Just the two of us(二人だけ)
オダ 暁
Just the two of us (二人だけ)
沖縄の田舎町に東京から逃げてきて、どれくらいの月日が流れたのか。
彼と二人きりで生きてきたのだ。
悔いはしてはいない。
でも初老にさしかかった年齢になると、様々な思いが交錯する。
捨ててしまった夫や子供、親兄弟・・・
非人間だという思いが私を苦しめる。
昔、私は平凡な主婦だった。刺激のない普通の暮らしがあたりまえで、世間で言うところの不倫や駆け落ちなどは無縁な生活のはずだった。
彼とは、友人に無理やり誘われたホストクラブで出会った。30代前半、少し年下だった。
「こもってないで一度くらいホストクラブで遊んでみたら?子供ももう小学生でしょ、旦那さんに預けて行こうよ」
誘い水に乗って、私は生まれて初めてホストクラブに足を入れた。
そこでマサミと初対面。
やせてて線の細い、奇麗な顔立ちの男性だった。
はじめから運命的な予感はあった。
「マサミって名前は女の子が欲しくて親が用意してた名前なんだ。だから源氏名使わないで本名で通している。せっかく親がつけてくれたからね」
「どうして女の子?」
「上に兄貴が二人いるからさ」
マサミは正直に尋ねた質問に答えてくれた、てらいもなく。
ホストクラブはあまり有名な店ではなかった。
マサミもけっしてナンバー1ホストではなかった。
野心を感じさせず、が、客に自然体に無理なく接してくるマサミに初対面から惹かれた。
二回目からは、友達と居酒屋で女子会とウソをついて単独で通うようになる。
どうしても又会いたかったからだ。
マサミはけっして営業メールをすることはなかった。
「僕はな、あまり歓迎されて生まれてきたわけじゃないのだよ」
寂しげに、そう呟く彼が愛しかった。
「親にけっして邪見にされたわけじゃない。でもね、本心がわかるのさ。デパートで可愛い女の子の上着を買ってきて僕に着せたがったり・・・嫌だったのさ、マサミという名前も。でも大人になって家を出たら、妙に懐かしいのさ。子供時代も、マサミという名前も」
私はただ聞いていた。彼はとぎれとぎれの声で話を続ける。
「以前は古着屋でバイトをしてたんだ。古着屋で先輩ホストからスカウトされて転職してきた、だから・・まだ若葉マーク」
「転職して良かった?」
「どうかな・・」
「奥さんや彼女は、いないの?」
「独身だよ。彼女は前はいたけど安定した会社に勤めている男にとられちゃったよ。それ以来フリー」
「よかったあ、私を彼女にして」
「僕は歓迎だけど・・旦那さん、いるんでしょう?」
「だから恋人!」
「あはは、いいよ」
ホストクラブの中ではそんな風なやりとりだった。
大はしゃぎをするわけでもなく、酒を少し飲み世間話をする。
派手なシャンパンタワーなんかは二人とも興味なかった。
ただマサミの誕生日にはボトルをキープしたことがある。
ドンペリやレミのような高級酒ではなく、チープなバーボン。彼の希望だったから。
「結局これが一番僕にあっている」
無欲なマサミに傾倒していくのは当然だったかもしれない。彼はホストの順位にまるで拘っていなかった。店サイドとしては失格なのだろうが。
私の夫も姑も節約家というより吝嗇だった。うんざりするようなセコイ話ばかりする。マサミに出会ってから彼らへの印象は180度変わっていった。おまけに子供の女の子が姑に顔や物言いがそっくりなのだ。小学校から帰宅して出迎えた時はびっくりした。姑にそっくりだったからだ。まさにミニ姑。夫も姑に似ているから親子三代そっくりということになる。生理的嫌悪を感じてしまう自分に驚いた。
ホストクラブには独身時代に貯めた自分の貯金でまかなっていたが、だんだんと文句を言われるようになった。
「いくら女子会で居酒屋でも一週間に一度は多すぎる。帰りも遅いし」
