていく。利手ききてはイサナのうなじから、背中をとおって腰へと下り、腿に行き着くと、その内側をさかのぼった。主の指先が影をかすめ、イサナの吐息が、ちいさくふるえる。おびえたように――そんなイサナの反応に、主は口角を笑みのかたちにつりあげた。イサナに示すように指のはらを押しつけて、主はイサナの影のおもてを繰り返しでた。イサナの瞳がうるんでいく。主はそれを、満足そうに眺めた。やがて、骨ばった長い指が、イサナの中に、さしこまれる。身をよじるようにそらされた白い喉から、ひう、とあえかな風音が立ち、イサナのからだが、ちいさくはねる。瞳にたたえきれない透明な光が、きつくつむられたまぶたに追われ、熱のいろに染まった頬に散る。浅い吐息ににじんだ微かな声が、結びきれない唇から雫のようにこぼれ、立てた膝のはざまにおちていく。うごめく指が水の音を奏でるにつれて、脚はたちまち力を失い、躰を支えきれなくなったイサナは、懇願するように主を見つめた。主の眼は、ほのあかく輝くようだった。笑みを含んだ息を吐き、主は指を抜いた。そのままイサナの腰と背中に腕をまわすと、おもむろに組み敷いた。高く澄んだイサナの声が、影の下にしたたる。条件付けプログラムに従って、イサナの躰は、正しく、望まれた反応を返していく。

 その光景を、わたしは、じっと見ていた。命じられるまま、寝台の傍の椅子に座って。二十代の青年と十代の少女の姿をした、八十代の老人と零歳児の性交を。



 灯した洋燈ランプの油が切れ、緞帳のすきまから垣間見える空が白みはじめた頃、主はイサナの躰から離れていった。

「いつものとおりに」

 自室に戻る前に、主は、わたしに命じた。わたしはうなずき、イサナの躰を見下ろす。乱れた寝具リネンの波間に浮かぶように、イサナは力なく四肢を投げ出して横たわっていた。半ば閉ざされた瞳は、ぼんやりと虚空に視線を放ったまま、何も映してはいない。

 主が部屋を出ていく。閉ざされる扉の音が重くこだまする。薄明かりの中で、静寂とイサナの躰だけが、わたしとともに残される。

 水で絞った綿紗ガーゼで、汗の滲んだイサナのひたいを、濡れたまなじりを、そっとぬぐう。熱の名残を宿した桜色の頬を、点々と紅いあとの散った首と胸を、ゆっくりといていく。

「……イ……コナ……」

 かすれた声が、わたしを呼ぶ。うっすらとひらかれた瞳が、刹那、彷徨さまよい、わたしの像を結ぶ。

「わたし……」

「うん」

「ちゃんと……できてた……?」

「……うん」

 うなずくと、イサナの唇が、かすかにほころんだ。

「そっか……よかっ……た…………」

 安堵の吐息を、ひとひら、落として、イサナは静かにまぶたを下ろした。

「……おやすみ、イサナ」

 イサナの頬に張りついた髪を、ゆっくりとく。

 穏やかな呼吸をたしかめて、わたしはかたわらに用意していた小箱をひらく。

 取り出すのは、アンプルと注射器。

 無色透明なアンプルの中で、透きとおった薄青の薬液が、夜明け前の薄明かりをたたえ、ほのかにきらめく。懐かしい色。わたしたちを育んだ人工羊水の色と、同じ。

「…………さよなら、またね……」

 イサナの細く白い腕に、鈍色にびいろに光る針を刺しこむ。幾度も繰り返してきた、慣れた手つきで。

「今回は、一日しか保てなかったね」

 注ぎ終えた針を、静かに抜く。わずかに滲んだ紅いしずくが、イサナの白い肌に咲く。身をかがめ、わたしはその針の痕にそっと口づけた。かるく吸って、拭うように舐める。舌先に、じわりと、いたみの味が広がる。

 おやすみ、さよなら、またね。

 イサナの記録が、またひとつ、わたしの中に収束する。

 眠りについたイサナの記憶は、もう目覚めることはない。



 《マリアの子宮》の職員がやしきへ到着したのは、わたしが電話のダイヤルを回してから僅か半刻後のことだった。

 いつものとおり、マスタは自室から出てくることはなく、わたしはひとりで彼らを迎えた。白衣を着た、二十代半ばくらいの男の人と、三十代前半くらいの女の人。ふたりとも小柄で、顔には雀斑そばかす、栗色の巻毛まきげを短く整えていた。ここへ来るのは、いつも、このふたりの《シヴィタス》だ。搬送するだけなのだから、《オルタナ》で充分、事足りるのに。

