私が喰べる恋の色

@grrrrr

私が喰べる恋の色

 その事実に気がついた日、私は「恋って何色?」と、いささか執拗なほど積極的に、何人かの人たちに訊ねました。そして今、同じようにしてあなたにも訊ねようと思います。――「恋って、何色ですか?」


 ところで、どうでしょう、私が訊ねた人々の口から紡がれる色には、往々にして赤やピンクといった――ロマンチストとなれば、夢色や薔薇色といった――郁郁とかぐわしい色が、聞くも滑稽に紡がれてゆくではありませんか!

 ああ、滑稽滑稽。ええ、滑稽です。面白くって面白くって、口を塞がないと、どっと笑いが溢れてしまいそうです。とはいえ、私はそのような魂胆を必死に取り繕いながら、「私もそう思う!」などと思いもしない阿諛あゆをしてしまうのですから、救えません。

 でも、でもですよ、そんな度し難い私でも、これだけは気焔を上げて言うことができるのです。――「恋とはそんな色ではない!」と。

 では何色なのだ、と私を急かさないでください。どうせ五分後には分かることです。とはいえ、結論を先に申しておいた方がこれからの私のお話に説得力が加わるとも思うので、先に色の話を終わらせるべきでしょうね。そうしましょう。

 因みに、恋は黒とか泥の色とか、そんな負け惜しみじみた愚かなことも勿論言うつもりはありません。そんな色は浅薄で檮昧とうまいな被害者の色、あるいは何もできない臆病者の空疎な色です。私は恋をしました。そしてその恋が実った女の子として、この話をします。


 さて、どうでしょう、あなたに興味を持ってもらうために、ワザと煽るように言ってみましたが、ちょっとは聞く気になりましたでしょうか。前口上が冗長なのは良しとして、ここからはいよいよ本題に入りましょう。

 では、言いますね。――ずばり、恋とは白色です。正確には、恋とは白い色の世界です。

 白、白は、雪みたい。皎々こうこうと光る満月みたいな、白。真っ白な、真っ白な世界。

 その白い世界を口に含む前に、私は莞爾にっこりとこう言うのです。

「おにいちゃん、だいすき」


   ♰


 私の恋の回想は、おにいちゃんが私のくびを絞めつけながら言った、次の言葉を契機きっかけとして回り出します。


「お前は、俺の妹だろう」


 これに私は平生いつも、こう答えていました。


「うん!」


 おにいちゃんは美しい人でした。かっこいいとは言わないのです。美しかったのでした。ロダンの彫刻って分かりますか。あんな感じです。


 おにいちゃんはママとパパを平生いつも嘲罵しては狼藉を加え、寝台ベッドで私に跨っては、忙しなく猖獗しょうけつを極めました。ママは譫妄せんもうの末にくびれてしまい、パパは湮鬱いんうつの末に斃れましたが、私だけはおにいちゃんの玩具としてかがやきを失うことはありませんでした。


 私はスペクタクルに眼前で繰り広げられるこれら獰悪の顛末を(修羅場というのですか?)、猩血の紅茶と共に過ごしました。温血ぬくちは薔薇のこやしとなるのです。墓標のように滴る血に咲く薔薇の美しさに見蕩れながら、私は薔薇園園丁、或いはおにいちゃんの魁偉で壮麗な後姿を眺めるのでした。

 

 そうして出来上がった秘密の花園で――赤の絨毯のもてなしの中で、私はおにいちゃんと幾度となく戯れました。サド侯爵が、従者に自らを「ラ・フルール」と呼ばせていたように、薔薇の血を吸ったおにいちゃんは、残酷で美しい花そのもののように見えたのでした。


 ところで、私には、おにいちゃんと戯れる以外で、自分から声を発してはいけないという不文律がありました。おにいちゃんからしてみれば、それは不文律というよりも箝口令に近かったのだと思うのですが、ともかく、私が美しいおにいちゃんとおしゃべりができる限られた時間は戯れのその時だけで、私はおにいちゃんに甚振いたぶられている時にだけ、薄倖はっこうの奴隷のように、けれども愉楽に心を溶かしながら、声を上げました。


「いたい」と私が言えば、おにいちゃんはこう言いました。


「痛みは生命いのちそのものだ。俺たちは痛みの中で生きている」


「きもちいい」と私が言えば、おにいちゃんはこう言いました。


「オルガスムは小さな死だ。死ぬと言え」


「うん! しぬ、しぬ。わ、わたし、しんじゃうよ、おにいちゃん・・・・・・」


 私はおにいちゃんが大好きです。クラスの男の子よりも、優しい学校の先生よりも、パパよりも、世界中の誰よりも、この暴虐で、陰惨で、美しいおにいちゃんが大好きです。ですが、何度も手を動かし、口を使い、恍惚を覗かせ、喘ぎ、激しく求めても、私はおにいちゃんを手にすることができませんでした。私の方からおにいちゃんに愛の言葉を投げかけることは(先述の通り戯れの最中に限られるのですが)よくあることでした。でも、おにいちゃんのほうから私の愛に応えてくれたこと、してや「愛してる」と言われたことなどはなく、その点だけが私の恋の成就を妨げていたのでした。この頃くらいまでは私も、この焦がれる恋という感情に色を与えるのだとしたら、赤や黒を挙げていたのだと思います。


