アクヤクに憧れて

熊倉恋太郎

悪魔、誕生

 世界の全人口の七割に特殊能力が発見されて、約十年。


「いけーっ! そこだっ! パンチだ!」


 特撮と呼ばれた番組は、いつしか本物になっていった。


 本当に能力を使える正義のヒーローが、本当に能力を使える悪役を倒す。


 そして、それがテレビ越しではなく現実に起こるのは、意外に早かった。


『賃金が低い! どうして取り入るのが上手いヤツだけ昇進して、話が下手なヤツや酒が飲めないヤツは下に居続けなきゃならないんだ!』


 最初のアクヤクは、人を殺しうる力を持っていただけで、ごく普通のサラリーマン。


 上司や社長を殺そうとした彼の前に立ちはだかったのは、後に最初のヒーローと呼ばれることになる三人の能力者だった。


 一般人の命を脅かしたら犯罪者で、犯罪者を殺したら英雄になる。この時もそうだった。


 その光景を、偶然近くで目撃していた小学生の俺は、アクヤクに心を惹かれた。


 どうして正論を言った人間が間違っているんだ? 結局一人も殺していない人間を殺して、どうして英雄扱いされるんだ? 集団で囲んで叩いて、卑怯でおかしいのはどっちなんだ?


 この時俺は、一人で世界を相手にするアクヤクに憧れた。




「尾山カゲツ。貴様をこの道場から追放する! さっさと出ていけ!」


 目の前で、木製の扉が閉められる。


「クソッ! 何がテメェの思う最善を突き進め、だ! 俺の最善は受け入れられないってのかよ!」


 硬く閉ざされた扉を、つま先で蹴り飛ばす。少し力を入れすぎたのか、ヘコミがついてしまった。


 俺は山の頂上にある、入ってたった四日しか経っていない道場に背を向けて、街へ下り始める。


「はァ……ま、しゃーねェか。ここがダメだったンなら、別のトコで鍛えりャイイ。それだけだ」


 下りていく途中で、昨日降った雨で濡れた鏡があった。そこに映る俺の姿は、夢を志し始めた頃と大きくかけ離れていた。


 ヒョロガリだった小学生の頃とは違い、流れる時は俺の体を戦闘向きにしていた。俺の能力が故に、服装は常に半裸。靴すら履かず、下着一枚に近い格好をしている。全身についた筋肉は、動きを阻害しない程度に絞ってある。


「菜食主義の道場なンて時代遅れがすぎンだ。効率よくタンパク質を摂らねェと、体ッてのは弱くなるもンなのにヨ」


 悪態を吐きながら、鏡を拳で殴りつける。その力は均等に鏡を揺らし、全体が崩れるように割れた。


「やッてる内容自体はいいンだから、そこだけなンだよな……。指摘したら指摘したで追放するしヨ。頭が硬てーンだ、ジジイ共」


 これが、俺が絶望し変えたいと切望する社会の構造だ。


 過去を崇め、奉り、神格化する。そして、出る杭を打ち、出過ぎた杭は途中で切り落とす。


 ごく稀に抜きん出た杭だけが生き残り、埋まってるヤツらは指を咥えて眺めてるだけ。


 そんな社会、クソ喰らえだ。


「さァて、次はどうすッかな」


 街まで下りた俺は、辺りを見回す。ヒーローがそれなりに一般化してきてから、強さが一つのステータスになった。子供には強くあって欲しい、社会で出世するために強さが欲しい。そんなヤツらに応えて、格闘技術の塾が増えてきていた。


 ピンからキリまであるが、全て独学でやるよりは幾分かマシだ。


 と、街全体に警報が鳴り出した。どこかの誰かが、アクヤクを買って出たのだ。これが鳴ると、すぐさまヒーロー共がやってきてリンチが始まる。


 今まで鍛えてきた力がどこまで通じるか、試してみる価値はありそうだな……。


 俺は能力を使って、空高くまで飛び上がった。家の屋根を軽々飛び越して、電線の高さも超えた。


 そのまま、空中でもう一度能力を発動する。背中から空と反発するように前へ打ち出した俺の体は、一瞬で戦いの現場まで飛ばしてくれた。


『カネ! カオ! チイ! 結局社会はそんなモノなのか! そんな社会、俺がぶっ壊してやる!』


「おお! いいねェ! 俺と同じ事考えてらァ!」


 思わず興奮してしまう。やっぱり、いくつになっても悪役が自分のしたいことをしてるのはテンションが上がる。


 巨大化の能力を持っているそのアクヤクは、右手に黒髪の女を、左手に金髪の男を握っている。


 そこへ、五人で揃いの衣装を身にまとったヒーロー集団が走ってきた。赤、青、黄、緑、そしてピンクでそれぞれ色が違う。仮面をつけていて、顔がどうなっているかはわからない。