「薬は、打っておきました」

 伝えると、女の人は「毎度のことながら助かるわ」と軽く肩をすくめた。「私、あの注射、苦手だから」と。柔らかな髪が、ふわりと遊ぶ。

 担架たんかに乗せた拍子に、からだに被せた寝具リネンの影から、イサナの腕がのぞいた。わたしの打った針の痕はもう残っていなかったけれど、主のつかんだ手の跡は、まだイサナの細い手首を赤紫に染めている。担架を持ち上げようとした女の人を止めて、男の人はイサナの腕を、寝具の中に、そっと戻した。

「……また、一晩中、だったの?」

 男の人が、小声でわたしに尋ねた。わたしがうなずくと、彼は視線を落とし、そでの影でこぶしを握った。

「それで、これかよ……酷いな」

「ひどい?」

 わたしは小首をかしげて、男の人を見つめる。どうして、と。そんなわたしの反応に、男の人は少し狼狽うろたえた。

「だって、そうだろ、こんな――」

さいかち

 男の人の科白せりふを、女の人が遮った。いさめるように、彼――梍の頭を、こつんと叩く。

「伊シリーズの仔を混乱させるんじゃないの。所有者を、無条件に愛するように、条件付けした《オルタナ》なのに。所有者を非難してどうするの」

「……すみません」

 梍が、憮然ぶぜんとした顔で、頭を下げる。

「それじゃ、この仔、回収するわね。いつものとおり、夜には届けられると思うわ」

 担架に乗せられ、イサナの躰が運ばれていく。窓の外に、彼らの荷馬車が見えた。手綱を握ったまま微動だにせず待機している馭者ぎょしゃは、《オルタナ》だろうか。

「でもさ」

 やしきを出る刹那、さいかちが、そっと耳打ちするように言った。

「なんとも思っていなかったなら、どうして、きみは、この仔の躰を清拭して、新しい寝具で覆ってあげたの?」

「え……?」

 わたしは瞬きをした。たしかに、わたしは、このひとたちが来る前に、イサナのからだを〝きれい〟にして、まっさらの寝具リネンを被せた。でも……どうして、なんて、だって、ただ、わたしは――

「なんかさ、弔いのつもりなのかなって、思ったんだ」

「……とむらい……?」

 馴染みのない言葉に、わたしの瞳がゆらぐ。

「だって、そうだろ? きみは、この仔に、もう二度と会えないんだから」

「……え……?」

 何を言っているの? 解らない。わからない。梍の言葉の濁流の中に、わたしは立ち尽くす。梍は続ける。それにさ、と、力なく笑って、

「やっぱり悪趣味だよ、きみの主人。こんな注文つけてくるなんて」

 そう言って、瞳の奥に、仄暗い怒りをにじませた。

「梍!」

 女の人の声が飛んできて、梍の口をつぐませた。

「……二度と、会えない……? 悪……?」

 途惑とまどいが渦となって、わたしを呑みこむ。

 梍の言葉を、わたしは理解することができない。

 《オルタナ》は、《カンパニ》の保有する公共の資源リソースだ。みんな《カンパニ》を通じて、《マリアの子宮》から定額で貸与されている。契約を結び、《オルタナ》の所有者になった《シヴィタス》は、その《オルタナ》をどう扱おうと自由だ。損傷させた場合の修理費はあらかじめ含まれているし、仮に修理不可能なほど破壊してしまったとしても、追加料金を支払えば、すぐに代替品が用意される。

 そのためにも、わたしたちは、同じでなくてはならない。等しく、均しく――いつでも代替可能オルタナティヴであること。それが、《オルタナ》の需要であり、定義だから。

「……イサナ……」

 だから、わたしは待つ。イサナが、かえってくるのを。

――かえってくるのを?

 扉を閉めかけたわたしの手が、止まる。

――帰ってくるのを?

――返ってくるのを?

――還ってくるのを?

――孵ってくるのを?

 言葉を選ぶ回路が混線する。さいかちの言葉に動揺して、一時的に不具合が起きているのかもしれない。目を閉じて、深く、息を吸って、吐く。試験管の中で繰り返し聞かされた訓示を、頭の中で反芻はんすうする。

――疑わず、安定性を保て。

――考えず、公共性を保て。

――表さず、調和性を保て。


――《シヴィタス》の意志の下、異常皆無オールグリーンを維持せよ。


「……安定性……公共性……調和性……」

 呪文のように、わたしは呟く。そうだ、わたしたち《オルタナ》は、《シヴィタス》のために働くために生み出された。まして、わたしとイサナには、召使いとしての適性を高めるための条件付けが上乗せされている。〝主〟マスタに必要とされることが、わたしたちの幸せ。それは疑いようのない事実で、わたしたちの存在意義そのものだ。

 だから、わたしは、イサナを待つ。主の望むとおりに――《マリアの子宮》に回収されて、まっさらになったイサナが、再び届くのを、じっと待つ。


 主の注文した、処女のイサナを、何度でも。


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