ロリ大妖精の元に永久就職を決意しました。

《この部屋に近づいてくる人間がいます。トキワさん、急いで隠れてください!》


「来ちゃったか。もう少しで全部洗えるところだったんだけどな」


 蛇口の水を止め、洗い損ねたスプーンを置いたままにして、地面に降りる。


 急いで近くにあった戸棚に隠れると、直後に人間が入ってきた。結構ギリギリだったな。


「あれ? 洗い物が減ってる……。店長がやってくれたのかな。スプーンだけ残しとくって、嫌がらせみたいだなぁ。店長は後でシメるか」


 女の声が聞こえてくる。そして、全く関係ないのにとばっちりを受けてしまった店長さん、ごめんなさい。


 真上で水の流れる音が止まって、乾燥棚に物が置かれたような振動がある。


 俺の隠れている所から音が遠ざかっていったので、戸を少し開けて様子を伺ってみる。


 女の人は、こちらに背を向けて窯の前に立っている。焼き上がりを確認しているのかな?


《どうやら、目当てのアップルパイが焼き上がったようですね。香りはどうですか?》


 エバーに促されて鼻に集中してみる。すると、部屋中に熱気が広がる。それと一緒に、シロップの甘い香りがしてくる。


 もしかして窓を開けてるのって、匂いで人を釣るためだったりするのか?


「とっても美味しそうな匂いがここまでしてくる。多分、大成功してるんじゃないか?」


《良いですね、良いですね! 楽しみになってきました!》


 パン屋の女の人も満足する仕上がりだったのか、早速それを取り出そうとしているみたいだ。


 しかし、窯の横を見て少しムッとしたあと、女の人は俺の方を向いた。


 ヤベェ、バレたか⁉︎ バッチリ目が合った気がする!


《見られてしまったかもしれません。急いで転移の魔法を準備するので、どうにかしてやり過ごしてください!》


 戸を慌てながらもそっと閉じて、真っ暗な中で隅にあった大きな布の塊の裏に身を縮めて、隠れる。


 俺の心臓の音を強く感じる。これだけ緊張感があるのって、就活以来な気がするな。


 子供たちに見つかりそうになった時より危険度が高いのに、俺は呑気なことを考えているもんだな。


 俺がドキドキしていると、隣の戸棚が開く音が聞こえてきた。よかった、俺が目当てじゃなかったのか。


 と安心したのも束の間「う〜ん、新しいミトンどこにしまったっけな」と言っているのが分かった。


 ふとした俺は、慣れてきた目で隠れている布の塊をよく見てみる。先端が丸くなっていて1箇所だけ飛び出ている形をしていて……。


 これミトンじゃないか! 運が悪いな、俺!


 そこから離れようとするが、この戸棚に手をかける音がする。もう後一瞬で開けられてしまう。


《ああ、トキワさん! すぐに助け出しますから!》


 こんな時に、もっと便利な魔法があればなと思ってしまう。空を飛ぶことができるだけの魔法じゃなくて、この場面を切り抜けられるような都合の良い何かが欲しい。


 何かのアニメで見た、透明人間の映像が脳裏に浮かんでくる。こんなふうになれたら、誤魔化して逃げられるかもしれないのに。


 戸の隙間から光が漏れてくる。


 もうダメかと思われた時、俺は疲労感に襲われた。


「あ、あったあった。こんな所にしまってあったんだ」


 女の人が、俺の前に置いてあるミトンを掴む。そのまま、俺のことを見えていないかのようにそれだけを持っていってしまった。


 もう一度戸が閉まり、中が暗闇に包まれる。


 見られて、その上で無視された? でも俺だったら凝視しちゃうよな。なんでだ?


《なんで見逃してくれたんでしょうか……? あっ、トキワさん! 手が、体が!》


「手? ……お、俺の手が……!」


 危ない、叫びそうになってしまった。


 けど、それも仕方ないと思う。なんせ、俺の全身が透明になってるんだからな。


「顔を触った感覚は、ある。壁を触る感覚もある。姿だけ見えない……」


《これは、魔法、でしょうか。これは、もしかするかもしれないですね》


 もしかするってことは、俺も条件付き魔法の可能性があるってことか!


《こちらに帰ってきてもらわないと、なんとも言い難いですが、一旦落ち着いてください。結果的にではありますが、アップルパイを持ってこられそうですよ》


 おっとそうだった。喜びすぎて我を忘れる所だったな。


 体の透明化はいつの間にか切れてしまっていて、俺の体は普通に見えるようになっている。なので、より慎重に戸を開けて外を確認する。


 相変わらず甘い匂いは漂っているが、女の人はいなくなったようだ。


《アップルパイを作るときの最後の工程は、冷ますことです。かなり熱いですが、今のうちに一つ貰っちゃってください》


「どうせなら、一番美味しそうなやつでも貰っていこうかな。っと、その前に机の上に乗らなきゃいけないのか」


 背中の羽根を使わず、魔法を使って浮き上がる。これ、飛んでるというか浮いてるから『レビテーション』の方が近いのかな?


