Nameless Hero

間貫頓馬(まぬきとんま)

Nameless Hero

 テレビ画面のカウントダウンが、7:00の残り時間を示した。


 今日、地球が終わる。隕石の衝突によって。

 10年前突如として発表されたその事実に、人々は慌てふためき、世の中は絶望に包まれた。混沌が世の中に蔓延る中、科学者たちは必死に解決方法を探り、偉い人たちは庶民に平穏を保たせようと必死になっていた。各地で暴動が起きて、虚実入り混じったたくさんの情報が飛び交い、死を選ぶ人、生を叫ぶ人、体裁をかなぐり捨てた人間というものはこのようになるのかと、それらを冷めた目で見つめる人、様々だった。


 俺はといえば、最初の5年は「またまたそんなこと言っちゃって」というスタンスだった。今までに何度も言われていたじゃないか、「何年何月何日に地球が滅びます」って。その日に地球が滅びたことがあったかといえば、まあ今日俺が生きていることが証明な訳で。今回もその手の類なのだろうと、楽観的なものだった。


 それが、「あれ、もしかして本当にやばい?」と思い始めたのは5年前。NASAだの某有名大学教授だの、ニュースに疎い俺でも、名前だけは知っているような機関のお偉いさん方が、テレビの向こうで真剣な顔をしながら地球滅亡について語っているのを見てからだ。つまり今になって言えば、俺は地球最後の10年のうち半分を無駄に過ごしたことになる。ちくしょう。そういう大事なことは、もっと早く言ってほしい。ずっと言ってたんだっけ? まったく、世界規模でのオオカミ少年の演劇かよ。

 

 意識を現在に戻す。テレビ画面では、スクランブル交差点で大暴れする群衆が映し出されていた。見るも無惨な光景だ。警察はすでに、犯罪を取り締まることを放棄していた。だって世界が終わるんだ。秩序を守る必要がどこにあるのでしょう? ということなのかもしれない。正義に駆られた自警団もポツポツと画面上に見られるが、そんなものでは抑えられないだろうな、となんとなく思った。画面上のカウントダウンは、すでに6:00を切っている。


 外が一瞬、爆ぜたかのように光った。その後すぐに天を裂くような音、続いて地を這うような音が鳴る。雷だ。それが合図だったかのように、続けて同じような光と、同じような音が鳴り響く。振動で自室のドアがガタガタと震えた。と思ったら、開いた。建て付けの悪いドアを開けて入ってきたのは、俺の保護者のシルベさんだった。


「もう6分切りましたね」

 シルベさんが言う。


「そうっすね」

 俺は素っ気無く答えた。


「日本列島に直撃しますよ」

「隕石も何考えてんだか。こんなちっさい島国に」

「ははは、隕石が思考するとは。面白いことを言いますね」


 シルベさんは、俺の横にゆっくりと腰を下ろした。出会った頃とほとんど変わらない姿形。男から見てもとんでもなく綺麗なその顔に、若干の不気味さを感じていたのも前の話だ。以前、「髭とか生えないんすか?」と聞いたら、一瞬キョトンとした後に「そりゃ生えますよ、僕だって男のヒトなんですから」と言っていたが、俺はシルベさんがヒゲを剃っているところを見たことがない。


 シルベさんは、幼い頃に両親を無くした俺を引き取ってくれた。父の遠い親戚と名乗ったその人は、若いながらにしっかりとした人物で、俺はこの歳になるまで、何不自由なく育てられた。


 ただ、どうにも謎の多い人だと思う。俺は彼の仕事を知らないし、彼の出身を知らない。彼が両親とどう言う関係なのかも知らないし、どうして俺を引き取ってくれたのかも知らない。もう十数年一緒に暮らしているというのに、俺は彼のことを何も知らないのだ。


 だが、俺は何も聞かない。そしてシルベさんも、必要なこと以外は何も言わない。それが暗黙の了解みたいで、お互い相手に踏み入ることはしてこなかった。だが俺は、別にそれでいいかと思っていた。