 一方で、おにいちゃんはよわく、脆い人でもありました。家の外に出ると、おにいちゃんはまるで猫みたいに大人しくなりました。蒼白な顔で、ずっと下を向いて、何も言わず、思い詰めたような顔をして、私の後ろを蹌踉ふらふらと歩き、なるべく人目を避けるようにしつこく頼み込むのでした。とはいえ私としては美しいおにいちゃんと一緒に外に出られていることが嬉しくて、浮足立ったものです。

 しばらくして外出を終え、家に帰ると、おにいちゃんはくずおれるように泣いて、私のことを抱き留めるのでした。その姿も美しく、原意とは違いますが、私はイコンでも見ているような、おごそかな情趣を持って、おもむろに自分で被虐の選択肢を作り出していきました。今思えば、私はこの時既に、この恋の色を知っていたのかもしれません。なんて。


 そして、その日がやって来ました。私の恋が実った日です。

 その日のおにいちゃんは珍しく、朝から私をもてあそぶことはしませんでした。ただ、私を見るなり滂沱と涙を流して、ぎゅっと、やさしく、抱きしめてくるのです。いつもとは違うおにいちゃんの様子に私は戸惑いながらも、「おにいちゃん、だいすき」と、箝口令を破ることすら気にとめず、何の気なしに言いながら、おにいちゃんの腰に手を回しました。すると、どうやらおにいちゃんの嗚咽はさらに激しくなったとみえて、その躰は微かにふるえを帯びるようになっていたのです。ほんとうにどうしちゃったんだろう、と私が訝しんでいると、おにいちゃんは消え入るような声でこう言いました。



「いままで、ごめんな」



 その時、なんとなく、私にはすべてが分かったような気がしました。そして事実、私の直感は間違っていなかったと、後で気づくことになります。

 泣き咽びながらおにいちゃんが急にそんなことを言い出したものですから、もちろん私は表面上、戸惑うようにしました。けれども、そのあとすぐに、決然と次の言葉を言うことができたのには、自分でも褒めてやりたいくらいです。


「おにいちゃん、ありがとう」


 私はそう言いました。それは何の混じりけもない、唯一にして崇高な白の言葉だったように思います。

 私の真っ白な言葉に、おにいちゃんは意表を衝かれたようでした。が、すぐに頬を綻ばせると、私の唇を奪うようにしながら、言ったのです。


「こちらこそ、ありがとう」


 その夜、おにいちゃんは自室で白く、固くなっていたのでした。



 間もなくして、おにいちゃんは完全に白くなりました。雪花石膏アラバスターの如き白い柩に、眠たそうに横になっていました。

 真っすぐ言いましょう。大好きなおにいちゃんは死にました。死んだのです。

 ですが、不思議と私は泣きませんでした。涙をこらえていた、わけでもありません。ただじっと、じっと、おにいちゃんを最後まで見ていたい、そう思っていました。

 それをどう邪推したのかは知りませんが、「引きこもりの自殺」だと、私に偽善的な笑みを向けてくる大人たちは言い寄ってきました。


「かわいそう」と言われました。

「つらかったね」と言われました。

「解放されてよかったね」と言われました。


 私は何も言いませんでした。――いいえ、ただ一言、これだけは言ったような気がします。


「恋ってね、白色なんだよ」



 ねぇ、おにいちゃん。今日も世界は真っ黒です。青とか赤とかピンクだとか薔薇色だとかがぐちゃぐちゃに混ざり合って、恐ろしい色を作り出しています。でも、みんなはそんな世界に疑問を抱くことなく、息を吸い、ご飯を食べ、仕事して、恋をしています。真っ黒な、真っ黒でおぞましい色だけが、躰の中に溜まっていくのです。


 でも、安心してください。私がおにいちゃんを思う気持ちは、真っ白です。おにいちゃんが遺してくれた、雪のような、月のような、白です。


 これから私には、様々な染色を強いる出来事がやって来ることでしょう。それでも、私は負けない。私は白で居続けるのです。だから、今、こうして正直に、このお話を書ききりました。これは、誓いです。


 私が喰べる色は白。おにいちゃんとの恋の色です。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私が喰べる恋の色 @grrrrr

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