第三話 海の家

 過去のことをふと思い出した凜は、オレンジ色に染まる小さな部屋の窓際で、秋の風を浴びていた。キッチンからはお皿洗いをする音が心地よく響いていた。

 こちらにきてずいぶん経った。舞子の服装は凜の知っている衣服とだいぶ見た目が違っていた。長い間、『生贄』として着せられた白いだけの布を身にまとってきた凜は、舞子が着ていた奇抜な色をしたフリフリの服がとても眩しかった。

「りんちゃん」

「うわぁ!」

 黄昏ているときに突然話しかけられた凜は驚きのあまり椅子から転げ落ちる。

「だ、だいじょうぶ?」

 舞子は凜のもとへ駆け寄り手を出した。

「ありがとう舞子ちゃん」

 恥ずかしそうに笑いながら、立ち上がる凜。キッチンから優しく微笑んだあんこが出てくる。

「凜、随分考え込んでいたんですね」

 ふふふと軽く笑うあんこ。「お怪我はないですか?」と様子を見に来てくれた。

「そんなに何を考え込んでいたんですか?」

 あんこが尋ねると、もう一度窓の外に目をやった凜は穏やかに答えた。

「昔のこと。ここに来る前……。そうだ。海に行かないか」

「うみ?」

「あぁ、ここに来る前、海の近くに住んでいて……。思い出したら行きたくなってしまった」

「いいですね。行きましょう!」

 恥ずかしそうに誤魔化そうとした凜に、あんこは力強く答えた。

「まいこも、いきたい」

 そうして西側にある海に遊びに行くことになった。


 黄昏色の空と同じ色をした木々の街を抜け、綺麗なヒガンバナを眺めた。

 だんだんと潮風の匂いが優しい風に乗ってきて、キャーキャーとカモメの鳴き声が響き渡っている。


「わあい! ついた!」

 もう何十年ぶりになる海を眺め、凜は目を輝かせていた。

 その隣で舞子もキラキラの目で海を見つめている。

「もう秋で水も冷たいと思うので、砂浜で遊びましょうか」

 あんこはノリノリで砂に埋まる貝殻を拾い始めた。それを見た舞子も隣にしゃがみ、一緒に貝殻を集めたり、わけもなく砂を掘ったりしていた。

 凜は海に見惚れていた。

 どこまでも続いている海。ザザーザザーと打ち寄せては引いていき、また打ち寄せてくる。潮風の香りが体に纏わりつき、カモメが岩に止まりこちらを見ている。ずっとずっと彼方まで続く黄昏色の空と海。水面が輝きチカチカと光るさまは、夜空に輝く星のようだった。

 あまりにもその景色は美しすぎた。凜は過去に優しく捕まれ、ゆっくりと落ちていくような気持ちになっていた。


「舞子さんそっち!」

 突然、あんこの声が現実に引き戻してきた。凜が声のした方を見ると、二人で小さなカニを捕まえようとしていた。過去から戻ってきたもの淋しさを感じている凜に気づいたあんこは、大きく手を振る。

「凜も手伝ってください~!」

 長い事一緒にいたのに、初めて見るほど楽しそうなあんこに、思わず笑いが漏れてしまう凜。

 淋しかった心は、優しい暖かい夕日でいっぱいになっていた。

 ゆったりとうごく二人の足元を悠々と通り抜けるカニ。そんな姿を見て凜はくすりと笑った。

「仕方がないなぁ。私が捕まえてやろう。みてろ~」

 

 潜ろうとしているカニに忍び足で近づき、素早く手を伸ばして、幸せな時間ごと捕まえた。





「楽しかったですね」

 あんこは少し濡れた裾を乾かしていた。

「小さなお城を破壊する舞子怪獣可愛かった」

「がお!」

 さっき大笑いした時を思い出し、またいっぱい笑った。

 優しい風の吹く浜辺を三人でふらふらと歩く。

「お、そこの楽しそうな嬢ちゃんたち!」

 急に声をかけられ、三人で声のする方をみると、木でできた小屋の前に長い髪の背の高い女性が立っていた。

 爽やかな笑顔で銀色の髪をなびかせている。あんこのものより小さめの耳が生え、細長いしっぽをくるくると動かしている。健康的に焼けた肌と涼し気なへそ出しのシャツに短いジーパン。海に似合う女性だなと三人は同時に考えていた。