 そんなふうに思っていたので、俺はシルベさんが突然発した言葉に少し驚いた。


「最後に何か、僕に聞きたいことはありませんか?」

「……はい?」

「いえね、今まで聞かれなかったので答えませんでしたが、君ってば私に関してたくさん知らないことがあるでしょう? きっと」

「まぁ、それは、はい」

「どうせこのままですと地球も終わりますし、最後なのでなんでも答えますよ」


 「せっかく地球最後の日、なので」と笑ってこちらを向いたシルベさんは、やはり綺麗すぎる顔をしていた。

 人間離れ、と言う言葉が一瞬頭をよぎって、すぐに何処かへ消えていった。


「僕について、ホシノシルベという男について、何か知りたいことはありますか?」

「ええと、急に言われると困りますね」

「なんでもいいですよ」

「じゃあ、好きな食べ物、とか」


 合コンじゃねーんだぞ、と自分で自分にツッコミを入れたくなったが、不思議なことに数十年一緒に暮らして、そんなことも知らなかったという事実に気付く。


「好きな食べ物……そうですね、こちらに来てからは、お寿司など興味深かったですね。生魚を食すという文化は珍しいものでしたので」

「ん? ホシノさん、日本人ですよね?」

「ああ、えっと……前まで外にいたんですよ。お伝えしていませんでしたね」


 意外だった。遠いとはいえ、親戚に海外へ渡航するような人間がいたなんて。


「お寿司といえば、以前一緒に行ったお店、美味しかったですね」

「ああ、あの店。急にあんな高い店連れて行かれたから、すげぇびっくりしましたよ……」

「せっかくですし、良い物をと思いまして」

「せめて事前に言ってくださいよ。でもまあ確かにめちゃくちゃ美味かったっすね」

「でしょう? 君に楽しんでもらえてよかった」

「シルベさんのせいで舌肥えちゃったもん。色んな良い物食わせてもらいましたね」

「保護者として、子に経験を積ませるのは、ひとつの義務ですので」

「固いなぁ」

「まあ、純粋に君の喜ぶ顔が見たかったという動機もありますが」

「……そういうこと真顔で言うのがずるいんすよ」

「ははは、すみません」


 ふと、テレビ画面に目をやる。カウントダウンは残り5分を示していた。

 窓の外では休む間も無く落雷が起きている。空は重苦しい暗雲で覆われていた。

 隣に座る彼の表情は、穏やかなままだ。

 

「ねえ、君」

「なんですか」

「幸せでしたか」

「……なんすか、急に」

「両親を早くに亡くして、それから素性もわからないような男に引き取られて、そうやって生活して、今日まで生きて。君は幸せでしたか」


 彼の顔は、穏やかなまま。何を考えているのかわからない。


 それでも、そのどこまでも深い黒色の瞳が何かを訴えているような気がして、俺は答えた。


「幸せでしたよ。それこそ、地球が終わるとかいう事実から、5年間ずっと眼を逸らし続けたくなるほどにね」

「……そうですか」

 そう返した言葉の端に、安堵が見えたような気がした。


「ねえ、君」

「なんですか」

「僕の話をしても良いですか?」

「ええ、もちろん」

 カウントダウンは5分を切っている。

 地球滅亡まであと、5分もないということだ。



「僕の正体は、宇宙人なんです」

 にこりとも笑わず、彼はそう言った。



「…………ぶっ、はは、はははは! そ、そんな冗談今言います⁉︎」

 思わず吹き出した。今までなんだかんだと真面目なところばかり見せてきたシルベさんが、地球滅亡の間際そんなことを言い出すとは。腹を抱えて笑いながら、どんな顔でそんなことを言うのかと思い、シルベさんを見上げる。


 彼は、全く表情を崩していなかった。


 背筋を、一筋汗が伝う。

 目の前の彼は真剣だった。本気で、自分のことを宇宙人だと言っていた。


 この異常事態の中だから、そう思ってしまっただけもしれない。だが、シルベさんの表情、纏う雰囲気、そして俺自身の直感。それら全てが、俺に「彼は本当に宇宙人なのだ」と思わせてしまった。シルベさんは続ける。


「僕は君に『ホシノシルベ』と名乗りましたが、それは地球上で活動するための偽名です。僕の本当の名は、『惑星衝突目標点30A-971番』と言います。宇宙総合管理局の派遣で、地球にやってきました」


 目の前のヒトは、淡々と述べる。混乱し続けている頭では、その内容を理解することは難しい。しかし、俺の耳は一部分、とある単語をなんとか拾った。


「……衝突目標?」

「はい。率直に言いますと、地球を破壊する隕石は、私を狙って落ちています」

「じゃあ、隕石が日本に落ちるのは」

「私がここにいるからです」

「……は?」


 信じられない。その思いでいっぱいだった。ただでさえ地球が滅ぶという異常事態なのに、そのうえ、親同然の存在が宇宙人で、しかもその人がここにいるから、地球に隕石が落ちてくる? なんだそれは。


 なんだよ、それ。


 わけがわからない、何も言葉が出ない。ただ、目の前がひどく滲んでいる。涙を流した自覚すらなかった。


 俺の顔を見て、シルベさんの顔がわずかに歪む。傷ついているのだろうか。傷つく? 宇宙人が? 今から地球を破壊しようという宇宙人が、俺の泣き顔で心を痛めている?


