07.誰とキスをしたのか教えて
おじいさんが撫でてくれたから、痛いところがなくなった。びっくりする。いつもなら昼と夜が何度も来る間、ずっと痛いのに。
部屋を出るおじいさんにもう一度お礼を言った。ありがとう、その言葉を使うのはお母さん以来かも。アストリッドさんにお風呂してもらったから、お礼を言わなくちゃ。
暖かくて気持ちよかったし、いい匂いになった。その後に痛いのを消したおじいさんを呼んだのも、アストリッドさんだと思う。見上げると、優しい目で僕を見つめて顔を近づけた。動かずに様子を見ていたら、ちゅっと音がして額に何か触る。
「キスよ、したことある?」
首を縦に振った。お母さんがほっぺにしてくれた。僕が頷いたら眉を寄せて怒った顔になったアストリッドさんに驚いて、僕は逃げ出そうと動く。殴られる前に丸くならなくちゃ! 支えようとするアストリッドさんの手をすり抜け、長椅子の上で丸くなった。
頭を抱えて、じっと動かない。この姿勢が一番痛くないの。でもいつまでも痛くなくて、ゆっくり顔を向けたらアストリッドさんが泣いていた。綺麗なお顔に、目から流れた涙が光る。どうしたんだろ、どこか痛いの? 僕が動いた時に蹴っちゃったかも。
慌てて身を起こした。でも何を言えばいいのか、困っちゃう。僕の声は嫌いじゃないって。だから謝っても平気だよね。
「ごめ、なさ……」
「ごめんなさいね。カイに怒ったんじゃないわ。抱っこしてもいい?」
まだ泣いてるアストリッドさんが手を伸ばす。僕はその手に自分から飛び込んだ。抱っこしていい。してて欲しいの。柔らかくて、温かくて、お母さんみたい。
「あなたが誰かとキスをしたことが悔しかったのよ。怖がらせてごめんなさいね」
抱っこして僕を撫でてくれる。目を閉じてうっとりしながら、アストリッドさんの声を聞いていた。キスをしたのは、お母さんなんだけど。言った方がいいのかな、言わない方がいい?
「誰とキスをしたのか、教えてくれる?」
「おかぁ、さん」
「そう! そうなの、他には?」
今度は首を横に振った。他の人が僕に優しく触ったことはないよ。撫でたりキスしたり、抱っこもない。そう伝えたいけど、たくさんは話せなかった。喉に声が詰まっちゃう。まだ少し怖い。
「お母さんなら仕方ないわね。その……お母さんはいま」
「いない」
死んじゃったの。しょんぼりした僕の様子で気づいたのかな。アストリッドさんはそれ以上聞かなかった。僕と話してる間に、お部屋にはいろんな人が入って出ていく。何かを運んでるんだ。
何かいい匂いがする。くんと鼻を動かした僕に、アストリッドさんが笑った。銀色の髪も紫の目も、とっても綺麗な人。そんな人が僕を嫌いじゃないなんて、すごく嬉しい。
「お腹いっぱいご飯を食べましょう、すべてはそれからよ。カイは何が好きかしら」
抱っこして立ち上がったアストリッドさんは、部屋の中にある別の椅子に座った。僕はお膝の上に同じ向きで下される。目の前に広がるテーブルには、たくさんのお皿が並んでいた。
お皿は知ってる。洗うお仕事をしたことがあるから。割ったら叩かれた。あれは怖い。触って割ったら痛い目に遭う。震えながら手を丸めた。どうしよう、なんでこんな怖い物を並べたの?
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