第34話 ほっぺ

「おかえりなさいませ」


 旅館に戻ると和風を着た女将さんが出迎えてくれた。温かい微笑みに美琴が元気よく「ただいまですね!」と挨拶するが、俺と昂ノ月さんは影を落とした顔で、「ただいま〜」と言うのが、いっぱいいっぱいだった。


 部屋に上がるやいなや、俺は畳の上にごろりと寝転ぶ。


「いや、マジに疲れたわ」

「そうですね。さすがはFJQランドですね」


 昂ノ月さんも座椅子に座り、「ふぅ」と息をついた。


「明日も行こうね!」

「行かねえよッ!」

「行きませんッ!」


 たくっ、俺たちを殺すきか。「えぇぇぇ」とかほざいているが、ここは無視だ。


「お嬢様、明日はオルゴール美術館に行きませんか?」

「オルゴールかぁ、面白いのかなぁ?」

「スマホで調べてみるか」


 寝っ転がって仰向けにスマホで検索していたら、美琴も寝っ転がって俺のスマホを覗き込んできた。おまっ! 顔が近いよ!


「あっ、綺麗なところだ! ねえ、この建物、カワイイかも!」


 だから近いって! ほっぺがくっつきそうだ! 


「お前っ、顔を寄せす……」


 あっ………


 美琴の方をみた俺は、美琴のくっつきそうなほっぺに、俺の唇が触れてしまった。


「ん? どうかした?」


 気付いてない? し、しかしだな、お、俺のファーストキス……。 い、いや事故だ! で、でも、いや、あう、どうしよう。


「な、何でもないです。はい」


 紅潮した顔でスマホを見るが、目がグルグル回ってよく見えない。


「ここの噴水も行きたいね!」

「そ、そ、そうですね」

「ここのお店もカワイイよ!」

「そ、そ、そうですね」

「いま、わたしのはほっぺにチュウしたよね」

「そ、そ、そうですね……」


 一気に血の気が引いていく。バレてた。バレてましたよ。どぉすんの、どぉすんの、どぉすんのオレ!!!


「スマン!」


 俺は体を起こして、次いで速攻土下座した。


「えへへ。ファーストキスだね」


 うグッ、ほっぺとはいえヤッちまった。美琴の彼氏になるヤツには殺されても仕方のない所業だ。


 ……でも、俺の心はそんな詫びの言葉とは裏腹に、熱いドキドキのドラムが弾むような8ビートを叩きまくっている。


 初めてのキスに、美琴は何を思っているのだろうか。怒っている? 悲しんでいる? 俺という人間を蔑んでいるだろうか。ドレッドヘアの時のように怯えていたら……俺は……。


 おっかなびっくりしながら俺は土下座から顔をあげた。


「………………」


「えへへ、倭人くんが初めてで良かったぁ

!」


 なんでだ?


 そこには耳まで赤くなっている俺に、少し赤らんだ頬に白磁のような手をあてて、満面の笑みを返す美琴がいた。


 その微笑みに、俺の心のドラムが16ビートに加速する。


 ただ、ただ、その美しい微笑みを見つめて……。

 

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