空に届く茶の香

菖蒲三月

本編

 廃坑へ降りて二日。

 行方不明になった友人を探しにきた僕は、岩肌に囲まれた中を進む。

 相当な深さだ。もうどれくらい降りたのだろうか。

 かつては希少金属が採れるとにぎわったらしい坑道は、今は誰も通らない。たったひとりで僕は足を進める。

 坑道の入口に固定した命綱は五クロメトルを超えたところで尽きていた。そこからは坑道の分かれ道に来るたび、黒い岩壁や足元のわかりやすい場所に、白いチョークで帰り道の目印を残した。


「世界最高のお茶を、飲みに行く」

 そう書き置きを残して、彼は姿を消した。

 僕は書かれたものの意味に心当たりがあった。前に冗談かと思って取り合わなかったけど、彼は本気だったんだ。


 安全帽につけたライトが暗闇の洞窟を照らす。所々で頭上から水滴が落ちて身体を濡らし、体温を奪っていく。

 この大地はいにしえの時代に、人が扱える自然水が失われた。いま僕たちヒトが生きていられるのは、仕組みがよくわかってない古代遺跡が空気中から水分を抜き出して、飲料水として供給しているからだ。

 しかし彼が言った通り、この廃坑には水があった。今まさに僕の身体を濡らし伝っている、それだ。

 この場所の存在は、なぜか地中都市間の協定での機密とされている。友人がどのツテから入手したのか、不確かな情報を僕に打ち明けたのがそもそもの始まりだった。姿を消した彼を探し出すために、僕はいわゆる『裏社会』と取引をして、ここにいる。

 

 水から臭う金属の気配。びちょびちょと不気味な音がささやく中を進む。足元を注意しつつ、さらに奥へと意識を向ける。岩山登山用の道具を使って、崖のような段差を降りた。

 友人は「古代遺跡からの水だけでは、計算が合わない」と、常々疑問を口にしていた。人が直接飲む水分だけなら遺跡水だけで十分足りる。でも水が必要なのはそれだけではない。工場で汚物を洗浄する水はどこから来たのか。定期的に地中都市に降り注ぐ人工雨の水は——。

 彼の推測したもの、それは。

 この大地には、あえて何かによって隠されている水源があるはずだと。

 

 岩の絶壁が見えてきた。立ちはだかるそこに、何か不自然なものを感じとる。岩壁にジグザグに打ち込まれたボルトが、僕の頭の明かりにきらめいて反射する。

 そうか、友人はここを登ったのに違いない。

 僕はその先行者が壁面に打ち込んだのであろうボルトを、ありがたく使わせてもらう。彼はこういう運動能力がやたら優秀だったな。無茶な冒険だと思ったが、彼にとってはそうでもなかったのかもしれない。むしろこれは、僕がきっとここへ来るであろうことを予想して、僕のためにあえてわかりやすく残した可能性もある。

 彼は事あるごとに奇跡を起こす、不思議な男なんだ。


 坑道に立ちふさがる岩壁を登り切ると、自然にできたのであろう洞窟が続いていた。どうやら鉱山としてはここが最奥で、この先は自然が生み出した通路だ。

 少しここで休む。ビスケットと固形栄養タブレットをかみ砕き、水筒の人工水を飲んで腹の底に流す。ストレッチして身体をほぐして、気持ちを引き締めた。僕は再び狭い岩窟を進んでいく。


 僕の耳にかすかに聞こえてくる音が、やがてはっきりしてくるのに気づいた。それはサラサラとしたものだったが、徐々に音の厚みが増してくる。そして岩肌を流れる水が足元に落ち、どこかへと細い筋を描いて流れていく。

 もしかすると、彼は——この先に。

 

 足が早まる。徐々に洞窟は狭くなっていく。

 岩壁をたどる両腕の動きも早まる。

 僕の息が上がり始めた。はあはあと呼吸音がする。

 狭い岩のストローを通る濁音が、全身を突き抜けた。

 

 僕は足元を流れる透明な水流に足を取られた。厚手のグローブをはめた手で身体をとっさに支えたが尻もちをついた。しびれる痛みが背骨を登る。

 そのまま僕の身体は足元から筒の先へと流されていく。水の勢いが激しさを増し、耳の中を爆音で埋めた。このままでは危険だ。頭部を守る安全帽は幸いにも壊れてない。でも埋まる。水流が僕の顔面をなでる。息ができない。

 

 急に身体の支えを失った。

 長い空洞が、はるか上方につながる。

 その先は開けていた。

 ああ、青い。青い光だ——。

 

 僕はそのまま透明の底へと、意識を手放した。

 

 

 

「おーい、お、き、ろっ、コラッ」

 僕のほほをつつく感触と、聞き覚えのある声。

「頼むから、起きてくれよっ」

 そっとまぶたを開くと、僕の探していた彼が人差し指でイタズラ小僧のように僕を突いていた。目が合うと、彼は潤ませた瞳でにやける。

「……え?」

「えって、なんだよ、お前」

 歯を見せて応えた声は、少し震えているようだ。よく見ると、彼の瞳だけではなく全身がずぶ濡れ。膝まで裾をまくったズボンだけはいた姿で僕をのぞいている。

 彼の髪から水滴がぽたぽた落ちて、僕の顔に当たった。どうやら彼が僕を助けてくれたらしい。僕が目を覚ましたことで、彼は安心して泣きそうになっているのだろう。

 心配したのはこっちだ。君が生きていてよかった。ここまで来たかいがあった。


「僕は……ああ、落ちたのか」

 寝かされたままで、ゆっくりと首を動かす。向こうに小さな黒い点が岩壁になじんでいるのを見つけた。そこから水が勢いよく流れ落ちている。そのまま水流をたどって視線を動かすと、紺青をたたえた深そうな水たまり。