 ふざけんな。


「ふざけんなよ!」

 俺は、大声を出した。


「何ふざけたこと言ってんだよ。宇宙人? アンタがここにいるから地球が滅ぶ? 冗談も大概にしてくださいよ」

「全て事実です」

「……っ!」


 頭に血を昇らせる俺とは対照的に、彼はどこまでも冷静だった。それが余計に腹立たしい。俺は拳を強く握って、怒りのままにテーブルに叩きつけた。大きな音が鳴って、拳にビリビリと痛みが走る。


「……それが本当だとして、何で俺のこと、引き取ったりしたんですか」

「……それは」

「地球が滅ぶって知ってたんだろ⁉︎ 人間のことなんてどうでもよかったんだろ⁉︎ なのに、何で……っ、何で俺のこと、助けるような真似したんだよ!」


 ほとんど怒鳴りつけていた。嗚咽交じりの声で彼に問いかける。どうしてこんな真似をしたのかと、宇宙人というのが本当ならば、どうして人間の子供を引き取るなんて真似をしたのかと。


 彼は一瞬だけ目を伏せて、それからゆっくりと話し始めた。


「……はじめは、君を引き取ろうと思った、本当に一番はじめの動機は、好奇心でした。僕はただ派遣されただけの存在で、どうして地球が滅ぶのか、どうして人類を滅ぼすのかなんてことは知らないままに、この星へやってきた。そんな僕に、突然10年という時間が与えられました。隕石の軌道調整などのために、必要な時間だったのだと思います。僕は考えました。この10年を使って、この国のことを、人類のことをできる限り知ってみようと。国を見て、世界を見て、そして人を見て。その中で君に声をかけたのは、僕にとって「家族」や「親子」と言った概念が、ひどく不条理なものに見えたからでした。どれだけ考えても、理屈では証明できないことばかりで、それで、僕は家族というものを体験してみようと思ったのです」

「家族ごっこするのに丁度よかった、ってことですか」

「……最初はそのつもりでした。しかし、」


「今になって、別れが悲しいのです」


 彼はそう言って、ひどく寂しげに笑った。


「君といた時間が、理屈抜きに楽しかった。もちろん、楽しいことばかりではありませんでしたが、それでも、今この時になって振り返って、僕は楽しかったんです。理屈で証明できない「幸せ」というものを、感じてしまった。これが、家族というものだと知ってしまった」


 彼と目が合う。どこまでも深い黒色の瞳と。


「先ほど、君が「幸せだった」と言ってくれて、本当に嬉しかった」


「……っ、それでも、それでも俺は」

「ええ、許せないでしょう。僕のせいで地球が滅ぶという事実は変わりないのですから」

 「ですから」と言って、彼は懐から黒い塊を取り出した。

 拳銃だ。テレビ越しでしか見たことのなかったものが、今、目の前にある。

「君には、選ぶ権利があります」

「……選ぶ権利?」

「はい。ひとつめは、このまま何もせず地球が滅亡することを待つこと。あれだけの規模の隕石です。痛みなど感じる間も無く、すべての生き物、すべての存在は一瞬で蒸発することでしょうね」

「……ふたつめは?」

「ふたつめは」

 訊ねた俺の目の前に、拳銃が差し出される。グリップ部分はこちらに、銃口はシルベさんに向いていた。


「君が僕を殺して、地球を救うこと、です」


「……えっ?」

「僕が死ねば、到達目標を失った隕石は消滅します。僕とあの隕石は、そういうふうに出来ています」

「だからって、」

「時間がありません。ふたつにひとつです」


 時間がない、と言われてハッとした。カウントダウンは今いくつだ? 確か最後にテレビを見た時、残り5分を切っていた。

 彼の言っていることは本当に真実か?

 そもそもどうして地球が滅びなくちゃいけないんだ?

 どうして今、こんな選択肢を俺に与えているんだ?

 だってこの人は宇宙から来て、地球を滅ぼそうとして、それで、


「君、」

 胸元に、固いものが押し付けられている感覚。拳銃のグリップだ。

 顔を上げると、シルベさんは穏やかな顔で笑っていた。


「僕は、幸せでしたよ。それこそ、今ここで死んでも良いと思えるほどに」


 俺は、彼から拳銃を受け取る。

 そして、



 ◇◇◇


 ニュースキャスターが、慌てた様子で速報を読み上げている。


「たった今入りましたニュースです。本日、地球に衝突すると予想されています隕石ですが、たった今、消滅が確認されたとの情報が入りました。繰り返します、本日地球に……」


 画面が切り変わる。

 そこには、スクランブル交差点で大喜びする群衆が映し出されていた。


 ごとん、と、固いものが手から滑り落ちる。



 地球を救った英雄は、独り静かに涙を流した。

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