一章 ことの顛末(3)

(3)


 人の往来が激しく、美の神へ参拝をしようと並ぶ列も参道の幅をかなり占めていたため、俺は脇に避けてしばらく理久の帰りを待った。それにしても寒い。俺は、理久がなかなか現れないためしびれを切らし、風よけになりそうな樹木や建物を探すことにした。


 名高い拝殿に比べ、同じ土地でも少し奥に入るとかなり人気は薄れていった。

 喧騒が遠ざかっていく。


 そこで俺は小さな祠を見つけた。それは、苔むした岩々のなかにひっそりと佇んでいた。よく見ると岩の隙間からは湧水が流れ出ており、近づくと岩清水が発する澄んだ冷気が頬に当たる気がした。


「賽銭箱とかもない……な。なんの祠やろ」


 俺は、湧水が流れていく窪みの手前に鎮座している岩に腰掛けた。尻の下から体がキンキンに冷えていくのを感じていたが、祠を背にすると北風から逃れられるためつかの間の休息をとろうと思ったのである。


 目の前を風が吹く。それに合わせて木々が揺れ、枯れ葉が擦れ合って飛んでいく音を聞いた。


 百合子ちゃんがここを通りがかってくれたらいいのにと思う。

 彼女のつややかな黒髪を思い浮かべた。教室で、斜め前に座る彼女の後姿。つむじから伸びる髪のひと房が揺れる。

 巫女装束で働くとなるとずいぶんと寒いはずだ。うんと長い髪をひっつめたりりしい彼女を想像してみる。

 彼女が風邪をひいてしまわないように、俺はそっと背後の祠へ願った。


 そのとき、俺は確かに背後からコツコツと木を叩くような音を聞いた。


「え、」


 振り返って、埃にまみれた祠を仰ぎ見る。格子の隙間から見える中は真っ暗だ。

 気のせいだろうか、と祠に背を向けたその時、風がうなりをあげて俺の髪を乱した。再び後ろを振り返る。


 明らかに風は祠のなかから吹いている。


 俺は岩の上に膝を立てて、祠の淵に手をかけた。闇のなかを覗き込む。再びノックの音がコンコンコン、コンコンコン、と鳴る。風のせいで祠のなかに入った小石か小枝が鳴っているのかもしれない。しかし、祠から吹く風の説明がつかない。


「……なにかいるのか、」


そっと扉に手をかける。返事はもちろんない、はずだった。


「危ないな。少し下がれ」

「え、うわっ」


 勢いよく祠の扉があき、俺の鼻っ面は勢いよく叩かれた。のけぞった俺の腕を誰かが掴む。その力強さに助けられ、無様にずっこけることは未然に防がれたが、痛みに涙がにじんで前がよく見えない。


 「すごいな、私にそっくりの少年がいる。素晴らしい」

 「なにを、」


 言っているんだ、という言葉は引っ込んだ。

 その言葉通り、俺の前には俺にそっくりの男がいる。祠からこちらの世界へ片足を踏み込んだ、青色の装束を着た俺。そのままあっという間に扉から飛び出して「俺」は俺の顎を掴んだ。


 「眼の色だけ違うな。でもあの連中は気づかないだろう。自分の牌ばかりに気を取られているからね」


 緑の目のなかに、唖然としている間抜けな俺の顔が映っていた。同じ俺の顔でも、目の前の「俺」はずいぶん男前だなあと、空気を読まない俺の思考はそんなことを脳裏でつぶやいた。目の前の「俺」は眉毛が整っていて、髪の毛を撫でつけており、目が蒼い。


 目の前の男は身を翻した。

 顎と腕を掴まれている俺も必然的に祠に背を向ける。


 「私は少しだけ留守にすると、Leeに伝えてくれ。じき戻る」

 「待ってくれ、どういうつもりだ」


 やっと俺から出た言葉は意地の悪いほほえみで一蹴された。俺の体は強く押され、背後には深い闇がある。

 とっさに青い袖を掴もうと伸ばした腕が空を切った。


 「俺」が手を振っている。俺は意味不明な何かを叫んでみるが、周りから空気というものが失われているのか、それは声にならない。


やがて何も見えなくなり、俺の身は大きな何かに飲み込まれていった。



二章へ続く

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俺のアガりは安すぎる。 ゆうきちゃん @moriko12

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