 そんなどうでも良いことを考えつつ、熱々のアップルパイの目の前までやってきた。


 一番美味しそうなものを選んでくるって言ったけど、全部変わらず美味しそうだな。すごく迷う。


 直感で一つを選び取ると、それを全身で抱える俺。あっついはずなのに、全然そうとは感じないのは、やっぱり妖精族が天使の末裔だからだろうか。


《転移魔法のチャージはトキワさんを助け出すためでしたが、必要なくなってしまいましたね。まあ、普通ではないような事が起こってしまったので、これで帰ってきてください》


 エバーの魔法が使いやすいように、俺は入ってきた窓から出て路地裏に身を潜める。


 草原に飛ばされたときのように、一瞬体が揺らいだかと思うと、俺はエバーの目の前に立っていた。


 色々なことが起こったが、なんとか無事に帰ってこられたようだった。




「お帰りなさい、トキワさん。初めての事ばかりだったと思いますが、本当にお疲れ様でした」


 俺を出迎えてくれるのはエバーだ。そもそも、俺のことを知っている妖精族が今のところエヴァしかいないと思うんだけど。


 久しぶり、と言えるほど長く離れていたわけではないけど、久しぶりに生で聴くエバーの声はテレパシー越しより可愛らしい。


「ただいま、エバー。アップルパイってことだけど、これで良かったかな?」


「はい、バッチリです。ありがとうございます!」


 両手で抱えていたパイをエバーに渡すと、急に体が軽くなったからかバランスを崩してしまった。


 そのまま俺はエバーの足に倒れてしまう。サイズ感が全く違うけど、膝枕みたいな感じだ。


 ああ、ここで寝てしまいたい……。


 そんな誘惑を断ち切るべく起きあがろうとすると、エバーの手で優しく止められてしまった。


「いいんですよ、私の膝の上で良ければゆっくり休んでください」


 俺のことを労ってくれるように優しい声を出してくれるエバー。


 前世では他の人から優しくされる経験がほとんど無かったからな……。特に社会人時代は。


「その体勢のままでいいので、少し話をしましょうか。今回のことのすり合わせや、感じたことを聞いてみたいです」


「本当に色んなことが起こったからなあ。とりあえず、もうずっとワクワクしてることがあるんだけどいい?」


「もちろんです。まずはあなたの魔法について、考えていきましょうか」


 エバーは右手でアップルパイを持ち、左手を使って俺の方にかけらが落ちないようにして食べている。


 下から見上げる形になると、顔を見ようとする俺とエバーの顔の間を大きな二つのパイが邪魔してくる。


 ……りんごサイズのパイ、アップルパイってか。いや、エバーは絶対そんなこと考えてないと思うけど。


 邪な妄想をしていると、一口目を食べ終えたエバーが俺に話しかけてくる。


「では現状わかっていることから話しますと、トキワさんは私と同じく強力な魔法を持っている可能性が非常に高いです」


 おお、やっぱりそうなのか。じゃあ俺もエバーみたいに瞬間移動とかできるのかな?


「今は魔法を使うのは控えた方がいいと思います。使い慣れているものならまだしも、初めて使う魔法となると疲労感も強いので」


 確かに、初めて魔法を使って飛んだ時も透明になる直前も疲れるような感じがした。今日だけで2個も新しい魔法を使っているんだ。休んだほうが身のためだろう。


「なので、明日からトキワさんの魔法を詳しく調べていくことになりますが……。」


「ん? 何か問題でもあるのか?」


「その前に、一つお願いを聞いてもらったので、明日一日、というか今から自由にしていてください。休暇ってやつです」


 え、休暇出るの? お願い一つで一日休みが貰えるのか⁉︎


 労働環境が前世とは違いすぎて混乱してきた。


「休暇ってことは、普通に休んでていいんだよな? 頻繁に呼び出されて、結局休みにならないなんてことはないんだよな?」


「すみません、稀にですが呼び出してしまうことはあります。ですがその分、別の日に休みが振り替えになります」


 エバーが稀って言うということは、本当に少ないんだろう。休みが休みとして存在しているだけでもありがたい限りだ。


 とは言っても、今日のことで少し疲れはしたものの休みが欲しいほどではない。


「休みが貰えるのはありがたいんだけどさ、俺はまだ疲れてないから明日も働くよ」


「ダメです」


 俺が言うと、すぐさまエバーは突っぱねてきた。


「ダメです。疲れていなくても働いたらいけません。無理をしたせいで倒れていった仲間を、私はたくさん見てきました。もう私はそんな人を見たくないんです」


 エバーは苦いものを我慢するような、それでいて悲しいような表情を浮かべて話していたかと思うと、一転してニコッと笑いかけてきた。


「もしも動きたいと言うんでしたら、明日はこの森の周囲を探索してみたらどうでしょうか?ここからあまり離れなければ常に私が見守ることもできますし、生まれたばかりで好奇心に満ち溢れているトキワさんなら、きっと楽しめると思いますよ」


 確かにそうだな。ここが拠点になって生活をするのに、この周りのことを全く知らないのもおかしい話だ。


「なら、明日はそうさせてもらうよ」


「何はともあれ、今回はお疲れ様でした。明日は有意義に過ごしてください。あ、もしこのままが良ければまだ私の膝に乗っていてもいいですよ」


「いや、もう遠慮しとく。ありがとう、エバー」


 名残惜しいけどエバーの膝から離れる俺。


 前世よりも労働環境が良い……? この場所で、これからもお世話になろうかな?


 俺の新たな職場は、優しいママ上司のいる所に決定しました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

社畜から妖精さんに転生したらロリ大妖精がママ 兼 上司になったのでお願いを聞くことにしました。 熊倉恋太郎 @kumakoi0606

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