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「じゃあ、車の準備してくるね」
「はい。お願いします」
「ごめんねえ、すぐ戻ってくるから。少しだけうちの子と待ってて」
「わかりました」
玄関で、お父さんとお母さんに笑いかける。私を親元へ帰すために、警察へ連れて行ってくれるらしい。
ガチャン、と重い音を立てて、玄関の扉が閉まった。秒針の音だけが遠く聞こえてくる。規則的な音を聞きながら、ゆっくりと、ブレザーの右ポケットに手を突っ込む。期待通りの感触が返ってきた。そのまま右手を握りしめ、リビングに戻る。
ベビーベッドの上では、赤ちゃんが眠っている。白い毛布とヒヨコ柄のタオルケットに包まれた乳児は、一度も起きずに熟睡していた。ぷくぷくと膨らんだ、すぐ破けそうな肌。開かない目。髪なんかほとんど生えていない。重い物が持てないのなんて一目瞭然の、小さな両手。自力で歩くこともできない細い脚。
――なんて、役立たずな生き物だろう。
握りしめた右手を、そっと持ち上げる。私の右手にあるのは、小さなハサミ。左ポケットの紙くずと同じように、これも残ってくれていたみたいだ。持ち手の穴越しに、ベッドの中に居座る生き物が見える。
もし、過去に戻ってきたことに、何か意味があるのなら。ここで私がやるべきことが、私にできることがあるんだとしたら。
きっと……これしか、ない。
白い毛布を左手でどける。ハサミの持ち手を掴んだ右手を振り上げる。刃先は驚くほど簡単に、小さな胸に沈み込んだ。
小さな役立たずが、短く呻く。同時に、私の胸にも鋭い痛みが走った。予想はしてたけど、やっぱりこうなっちゃうか。こんなに痛いってことは、やっぱり夢じゃないのかもしれないなぁ。
だけど、胸を押さえた左手に、温い液体が伝うことはなかった。手を離して見下ろしてみると、胸には小さく穴が空いている。そして、そこから崩れ落ちていくように、私の体が消えていっていた。体ごと消えていくのに、こんなにハッキリ痛みを感じるなんて。なんか、変なの……。
不思議と、口角が上がる。不意に、痛みと同じくらい鋭い悲鳴が耳を刺す。
「秋姫! やだ、何してるの! うちの子が死んじゃう!」
強く、肩を掴まれる。いつの間にか、お母さんが戻ってきていたらしい。さっきと全然違う顔をしている。怒っているのか、悲しんでいるのか、よくわからない顔。
でも。ねえ、何がいけないの?
「……これで、いいんだよ」
息をする度、痛みが走る。胸どころか、上半身全体が痛く感じる。
「子供なんて……私なんて……いないほうが、いいんだよ」
視界が歪んできた。痛みのせい、なのかな。なんだか、目が熱い。
「……私なんかが、いたら……二人は、幸せになれないんだからさ」
ねえ、そうなんでしょ? お父さん。お母さん。
感覚が消えていく。私、今どうなっているんだろう。ほとんど消えちゃってるのかも。
ああ、こんなの、全部悪い夢だったらいいのになぁ……――。
わるいこの夢 角霧きのこ @k1n05
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