当たり前のことを指摘されるようになった。だんだん言い訳もうまくなっていく。
「居酒屋のあとカラオケ館行くの、すぐに飽きるわ」
私の色々な友人たちとは旦那は交流が無いのだから平気でウソをつける自分が怖かった。それよりマサミに会いたい気持ちが勝っていた。
そして店に通いだして半年ほど経ったある夜。
第一線をついに越えてしまう。
ホストクラブで珍しく深酒をした私は酔いつぶれてしまった。それでマサミはタクシーで送ろうとしたけど、私はガンとして拒否したらしい。
「帰りたくないの、もっと一緒にいたい」なんてセリフをわめいていたそうだ。
彼は仕方なく、ホストクラブの近くにある自分のアパートに私を連れて行った。そして寝かしつけてから仕事に戻ったとあとで聞く。
明け方、仕事を終えたマサミはアパートに戻ってきた。学生が住むような簡易的なバストイレ付きのアパート。モノもあまり無く、ベッドとテーブル、そしてパソコンやカメラの機材が部屋を占拠していた。家を出た18才の時に借りた場所から引っ越していないらしい。
目が覚めると、六畳一間のベッドに寝ていた。家にも連絡しないまま。夫からの着信が凄かった。早朝を待って、夫は年賀状で調べて可能な限り私の知合いに連絡した。そうして、ついにホストクラブに一緒に行った友人にたどりつく。
友人は暴露した。
「もしかしてホストクラブじゃ・・・前に一度だけ二人で行ったことある、店の場所は錦糸町、名前はリズムボーイです」
夫は発狂して店に問い合わせていたが、閉店後の空しいアナウンスが流れるばかりだった。
「あいつはどこにいるんだ?子供を残して・・母親失格だ!!」
「もしや事故にあって病院に運ばれたのでは。でも、それなら連絡がありそうだ」
「遊びまわってるなら離婚するしかない」
周りの騒動をよそに私とマサミは言葉もなくベッドで裸同然で抱き合っていた。
私はスリップ姿、マサミはボクサーパンツ一枚の恰好で。
無言で、磁石でひかれあうS極とM極のように。
「私はマサミが好きなの」
「僕は・・」
マサミは言葉を詰まらせながら、
「君は旦那さんやお子さんがいるじゃない、どうするの?」
私は、はたと思い出した。彼らの存在を。こんなことが出来る女ではなかった、私は。
不思議なほど彼らに執着はなかった。
マサミは続けて言う。
「僕も君が好きだ、他の客に感じない何かがあるから・・・何故だか分からないけれど最初から」
マサミの細くて恰好のいい指が私の身体に触れてくる。
セミロングの髪やうなじ、そして首筋や乳首がピンと上に向いた乳房に。
そして遠慮がちに濃い陰毛におおわれた秘所まで・・・
私は触れられるだけで、喘ぎ声がもれてしまう。
こんな経験は生まれてはじめてかもしれない。
夫とはこのような悦びは味わったことはなかった。
ただ直線的な生殖のためのセックス。子供が出来てからは殆どない。
でも悦びを知らないのだから、あまり不満もない。過去に数人経験はあったが、似たり寄ったりだった。だからセックスなんてこんなものと、世間が大げさに話を膨らましているだけ、と思い込んでいた。
でもマサミの指や舌の愛撫が味わったことのない陶酔の世界に私を導いたのだ。
私の肩までかかる髪をかきわけて、うなじにかかる甘い吐息。とぎれとぎれの官能的な彼のハスキーボイス。私は完全に彼に酔いしれていた。
贅肉のないマサミの裸体、普通より低めの身長。
カールしたロン毛の、少年の面影が残る中性的な容貌。
彼は存在しているだけで満足できる男だった。
私の理想を具現化したような男だった。
出会ったのが遅すぎたのだ・・・
私はたまらなく瞳に涙をためることがある。
それは彼のペニスが身体に挿入される時だ。
この世の現実の世界とは思えない高揚感に包まれる。
夫とは、指も舌も使わない、ただペニスの律動運動のようなセックスだった。
