ファントム・パラノイア

ソラノリル

#1 コッペリアの棺

introduction

 硝子の天井から、乳白色の薄日が射している。清浄な光だ。プリズムにふるわれ、有害な波長は全て排除されている。

 時計回りに流れていく空気は、わずかなよどみもにごりもない。壁一面に備えられたフィルタと、等間隔に配されたファンによって、ゆるやかに濾過ろかと循環を繰り返している。

 清潔に統制された、円筒形の層楼だ。壁も床も曇りひとつなく磨かれ、鈍色にびいろに輝いている。貴重な金属を、惜しみなく使い、造られているのだ。

 中央には、屋上まで貫く硝子張りのエレベータ。どの階で降りても、眼前に広がる光景は同じだ。エレベータを中心に、同心円を描く廊下に沿って、百二十八本の巨大な試験管が、整然と並んでいる。満たされた溶液は、透きとおった薄青。その中には、ひとのかたちをしたものがおさめられている。一本の試験管に一体ずつ。からだの年齢は、階によって異なり、胎児から十代後半まで様々だ。ただ、同じ階におさめられている躰は、すべて同じかたちをしている。百二十八――二の七乗。ひとつの受精卵をもとに、分割と培養を重ね、人工的につくりだされた一卵性多胎児だ。

 臍帯さいたいの代わりに幾本もの管に繋がれ、水中に浮かぶ躰は、さながらマリオネットのように見える。

 かすかなノイズが、エレベータの到着を告げた。白衣姿の作業員が八人。彼らは試験管を順に廻り、計器を確認しては、薬液を注入していく。彼らもまた、全員が同じ顔をしている。同じ姿で、同じ手順で、同じ作業を行う。淡々と、均一に、均等に――機械的に。わずかな差異も、彼らには許されない。違いがあってはならないのだ。かつてここで生まれた彼らも、そしてまた、ここで生まれてくる彼らも。

 作業員のひとりが、一本の試験管の前で足を止めた。他は緑色だった計器のランプが、ここだけ赤く点滅していた。おもむろに手を伸ばし、彼は試験管から伸びる管を静かに抜いた。マリオネットの糸を切るように。胎児の躰がくるりと反転し、ぷかりと水面に浮かぶ。足もとのロックを外し、彼は試験管を支えるフレームを手前に引いた。立方体の試験管立ては、ひとつひとつが独立し、ワゴンの役割も兼ねている。役目を終えた試験管は引き出され、奥のダストシュートへ運ばれていく。同一の躰を、同一の条件で育成しているはずなのに、一度に培養される百二十八体のうち、何体かは、途中で死んだり、発育不全とみなされたりして、廃棄されていく。毎回、最終的に残るのは、おおよそ九十体ほどだ。

 薬液を投与された胎児たちが、わずかに身じろぐ。一月ひとつき後には、胎児のからだは児童のそれに変わっているだろう。薬液の中には、成長促進剤が含まれている。新薬の開発によって、受精卵から、試験管を出される十代半ばの躰になるまで、今では一年とかからない。

 作業員たちは、終始、無言で、無表情だった。ひとかけらの情動もあらわれなかった。同じ顔で、同じ表情で、彼らは命を整える。等しく、均しく。


――《マリアの子宮》。


 それが、この施設の通称だ。

 規格化されたハードウェアをつくり、目的に応じた条件付けソフトウェアインストールし、配給する。必要とされるところへ、必要とされるものだけ。


 わたしたちは出荷されていく。

 産声をあげることなく、どこまでも静かに。


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