「ってよくみたらあんこちゃんじゃん! ひさしぶり~」

 ラフに声をかけられ、びっくりするあんこ。明らかに目が泳ぎまくる。

「あれれ? 忘れちゃった~? 中高の時一緒だったすずだよ~」

「え、すずちゃん……?」

 あんこの記憶に残るすずは、もっと色白で大人しい子だった。

「そうだよ~。そんなに変わったかなぁ」

 あんこの肩をぺしぺし叩き、「しっかりして~」と言いながら笑っているすず。凛とあんこは怯えるようにあんこの後ろに隠れる。

「まあ、立ち話もなんだし、うち寄ってく?」

「すずちゃんは今何なされているんですか?」

「ん? あれよ。海の家」

 木の小屋を指さしながら当たり前のように答えた。

「え、海の家? ってあの向こう側の世界の海水浴場にあるお店のことですよね?」

「そう、その」

 あんこは、びっくりした顔ですずを見る。すずもきょとんとした顔であんこを見る。

「ここ、客来るんですか?」

「来ないよ。五年くらいやってて初めてのお客さんだね。君たちが」

 すずはあんこの手を掴み、小屋に連行しながら「おめでとう!」と言った。

 あんこの後ろをついてくる凜と舞子は不安げにお互いの顔をみる。

 怪しい猫のお姉さんに引きずられ、三人は築五年とは思えないほど綺麗な建物に吸い込まれていった。




 綺麗な小屋は思ったより大きく、中も広々としていて開放的だった。

 海側に大きな窓があり、そこからテラス席に出れるようになっている。また窓の手前にはバーカウンターのようなものもあり、カウンターの奥には広めのキッチンが見えている。壁側にはソファー席もあり、お洒落なバー兼レストランのようなものになっていた。店の奥側には棚が並び、海水浴に必要な道具やお菓子などが陳列していた。

「わぁ」「おぉ」

 舞子と凜は身を乗り出し興味津々だ。遊んでおいでとあんこが促すと、すずの顔色を窺いながら恐る恐る探検しに行った。

「今はお客来ないから出してないけど屋台も出せるように準備してあるんだ」

 二人の後ろ姿を見ながらすずは補足する。あんこはすずの顔の怪訝そうな顔で見ると、ため息をついた。

「色々聞きたいことが山積みですが……。何故海の家なのですか?」

 それを聞くとふふふと怪しく笑い、指を振るすず。

「もしかしたら、あんこちゃんが聞きたいことはこれだけで解決するかもね」

「そういうのいいので」

 あんこが冷たく言い放つとすずは「変わらない辛辣さだね~」と肩を叩いてきた。

「あんこ~。すごいぞここ! 何でもある」

「うみ、よくみえる」

 凜は商品棚を眺め、舞子は大きな窓を指さしながらあんこに話しかける。あんこは二人の話を聞いていると、突然すずは笑い出した。びっくりした舞子と凜はあんこのそばに駆け寄りまた隠れた。

「あんこちゃん、すっかりお母さんみたいだな。せっかくだしこの私がおやつを出そう。そっちのファミリー席に座って待っていな~。あ、お嬢ちゃんたちはそっちのおもちゃコーナーの好きなもの持っていっていいぞ」

「え、でもお金は……」

「平気平気! 五年お客来てないんだから」

「だから心配しているのですが……」

 すずはワハハと笑いながらキッチンに消えていった。

 二人は変なお姉さんがいなくなったのを確認するとあんこから離れおもちゃを選びに行った。

 あんこは適当な席を選ぶと座って海を眺めた。凜も意外と子供らしいところが残っているんだなと、笑みがこぼれる。あんこと出会ったときの凜は今よりも子供っぽくて可愛らしくて、でもどこか冷静で時折見せる大人っぽい表情がかっこよかった。昔を懐かしんでいると、キッチンから顔を覗かせたすずが声をかけてきた。