マサミとのクライマックスの行為はとろける様な 海綿体にでもなったような感覚に落ちてしまう。目から鱗が落ちる様な体験だった・・・
独身時代の数人の恋人も、夫からですら当たり前のセックスしか与えてくれなかった。
だから平凡な暮らしで満足出来ていたけれどマサミを知ってしまったらもう後戻りは出来ない。
クライマックスが過ぎて、二人それぞれにシャワーを浴びてベッドに横たわった。マサミに手枕をしてもらいながら、なぜか家族のことを思い出さない自分が不思議だった。心は完全にマサミに囚われていた。
「僕、実はユーチューバーで少し稼いでいるんだ」
「え、凄い!」
「動画編集とか実は得意なんだ、だから今は生活に困っていない」
「だからホストクラブでもがつがつしてなかったわけだ」
「そうかな、シャンパンタワーは割れそうで怖かったよ」
「割れたことあるの?」
「いや、無いけれど・・地震なんかあったらヤバいでしょう。そんなこと考えちゃうのさ、転ばぬ先の知恵って」
さらにマサミは言葉を続ける。
「果物の盛り合わせなんかオーダーする人がいたら、あんな高いものやめろよとか、近所の果物やでリーズナブル価格で売ってるよなんて忠告したくなるよ」
私は苦笑いをして、
「じゃあ、どうしてホストクラブで働いているの?」
「・・コンビニより人間ウオッチングできて面白いからな。それよりもう家に帰りなよ、酔っぱらってビジネスホテルにでも泊ったことにして。それで今日のことは忘れて二度とホストクラブなんかに足踏み入れたらダメだよ。今までも散財したでしょう?」
「いいの。あなたに会いたかったから」
「・・・僕はホストクラブはやめるよ。錦糸町から引っ越しして沖縄に住みたいんだ。前から決めてたんだ、ユーチューバーは全国どこでもできるし」
「ユーチューバーって何やっているの?」
「旅行関係だよ、登録者数10万人!」
「今度見たいな」
「いいけれど・・もう会わない方がいいよ」
マサミのそっけない口ぶりにどうにかしてしまったのだ。旦那や子供、姑に対する罪悪感はむろんある。遠方の関西に住む両親や兄弟も仰天するだろう。
しかし自分はマサミが好きなのだ。
マサミのいない人生はもう無理なのだ。
時間なんて関係ない。
マサミに魔法をかけられてしまったのだ。
死ぬまで解けない魔法を。
「マサミ、私もついていく」
「えっ?」
「あなたと生きていきたい。何もかも捨てる」
「ええっ??」
「あなたを失いたくない」
私は狂ってしまったのだろう。
言葉通りに人でなし、になっていた。
それからあとは大変だった。
帰宅してからの夫との諍い、姑まで呼ばれての話し合い。
本気でどこかのビジネスホテルに泊まったと信じているようだった。
今まで真面目一方の私が、他の男の住まいに泊まるという蛮行は想像していないようだった。
「おまえはホストの客寄せトークに騙されているんだ、子供もいるんだぞ。いい年して何考えているんだ。今回は許してやるからもとに戻ってくれ」
夫は私が酔いつぶれただけと思い込んでいた。
夜、久々に私を求めに来るてくるが悲しいほど身体は正直で、木偶の棒のようにふるまうしかなかった。
またもや生きているのかいないのか分からない世界に私は戻る。
以前の私なら甘んじて暮らしを継続できるかもしれないけれど
性的に死んでいた世界に戻るのは
マサミを知った後では不可能だった。
謹慎状態がひと月が過ぎた。
当然、夜遊びは御法度。
マサミとはラインだけの繋がりだった。
それもたまに、自分からの一方的なメール。
彼からは返答はあるけれど、もう店に来ない方がいい、と同じような言葉。
「こんにちは、なんとか家の方は大丈夫だった。貴方に会いたい」
「もう会うのはやめよう。君の事、忘れないよ」
ラインでやりとりをしていたが本当は電話で生の声を聴きたかった。
あの耳から離れない、なんとも心を酔わすハスキーボイスを!
