まるで、短編映画のようで 【一話完結】

大枝 岳志

まるで、短編映画のようで

「ラジカセってまだあったんだ! うわぁ、見て見て!」


 放課後の音楽室で彼女は子供みたいにはしゃいだ声をあげ、掃除係だった僕の手を止めた。


「葵。俺達、掃除当番なんだけど」

「いいよ、そんなの。ほら、テープも入ってる! ねぇ、知ってた? このテープってやつね、爪の部分が折れててもセロハンテープでカバーすると録音出来るようになるんだよ。うわ、英語の教材テープじゃん。いいや、セロハンテープしちゃお」

「何すんの?」

「え? 録音するに決まってるじゃーん」


 そう言って彼女はラジカセを持って音楽室の準備部屋にこもってしまった。

 しばらくぶつぶつと何かを喋っているのが聞こえて来たけれど、すぐに静かになった。それでも、彼女は中々準備部屋から出て来る様子が無かった。


 それは季節が暑くなり始めた、風の静かな放課後のことだった。


 それからわずか一ヵ月後の七月。彼女は突然の事故でこの世を去った。

 享年十八歳。

 高校一年で同じクラスになってから、やたら気が合う僕と彼女は常に一緒の時間を過ごして来た。

 僕らはあまりにも仲が良くて周りからはカップルと思われていたけれど、結局彼女の気持ちを知ることは出来ないまま、彼女だけがこの世から先に消えてしまった。


 この世界に取り残された僕は、突然の事実を受け止める事が出来ずに腐りに腐り切った。

 高校を卒業した後は進学もせず、ずっと夢だった映画制作も諦めた。

 いつか、彼女を主演にして一本の短編映画を撮りたかったのだ。

 それを彼女に真剣に話したことがあって、彼女はしばらくの間天井を眺めた後に、こう言った。


「お芝居なんて自信ないけど、祐馬が叶えたい夢ならいいよ」

「本当? 本当に主演やってくれるの?」

「うん。でも」

「でも?」


 ほんの束の間、静かな時間が訪れた。

 グラウンドから聞こえてくる金属バットが球を弾く甲高い音が教室に流れ込んで、彼女はこう答えた。


「照れるなぁ」


 髪の毛を触りながら、本当に照れ臭そうに困った顔をして笑った。その瞬間を撮りたい、僕はそう思っていた。

 彼女の時間が止まったあの日から、書き掛けの台本には埃が積もり、何年もの間机の上に置かれたままになっている。

 あの日から、全ての時間は止まったまま月日だけが僕らを置き去りにして流れていった。


 二十三歳になったある夏の日。僕宛に小さな箱の宅配便が届いた。

 送り主の名を見て僕は「あっ」と声をあげた。

 

「芹沢 葵」


 なんで、どうして? 僕は何故五年も経ってからもうこの世界に居ないはずの彼女から宅配便が届くのかが分からなかった。

 しかし、箱の中を開けると一通の手紙が入っていて、それを見てすぐに疑問は解決した。


『◯◯高等学校 未来のあなた、友人へのメッセージプロジェクト』


 そうだ、確か高校の恒例行事で五年後の自分や友達にメッセージやプレゼントを贈る、なんてことがあったっけ。僕は確か悪友の北村に要らなくなったCDを送ったはずだった。今頃届いているのだろうか。


 僕は逸る気持ちを抑え切れないまま、箱の中身を確かめた。

 プチプチの梱包に包まれていて、それを破くと一本のカセットテープが姿を現した。透明のケースに入れられていて、タイトル書きも何もされていない。おまけに、これを聞こうにも僕の家にはラジカセなんて時代遅れの装置はとっくの昔に無くなっていた。

