第2話 異世界転生ものについて①
現在、異世界が舞台の現在のライトノベルの多くは異世界転生ものです。
しかし、1990年代のマンガ・ライトノベルを見てみると、純粋な異世界もの(例:スレイヤーズ!)や異世界転移もの(例:ふしぎ遊戯)であり、死んで異世界に転生するという作品は見かけませんでした。
2000年代に入ると、『灼眼のシャナ』や『十二国記』のような異世界から来たものが現実世界で活動、または主人公を異世界に連れ去るものがありますが、転生するものではありませんでした。
2010年代に入ると、『無職転生』『転生したらスライムだった件』『賢者の孫』が出て「異世界転生もの」が登場しました。
この時点では、「異世界転生もの」は不遇な状態にある主人公が不慮の事故で死亡し、異世界に生まれ変わるというものです。
賛否両論ある「異世界転生もの」ですが、否定される理由は安易にその作品世界における最強能力である【チート】を安易に手に入れてしまうところにあるようです。
とは言っても、「異世界転生もの」の草創期においては、【チート】は努力によって手に入れていたように思います。
『無職転生』では幼児期からの訓練、『転スラ』では洞窟での魔物の捕食、暴風竜から名前を分かち合うことで力を得、『賢者の孫』では祖父母の賢者と導師、元騎士団長による教育と本人の工夫という、【チート】を手に入れる過程の描写がされていました。
(『賢者の孫』については努力の過程はあっさりと流されているように思えます)
3作品以降のものになってくると、【チート】を手に入れる過程が簡略化され、生まれ変わる際に転生先を管理する神に出会い、【チート】をもらうという形になります。
こうして①不遇な人生を送った主人公が②不慮の事故に遭い、③不遇な人生と不慮の事故の代償として【チート】を渡されて④異世界で自由を謳歌する(無双する)というものに『異世界転生もの』は変化します。
(派生として、前世で慣れ親しんだゲーム世界や小説世界の登場人物に憑依するというものがありますが、ここでは割愛します。)
以上を踏まえて、①異世界転移から転生になった点と②努力の過程の排除、③周囲との関係の構築について現代社会との関連を述べたいと思います。
まず、①異世界転移から転生となった点についてですが、【転移】と【転生】の大きな違いは【元々いた世界に戻るために行動する】というエピソードが展開されるかどうにあります。
『ふしぎ遊戯』では、「四神天地書」という本の世界に主人公が転移します。そして、主人公はその世界における「巫女」の使命を全うして元の世界に戻れることを目指して行動します。
『十二国記』では、異世界から日本に帰るために雁国の延王に会うというのが当初の主人公の目的になります。
これに対して、『異世界転生もの』になりますと、元々いた世界では人生を終えているので、【戻る】という話にはなりません。
『無職転生』では、戻れないことを知りつつ前世を悔いる独白がなされますが、『転スラ』では死の直前にHDの処分を託した後は前世についての言及は前世で読んでいたマンガを仲間に見せるくらいしかなく、『賢者の孫』では第一話で社畜SEで徹夜明けに事故に遭ったという程度にしか前世について言及がありません。
このように、「異世界転生もの」では【元々いた世界に戻るために行動する】というエピソードがなくなり、更に主人公も【元々いた世界にあまり興味がない】傾向にあることがわかります。
『転スラ』では「彼女がいない」くらいしか前世に対する不満は言及されていません。
そして、転生後は前世についてはマンガを能力により複製して仲間に見せる場面、前世の世界から転移してきた者たちに対する親近感、使命感というところで前世に言及されます。
しかし、軸足は転生後の世界にあり、前世を懐かしむ様子が感じられません(刀や食・住居という文化については、ドワーフに刀を打たせ、料理を再現し、日本家屋を建設しているので、前世の人間関係というべきかも知れません)。
『無職転生』ではイジメやニート生活についての怒りや不満が描かれています。そして、ニートであったことで家族に迷惑かけたことを悔いることはありますが、兄弟やイジメを行なった者の名前が出てこないことから、前世に対するこだわりは薄いように思います。
これが『賢者の孫』になると、社畜SEで友だちのいない生活を送っているある日、残業の疲れから道路に出てしまいトラックに轢かれるという始まり方で、エピソードの薄さに前世の人生に対する主人公の関心の薄さを感じさせられます。
【元々いた世界にあまり興味がない】を言い換えると前世の社会が【戻るに値しない社会】と主人公が考えているということもできそうです。
この点について、現代社会との関わりについて考えていきたいと思います。
『スレイヤーズ!』や『ふしぎ遊戯』が人気を博していた1990年代は、バブルが弾けたとはいえ、今よりも日本は経済的に豊かだったと思います。『過労死』という言葉はよく知られていましたがたが『社畜』『ブラック企業』という言葉は一般化していませんでした(Wikipediaによると『社畜』は1990年の流行語とのことですが、当時のマンガ・ラノベに出てきた例はないと思われます。)。
『十二国記』『灼眼のシャナ』が出た2000年代では、2001年に『ブラック企業』という言葉が2ちゃんねるで言われるようになりましたが、1990年代には劣りますが今よりも日本は経済的に豊かでした。
つまり、今よりも経済的に豊かだった1990年代、2000年代には『異世界転生もの』は無かったが、経済的に危なくなってきた2010年代になって『異世界転生もの』が現れたと言えると思います。
そして、『異世界転生もの』が描かれ、受け入れられる背景には現代社会が【戻るに値しない社会】であること、その理由に経済的衰退があるということができるのです。
長くなりましたので、ひとまずここで終わります。
次回以降で②努力の過程の排除、③周囲との関係の構築について述べていきたいと思います。
ライトノベルについての考察 万吉8 @mankichi8
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