「もしかして、また奇跡を起こしたのか……君は」

 僕は相当な高さを落下したはずだ。なのに軽傷で済んでいる。

「偶然だろ。おまえが落ちてくるのが見えたから、俺はそこへ飛び込んだだけ」

 彼は口角を上げて水たまりを指差した。水面は僕が通ってきたであろう黒い穴から、滝のように注がれる水流を受け止めて細かい波を打っている。滝つぼの透明度はガラスよりも澄んでいた。ゴミひとつない。

 そしてやっぱり、映しだすものは——どこまでも青く。


「廃坑の、奥のはずなのに、この青い光は……」

 僕は首を戻して真上へと意識を向ける。

 岩の天井であるはずの場所に、大きな青い穴がぽっかり開いていた。

 そこから強い光が洞窟の中へと注がれている。

「お前も、世界が隠していた秘密に触れちまったな」

 彼はすっかりいつもの調子になっていて、愉快だとケタケタ笑った。

 そして彼は僕を突いていた人差し指を立てて、腕を上へと伸ばす。

「『ソラ』だ。空は、本当にあったんだ!」

 僕は青い光に包まれたまま、瞳も口も、息する鼻の穴も、全開になった。

 

 彼は立ち上がり、ケトルを手にして巨大な水たままりのほうへ向かった。ケトルのふたを開けて丸ごと水中へ沈める。水をくんだケトルを持って戻ってきた彼は、暖かな炎が揺らめくバーナーを囲うように置かれた台の上に置いた。

 僕はようやく身体を起こした。あちこち痛いが、目立った傷はない。あんな上から落ちたであろうに、不思議とどこも骨折したり、ねんざはしてないようだ。服はまだ湿っていて気持ち悪いので、脱いで上半身の肌をさらした。

「ここは、地殻に隠された、湖さ」

 彼は揺らめく炎を見つめながらつぶやいた。温められた空気が僕の不安を緩める。おそらく可燃ガスもなく空気は清涼で、頭上の穴から通る自然が起こした風がある。だからこうして普通に炎をたいていられる。地中都市では道ばたで炎をおこすことは禁じられているが、それは換気の問題があるからだ。

「地殻……みずうみ? 大量の水が存在する場所か? そんなものが本当に存在したのか」

「だから目の前にあるだろ。空も、湖も、こうやって俺たちの前に姿を見せてる」

 彼は合成繊維のシートを地面に敷くと、金属のカップをふたつ置いた。細かく編まれた金網の破片をカップの上に渡らせる。

「さてと、ちょうどいい頃合いか」

 彼はバーナーの火を消す。そしてケトルのふたを開けると、おもむろに茶葉を放り込んでふたをした。


 やがてケトルの注ぎ口から白い蒸気とかぐわしい香りが漂ってくる。それを確認した彼はグローブをはめた手で取っ手を持ち、紅く染まった液体を金網の上からカップへ注ぐ。ケトルをバーナー台に戻し、注意深く茶葉をこした金網を外すと、彼は僕にそのカップを差し出した。

「ほら、これが世界最高の、お茶だ」

 僕は岩肌のゴツゴツした地面に座ったまま、それを受け取る。湯気に顔を寄せて、そっと口をつけた。

「熱ぃっ!」

 カップは耐熱構造になっていて手にしても金属の冷たさを伝えてきたのに、このお茶はやたら熱い。

 お茶をいれてくれた彼も立ったまま、顔を真っ赤にして息をカップに吹きかけて、ひと口飲んだ。

「あーっ、最っ高ぉ!」

 彼は満面の笑みであごを上げた。ダークブラウンの瞳がとらえてるのは青だ。

 青い『空』。


 背中を弓なりにしならせ、腕を斜め下方へと引っ張るようにして、彼は大声で叫んだ。

「俺は、秘密を、暴いてやったぜー!」

 彼の気持ちが高揚しているのがわかる。空洞の岩壁がこだまを小さく返す。

 それに当てられて、僕の腹も温まってきた。

「君の情熱が、蒸気になって上がっていくね」

 僕はカップから立ち上る、白い揺らめきを見つめる。鼻から喉から、身体の表面から奥へまとわりつく香りはしっとりしていて、確かに水であるのを主張した。

「そうさ、水は空気になり、あの青い空へ上がって、再び自然の雨となり、大地に戻ってくる。これが世界の道理だった」

 彼はカップのお茶を飲み干すと、両腕をまっすぐ上へ伸ばす。まるであの青をつかみ取るように。

「俺たちヒトをこんな穴蔵の奥に閉じ込めた連中は、どうしてこの空のある場所へ行けないかを説明できない。だから隠されていたんだ」


 この時から、僕と彼は共犯になった。世界の秘密を暴いたという、罪の領域へ足を踏み入れたから。

 でも構わない。きっと秘密を知られたくない存在に追われることになろうとも。僕は真実を知りたかったし、彼は本当の世界に帰りたいと望んでいるのだから。

 そして彼に付き合うのは、まっとうで面白くて、実に心地いい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

空に届く茶の香 菖蒲三月 @iris_mitsukey

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説