 しばらくの間考えあぐね、僕は北村に電話を掛けてみることにした。

 電話を掛けると北村は幽霊にでも遭ったかのような声をあげた。


「うわ、祐馬かよ! おまえ、生きてたのかよ」

「うん、まぁ……一応。なぁ、俺からCD届かなかった?」

「そうそう、届いたよ! なんだよ、この「昭和歌謡セレクション」って」

「高校の頃、血迷って買ったんだ。要らないから送りつけた」

「五年越しの嫌がらせかよ。もう大丈夫なのかよ、あれから」

「大丈夫……とは言えないかな。あのさ、北村の家にラジカセとかない?」

「ラジカセぇ? どうしたんだよ?」


 結局、探してもらったけど北村の家にラジカセは無かった。芹沢葵からの贈り物が届いたと伝えると、その十分後に彼は僕の家まで車で駆け付けてくれた。

 一か八かで、僕らは高校へ行ってみることにした。


 夕方に差し掛かった校門をくぐり、事務室で受付を済ませる。

 用件を伝えると、たまたま音楽部の部活練習に立ち会っていた顧問が僕らを出迎えてくれた。


「君らが卒業する頃からラジカセなんてもう時代遅れの産物だったんだろ? そうだ、MDなんていうのもあったっけなぁ。今じゃスマホさえあればいつでも何処でも録音出来るし、すぐに友達に送ることもできる。それでもカセットテープってヤツにはデジタルにはない温かみがあるんだよなぁ。そうは思わないか?」 


 僕らが卒業した後に赴任したヒゲもじゃの音楽教師はよく喋る人だった。レコードの歴史、カセットテープの歴史を聞かされながら音楽室へ向かっていたのだけれど、話は全く頭に入って来なかった。

 彼女は一体僕に何を伝えたくて、五年前にこのテープを贈ったのだろう。

 音楽室に着くと、ラジカセはまだ現役のまま生きていた。


「合唱を録音するにはこいつが一番イイんだ。要らない音まで拾うからな、その場の空気まで録音されているみたいで、それがたまらなくイイんだよ」


 音楽教師はそう言って笑いながらラジカセをパンパン、と叩いた。

 頼むから壊さないでくれ、と思いながらも僕は感謝を伝えた。


「ありがとうございます。あの、大切なテープなんです」

「そうか、なら私は引き下がろう。終わったらこのまま置いといてもらって構わないから。では」


 そう言って音楽教師は廊下へ出て行った。その姿に目を向けたまま、北村が呟いた。


「あいつ、物分かりいいな」

「うん。正直、助かったよ」

「それ、葵ちゃんの声が入ってんのかな?」

「さぁ……多分、そうだと思うんだけど」


 このテープに彼女の声が入っているとするなら、声を聞くのは実に五年ぶりのことになる。

 いつも一緒にいたから、僕らは写真を撮ったり動画を撮ったりすることなんて滅多にしなかった。

 一度だけ彼女を動画撮影しようとした時に、彼女は少しだけ怒った様子で僕に言った。


「えー、撮るの? やめてよ」

「なんでだよ、別に良いだろ?」

「せっかく祐馬に撮られるなら、映画を撮る時が初めてが良いな」


 僕は何の返事もせず、画面の「削除」をタップした。

 彼女の純粋な気持ちが、ただただ嬉しかった。


 テープの開閉口をガムテープでなんとか押さえているラジカセにテープをセットし、僕は息を整えてから再生ボタンを押した。

 ブツッ、と音がしてサーッというノイズが聞こえてくる。スピーカーからは微かに、金属バットが球を弾く音や運動部の掛け声も聞こえて来た。

 それから十秒ほどして、彼女の声が聞こえた。


「えー、今日は六月六日。珍しく晴れています。何録音しよっかなぁ? ねぇ、今日学食でエビフライ定食食べたじゃない? あのフライ変な味しなかった? 言うの忘れてたから今言ってまーす」


 そう言って、少し間が空いた。北村は下を向いたまま真面目な声で


「懐かしいな」


 と呟いた。確かに、懐かしかった。けど、それ以上に僕は彼女の聞き馴染みのある声に安心していた。

 そう、僕の隣から聞こえていたのはずっと、この声だったんだ。

 それからすぐに、彼女の声が再び聞こえて来た。


「祐馬、どんな映画を作るんだろうね? ロマンス? アクション? いやー、アクションは無いか。私、アクションなんか出来ないしなぁ。それよりも演技、大丈夫かな? 自信なんてね、正直全然ない。でも、祐馬が作った映画だったら私は出たい。祐馬が作った映画で、私が主演をするの。その映画が何処かの大監督の目に止まって、「あの作品を作ったのは誰なんだ!?」ってなって、祐馬は若手映画監督として大活躍! 私も女優として思いもしなかった道を歩むようになるの。祐馬と私の二人三脚で、世間の人達をたくさん、あっ! と言わせてみせるの。どう? 楽しそうじゃない? なんて、まだ脚本ももらってないのにねー。それより、ちゃんと台本書いてるんですかぁ? まだだ、まだだって、もう三ヶ月待ってるんだけど。でもまぁ、これから先も人生はまだまだ続くんだし、気長に待ってます。しっかし、この中暑いなぁ、もう夏が来るんだね」