「一週間後に沖縄に移住する。店はもうやめた。今までありがとう」
という内容のラインが、マサミからいきなり来た時はショックで全身が震えた。
頭の中が真っ白になり、まともに歩くことも容易ではなかった。
今までに味わったことなない打撃だった。
たちまち世界はくすんだレンガ色に変わってしまう。
生まれて初めての経験。
私は部屋にこもり、いろいろと考えていた。
でも結論は変わらない、何度考え直しても。
もう彼と離れては生きていけない。
世間の人は子供を捨ててまで男が欲しいのか、と私を責めるだろう。でも、旦那や姑に顔も性格も似ている子供を完全に愛せないのだ。彼らのミニチュアを見ているようで。
母親なら無条件に子供を愛さなければならないのだろうか。
もちろん愛してないわけではない。
でも溺愛はしていない、耽溺もしていない。
世の中には私のような冷たい母親も存在するのだ。
でもマサミが私の人生には必要なのだ。
子供には旦那も姑もいる。
彼らが守ってくれるだろう。
私の心は決まった。
彼に最後の挨拶をすると偽って、沖縄に出発する数時間前に会うのだ。最後のお別れを伝えるふりをして。
そして二人で出発する、新天地に。
騙し打ちのようだが駆け落ちするのはマサミ本人が反対してくると思った。
彼がひとりで沖縄に行ってしまうことを想像すると気が狂いそうになる。
罪悪感も遥か彼方に行ってしまった。
考えることは99パーセント、マサミのことだけ。
彼さえいれば良かった。
人でなしの恋、ってフレーズどこかにあったな。
私は罪人だ、極悪人だ。まちがいなく。
周囲を不幸にして。
・・・でもマサミは私を受け入れてくれるだろうか?
沖縄に出発する二時間前。
私は空港でマサミと会う約束をしていた。
「マサミ、やっと会えた」
「その荷物は何?」
最低限の荷物だけ旅行鞄に詰め込んだ私の姿を見るや否や、マサミは素っ頓狂な声を上げた。
「私もマサミと一緒に行く。離婚届置いてきた、荷物も全部処分した」
「子供は?」
「辛いけど・・貴方と別れる方が辛い」
「いや、でも・・君の事は僕も本気だったけれど・・」
マサミはあれこれと喋っていたけれど、結局は観念して私を受け入れてくれた。
私の覚悟の姿勢に負けたのかもしれない。
私たちは沖縄に旅立った。
幸福だった。
迷いや悔いは、もうなかった。
わずかに罪悪感はあったけれども。
私たちは苦労したけれど、それすらも幸せだった。
喧嘩もいっぱいした
お金のことで争うこともあった。
私たちはセックスという接着剤がいつもあった。
彼とは子供は作らなかったが、それでも良かった。
あれから30年近くたった。
あっという間だった。
元夫はあのあと再婚して、私はマサミと再婚した。
心底ほっとした。
マサミとの暮らしは贅沢は出来なかったが楽しかった。
彼のひょうひょうとした性格は変わらなかったし
何より沖縄の開放的な生活に癒された。
子供とはあれから会っていない。
会う資格なんてあるはずない。
子供はおそらくトラウマをかかえているだろう。
私はひどい母親だ。
一生、子供には懺悔の気持ちを持って生きていく。
石の心を抱いて生きていく。
でも後悔はしていない。
今も私たちは互いの身体を求めあっているのだから。
きっといつまでも色あせることなく!
そう思える相手に出会えた自分の人生に感謝してます。
業の深い女と言われても。
(おわり)
Just the two of us(二人だけ) オダ 暁 @odaakatuki
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