「あんこちゃん、コーヒーは飲めるか」

「ええ。お砂糖だけで構いません」

「了解」

 もう一度キッチンに消えると、四人分の飲み物を乗せたトレーを手に持って出てきた。

「今ケーキも出す。今日のおやつに食べようと思っていたんだ」

 あんこの前にホットコーヒーを置き、その隣にリンゴジュースを二つ置いた。向かい側の席にすず用の紅茶を置き、スプーンで一度混ぜた。

「え、私たちの分もあるんですか」

「おうあるよ。なんか変か?」

「いや、まぁ……」

 あんこが言い淀んでる隙にすずはすたすたとキッチンへ戻っていってしまった。あんこは仕方なく「おやつにケーキ四個も食べようとしてたの?」と心の中で突っ込みを入れた。

 あんこはおもちゃを選ぶ二人を見て、すずに言われたことを思い出していた。

「母親かぁ」

 ぼんやりとしていると二人がいつの間にか戻ってきていた。

「まいこ、これにした」

「私はこれだ!」

舞子は小さな猫のぬいぐるみを、凜はラジコンカーを持ってきた。

ソファーによじ登りながら、机の上を見た二人は目を輝かせた。

「なにこれ! リンゴジュース?」

「これ、のんでいいの?」

あんこが頷くと二人とも飲み始める。そしてまたおもちゃを選ぶ時の話をあんこに話し始めた。話を聞きながら、二人のお母さんはどんな人なんだろうと考える。いつか二人ともその人たちのもとに帰るのだろうか。あんこは一時的に預かっている身でしかない。

「あんこ聞いてる~?」

 凜があんこの顔を覗き込むと、我に帰ったように大丈夫だと誤魔化し始めた。

 お話をしていると、キッチンからすずが出てき、びっくりして二人はあんこにくっつき小さくなった。それをみたすずはまたがははと笑った。

「とってもビビられているな、私。取って食ったりしないぞ~」

 おちゃらけながらケーキを四つ並べるすずに、初めはびっくりしていたが、ケーキに釣られて身を乗り出す舞子と凜。

「すきなの選べ~」

 凜と舞子は顔を見合わせる。

「舞子ちゃんから選んでいいよ」

「ありがとう」

 モンブラン、チョコケーキ、フルーツタルト、ティラミスが並んでいるのを何度も眺める舞子はうーんとうなった挙句チョコケーキを選んだ。それを見た凜はすぐにフルーツタルトをとった。

「すずさん、ありがとうございます」

「あ! ありがとうございます!」

 舞子と凜は二人でお辞儀をすると、いただきますと声を揃えていった。「どうも~」と手をひらひらさせたすずは、あんこをにやにやしながら見た。

「あんこちゃんどっちがいいよ?」

「じゃあモンブランで」

「えぇ⁉ 私そっちが良かったなぁ!」

「なんで選ばせたんですか……」

 あんこがしぶしぶティラミスに手を伸ばすと、がははと笑ったすずはモンブランを渡してきた。

「冗談だよ~。ほらあげる~」

「紛らわしい事しないでください」

 ため息をつきながら、ティラミスをすずの前に置く。

「不覚にも交換会みたいになってしまったな」

 少し照れながら何かを言うすずに、子供二人がくすくすと笑う。それを見てまたため息をつくあんこ。

「全く……。ケーキありがとうございます。いただきます」

「あいよ!」

「食べながら何故こんなもの作ったのか教えてくださいね」

 釘をさすと、すずはわかりやすく咳払いをして渋い声で話し始めた。

「あれは遠い昔のことだった……」

「そういうのいいので」

 あんこは冷たく言い放ちながらモンブランを一口食べた。

「あんこちゃんは冷たいなぁ。変わってない」

「すずちゃんは変わりすぎじゃないですか。もっと大人しかったと思いますが」

 あんこの言葉を聞いて、凜と舞子は目を丸くした。

「お嬢ちゃんたちもそんな顔しないでくれよ~。今でも大人しいだろ~?」

 冷静に首を横に振る凜を見てすずはがははと笑った。

「お嬢ちゃん肝座ってるねぇ。まぁでも、海の家には居そうだろう」

 そういうと、今度は三人とも頷いた。「だろ?」と謎のドヤ顔を見せるすず。

「私はさぁ。惚れちまったのよ。海の家ってやつに……」

 ふいに変な発言をされたせいで飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになったあんこが、むせながら「なんです?」と聞き返した。