 そう、確かあの日は風が静かで、少し暑くてとても柔らかな夕方だった。


「私達もあと半年もしたら卒業なんだね。その頃には自分がどうなっているのかな、なんて思うとそれも楽しみだね。映画は何のジャンルを撮るのかなぁ……。恋愛だったら祐馬は監督だから私のお相手は出来ないね。それを残念に思いますか? それとも、そんなことはないのかな。私ね、祐馬」


 知ることの出来なかった彼女の思いに触れられそうで、思わず胸が無意識に熱くなった。心臓の音が自分の耳で聞こえて来て、隣に北村がいることさえ忘れそうになってしまう。

 その続きは一体、どんな想いなのだろう。

 そう思ったが、言葉はそこで途切れたままサーッという空気の音だけがスピーカーからは流れ続けた。


「なぁ……これ、録音終わっちゃってるんじゃないか?」

「確かに……何も聞こえないね」


 さらに三十秒ほど経っても、何も聞こえて来なかった。ブツッ、と音がしないように祈りながら、僕はひたすら彼女の声を待ち続けた。

 しかし、次に聞こえて来たのはなんと僕の声だった。

スピーカーの奥で、小さく僕の声が聞こえて来る。


「葵ー、掃除サボるなよー。また俺が怒られるんじゃん。早く出て来いよー」


 それは準備部屋から中々出て来ない彼女にシビレを切らした僕の声だった。

 その声を聞いて、北村が笑っている。


「おまえ、このタイミングで登場するのかよ」

「この時は何を録音してるかなんて分からなかったんだよ」

「情けない声してんなー」

「うるせーよ」


 そんなやり取りを交わしていると、ようやく彼女の声がスピーカーから流れ始めた。


「今、私は君に呼ばれています。カンカンのご様子です。ちょっとは待てないもんかなぁ? これね、五年後の君に贈るつもりなんだからね? 五年後に後悔したって知らないよー?」


 そう言って悪戯に笑う声に、僕はたまらず泣きそうになった。後悔なら何度もした。代わりになれたらと何度も願った。もしもあの時、僕が帰る時間を少しでも遅らせていたら。少しでも早く帰らせていたら。彼女は事故で命を落とさなくても済んだはずだ。

 そんな風に悪戯に笑うから、僕は自分の心に閉めたはずの蓋が少しずつ開くのを感じていた。


「祐馬。私ね」


 それからまた、サーッという音だけが流れて来た。北村はラジカセをじっと眺めたまま、もう何も言わなかった。窓の外からはあの日と同じように、金属バットが球を弾く甲高い音と、運動部の掛け声が聞こえて来ている。あの日よりも暑い温度で、夏が流れて行く。

 そして、運動部の掛け声が止んだ一瞬の間に、彼女の声が音楽室にようやく響いた。


「愛してるよ」


 それからすぐにスピーカーからはブツッという音が聞こえて来て、僕はその場で泣いてしまった。

 声をあげ、子供のように泣き続けた。

 ずっとずっと待ち望んでいた答えを、彼女が居なくなってしまった世界で、僕はようやく知ることが出来た。

 それに言葉を返せないことが何よりも悲しくて、僕は夕方の音楽室で泣き続けた。




 今年の夏の雲はいつもより高い気がしている。 

 窓を開けると蝉の声がわっと耳に飛び込んで、夏の陽射しに思わず目を瞑ってしまう。

 あの日止まってしまった書き掛けのページからはだいぶ進んで、ようやく撮影開始の目処も着いた。

 けれど、物語の内容はあれからずいぶんと変わった。


 まるで短編映画のようだった君と過ごした時間を、君のことを、僕は撮ることにした。

 それならあの日言っていた君の願いを、僕はようやく叶えることが出来そうだから。


「せっかく祐馬に撮られるなら、映画を撮る時が初めてが良いな」


 レンズから覗く世界に、まだ君はいるような気がしている。

 そんな想いをペンに込めながら、台本はあと数ページを残して完成になりそうだ。

 夏はあの日よりもずっと高い空で、きっと僕らを見守ってくれている。

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