ハイジン
春雷
ハイジン
一度だけその男に会ったことがある。
その男は殺人犯だった。彼は人を殺した後、必ず過去の俳人たちの傑作を色紙に書いて、死体のそばに置くのだという。
「それにいったい何の意味があるというんだ」
僕は彼に訊いた。
「意味などない」
返ってきた言葉は、期待以下のものだった。
僕は二度、彼の犯行現場を見たことがある。その現場に置かれていた句は、
古池や 蛙飛び込む 水の音
と
咳をしても一人
だった。
僕はその句が置かれた意味を考えようとしたが、意味は見いだせなかった。彼の言う通り、意味など本当にないのかもしれない。
彼は合計十八人を殺害した後、自首をして、死刑になった。
ワイドショーは彼の犯行の特異性を強調し、連日報道が繰り返された。犯罪心理学者のコメンテーターが何人も出演し、彼の犯行時の心理や動機をさまざまな角度から分析していた。彼の幼少期や、交友関係、職場での様子など、彼に関するありとあらゆる情報を集めて、彼の人となりを解釈しようとしていた。
ある人は、彼を「狂人に見せかけた普通の人」だと言った。僕はその解釈が最も真実に近いという気がした。
世間はいつものように、彼についてある程度の情報を得てしまうと、興味をなくして、次の話題に飛びついた。別に世間を非難しようというわけではない。それが普通なのだ。
だから、僕が何年も彼について関心を持っていることに、僕の友人たちは不可解な態度を示した。彼らは僕をおかしな人間だと思っているようだった。
「どうして、その男について何年も何年も考えを巡らせているんだ?」
その疑問に、僕は答えることができなかった。いや、答えることはできた。でも、答えたくなかったのだ。
僕は最後の犯行に注目した。最後の犯行は、それまでの犯行と異なっていた。それまで彼はナイフで人を殺害していた。それに、殺害された人物は彼と無関係の人ばかりだった。しかし、最後の犯行は違った。殺害されたのは彼の父親だったし、殺害方法は焼き殺すという残酷なものだった。置かれた俳句は「春の山のうしろから煙が出だした」。彼はこの犯行を最後のものとして計画していたように思える。
それまでの犯行はかなり強引な部分があり、突発的な犯行だという印象も強かった。しかし一方で、簡単に警察に捕まらないような、慎重なところもあって、捉えどころのない人物だと評されることが多かった。二重人格者だと主張する者さえいた。衝動性と計画性の両方を備えた人間だったのだろう。突発的な犯行が大半を占める中、この最後の犯行は、綿密に計画が立てられていたようである。父親を倉庫に呼び出し、焼き殺したのであるが、その際使われた倉庫は郊外の人通りの少ない、静かな場所にあった。またそこは近頃、火事が頻発している地域でもあった。彼は父親を自分の名を語って呼び出したのではなく、詐欺の手口を使って呼び出した。それは、その頃には彼の犯行が世間で注目されていて、父親も彼だとわかると、警察に通報するおそれがあったからだろうと思われる。彼が火を放ち、倉庫から煙が出ても、地域の人は、またいつもの火事だとしか思わなかった。すぐに消防が来て、消火活動が行われたが、火は倉庫全体にまで広がっておらず、そのため彼の残した色紙も、焼かれずに済んだのである。消防の人が父親の死体を発見した時、事件というよりは事故だという印象を持ったようだが、倉庫の壁に立てかけてあった色紙を目にした時、あの連続殺人犯の仕業だと、認識を改め、警察も同様の認識を持った。いよいよ捜査が本格的に始まるという段になって(もちろんそれまで捜査はかなり力を入れて行われていたわけだが)、彼は一人で警察署に姿を現した。警察は拍子抜けをした格好になったが、すぐさま自分たちの職務を思い出し、彼の犯行について捜査を行った。
彼の下された、死刑という判決に、反対する人は多くなかった。
当然だ。頭のおかしい犯人が、狂った犯行をして、何人もの人が犠牲になったのだ。誰もがその判決を支持した。
彼はエリートだった。日本一の大学を出て、銀行に就職した。彼の人生は順調に見えた。しかし、職場での人間関係がうまくいかず、結局、三年で銀行を辞めてしまう。そこから職を転々とし、犯行を行っていた時は、ウェブライターをやっていたという。それなりの収入はあった。それでも、銀行に一緒に入社した元同僚の給料とはかなりの差があった。
この背景から、落ちぶれたエリートが社会に対する不満を見ず知らずの他人にぶつけたのだ、と言うことはできる。彼は友達も少なかったし、親との関係も良好とは言えなかった。彼の人生がうまくいっていなかったのは確かだ。彼が社会に不満を抱いていたかどうかはわからないが、社会に不満を抱いていても不自然ではない背景が存在していたということは事実である。あるいは、彼は自分自身に不満を持っていたと言うこともできる。
でもきっと、これらの意味づけを彼は拒否するだろう。
「俺は、無意味を表現したいんだ」
彼とした、最初で最後の会話。彼は無意味を主張していた。世界は無意味だと、彼はそう言っていた。ある意味で、彼はアーティストだった。その考えが行き過ぎた結果、倫理から逸脱した行為に及んでしまったのかもしれない。
大学を卒業して、僕は過去に提出した課題のレポートを見返してみた。その時、彼に関するレポートが二、三本見つかった。出来はひどいものだったが、そこに書かれている内容は、一応納得のいくものであった。上記の文章は、それらのレポートを総合し、僕自身のエピソードを付け足したものである。
僕はこの文章を書いた後、それらのレポートを消去した。
父親の命日が近い。僕は異母兄弟の兄について、また考えを巡らせた。
ハイジン 春雷 @syunrai3333
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