「だから、惚れたのさ。夜のある世界に行ったときに」

「え、鳥居の向こうに行ったことあるんですか」

「ああ。あんこちゃんはないのか?」

「私はないですよ。いいなぁ」

 人間界の町中にいない狐は外出許可が下りにくいうえ、巫女という職業は人間に情を抱いてはいけないので尚更縁がない。

 すずは「いいだろう」とどや顔で煽り、続きを話し始めた。

「その時海に行ったのだが、見てしまったのだ。海の家を」

 目を閉じて恍惚な表情を浮かべるすず。

「ど、どんなところがよかったんですか」

 聞いてくれと言わんばかりのオーラに押し負け、あんこが恐る恐るきくと、待ってましたと言わんばかりに開眼したすずは熱く語り始めた。

「まず、向こうの海は青い! みたこともないほど青く透き通った空と海と水平線! そして海の家は『それ』を売っているんだよ。そこで過ごすための、その景色を見るための、道具や食事を提供しているんだ。とってもすごいことじゃないか⁉ それと……」

 一旦紅茶を飲み、息を整えたすずはまた大きく息を吸って続けた。

「それと、店員さんの健康的に焼けた肌と楽しそうな表情! これが忘れられなかったんだ」

 真面目で大人しかったすずは、ずっとそんな自分を変えたいと思っていた。そんな時に海の家で働く人たちは自由で楽しそうな姿に出会った。それはすずが憧れていた姿だった。

 好きなものの話を嬉しそうに話すすずを見たあんこは衝撃を受けた。かつての友人はこんなに好きになるものを見つけ、さらには好きなものの為にここまで自身を変えた。自分にはそんなに好きなものがあるだろうかと俯く。

「でも、あんこちゃんも幸せそうで良かったよ」

「え?」

 すずの言葉に思わず聞き返してしまうあんこ。目を丸くしていると、すずは優しく微笑んだ。

「お嬢ちゃんたちと話しているときのあんこは、とっても幸せそうだよ。気付いていないのかい?」

 ハッとして、二人の方をみると、舞子も凜もあんこに微笑みかけ、うんうんと頷いた。

「すずさん、やさしいひと、です」

 舞子は安心したように呟いた。凜も「そうだね」といった。

「ははは! そうだろう。逆になんで今まで怖がっていたのだ」

 がははと笑いながら、ティラミスを二口で食べるすずに、二人はまた少しビビってしまった。

「そんなこんなで、憧れた海の家を建てて、その店員になったんだ。いいだろう」

 舞子はすずの話を聞いて、道徳の授業で配られた『将来の夢』のプリントを思い出していた。あの時舞子は『賢くて優しい大人』と書いた。

「そういえば、なんでこのお店はお客さんが来なくても成り立っているんですか」

 ケーキを食べ終えたあんこがふと訊くと、ぎくりと驚くすず。

「ん? いやまぁ……。それは企業秘密ってことで……」

「やっぱり危ない人……?」

 凜が息をのむと、すずは「ちがうちがう」と焦って手をわたわたと振る。

「そんな危ないことではなくて……」

「じゃあなんで言い淀んでるんです?」

「の、能力を悪用してる……から……?」

「あぶない、こと……?」

「あ、危なくはなくて! 禁止もされてないんだけど……」

 困ったすずは突然外を見た。

「ほ、ほらもうこんな時間だし!」

「ここはいつでも夕焼けですよ」

「じゃっ、じゃあ……」

 目を泳がせて、言い訳を探すすず。

すると突然、ゴーンゴーンと、すずを助けるように鐘が鳴った。

「か、鐘鳴ったから! 結構時間たった!」

 どうしても帰したい様子のすずの焦りようを見たあんこははぁと特大のため息をつく。

「仕方ありません。帰りましょう。今度来るときはカステラ持ってきますね」

「え! いいの! 鈴カステラね!」

 帰る雰囲気になった途端みるみる元気になるすずは勢いよく紅茶を飲みほした。

 あんこは次来た時に聞こうと心に決め、帰り支度を始める。

「ケーキと飲み物とこの子達のおもちゃありがとうございます」

「いえいえ! 今後も御贔屓に!」

 凜と舞子もありがとうをして、バイバイした。



「変な人だった」

 凜がラジコンを見ながら、困った顔で呟く。舞子も同意を示すように猫のぬいぐるみと頷いた。

「まぁ、雰囲気は変わりましたが、昔も変な人でしたね」

 昔のすずを思い出してあんこはくすりと笑った。

「あ、買い出しの為に商店街寄りましょうか」

「はーい!」


 潮風の匂いを連れて町の方へ戻っていく。なんだか少し懐かしい匂いがした気がした。

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華胥の夢 霖雨 夜 @linnu_yoru

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