「待て! 無関係な一般人を巻き込むんじゃない!」


 真ん中にいる赤色が、アクヤクに向かって声を上げる。


『ムカンケイ? 何言ってる! コイツがオレをフって高収入なだけのクズに乗り換えたんだ! 関係しかないだろうが!』


 アクヤクが吠える。


「助けてー! キモい男に粘着されてるって相談しただけなのに、勝手に逆上したの!」


『ウソを言うな! 大体、オレと寝たこともあるだろうが! 腰振って男を誑かすビッチだったとは思わなかったけどな!』


 女が、嘘っぽい嘘を大声で叫ぶ。それを聞いて、ヒーロー共はアクヤクを取り囲むように広がった。


「お前、もう許さないぞ! みんな! 連携して、コイツを倒すぞ!」


 ヒーロー共は「おう!」と返事をしている。タダシイコトをしている自分達に酔っているようだった。


 赤色が、どこからか両手剣を取り出した。他の連中も、各々武器を取り出している。ヒーロー連中に配られている携帯四次元から持ち出したのだろう。


 いつの間にか、周りにはギャラリーが集まっていた。スマホをヒーローに向けて、口々に応援している。


 そして、集団リンチが始まった。


 それぞれが持った武器で、死角から殴る蹴る。一方的に技の名前を叫んで、水やら炎やらを武器にまとわせて膝を攻撃する。


 アクヤクは巨体なだけにタフネスも相当だったが、膝を集中的に狙われてしまい、ついに頽れてしまった。


「これでとどめだ、アクヤク!」


 赤色が、両手で持った剣でアクヤクの首を刎ねようとする。周りの野次馬共は、早く死ねとばかりに囃し立てる。


 そんな光景を見て、いてもたってもいられなくなった。


「オイ、バカ共がァ!」


 辺り一体に響き渡る声を、自分の喉から捻り出す。


 周りの群衆が一歩引き、代わりに俺は前に歩く。


「お前らの相手は、この俺だァ! ソイツはもう戦えねェ! それ以上何をする必要があるッてンだ、アァ!」


 ヒーロー共に近づくと、ギャラリーの目が明らかに変わった。妙なモノを見る目から、敵を見る目に。


「お前はコイツの仲間か! 邪魔はさせない!」


 俺の近くにいた緑色が、手に持ったヌンチャクで襲いかかってくる。


 大振りで当てる気の感じられないその攻撃を、右手の甲で弾いた。


「なっ!」


 弾かれるのは想定外だったのか、緑色が慌てる。


 そんな緑色に対して、俺は腰を落とした掌底を叩き込んだ。


 ドンッ! と空気が振動して、緑色が近くのビルに吹き飛んでいった。


「グリーン! ————貴様、何をした!」


 隠すつもりもない俺は、自分の能力について話した。


「俺はフェアが好きなンだ。だから言ッてやる。俺の能力は、一瞬だけあらゆるモノを反射させる能力だ。それを使って棒切れを弾いたり、ブッ飛ばしてやっただけだ」


 空を飛んだのも、これの応用だ。背中で一瞬『空』という物体を押した。


「貴様、よくもグリーンを!」


 ピンクが俺に矢を飛ばしてくる。それを真正面から手の平に当て、真っ直ぐピンクに返し

てやる。


 それが命中する寸前、赤色が剣で切り落とした。


「卑怯な!」


「何が卑怯だ! 今の俺の攻撃は受け身! 自分からアクヤクに攻撃しておいてよく言えたナ!」


 売り言葉に買い言葉。赤色の言う事に、俺は事実と正論で返した。


 しかし、それが野次馬共に火をつけたらしい。


「そんなヤツ、ぶっ殺してしまえ!」「負けないで、ゴニンジャー!」「レッド様、一刀両断よ〜!」「ブルー! 華麗な鞭捌きを見せてくれ!」「イエロー! そんなヤツ食べちゃえ!」


 喧々轟々、という言葉が相応しいほどに、辺り一帯が騒がしくなった。


「みんなの声援を力に変えて、行くぞ!」


 赤色が、またも号令をかける。そして、一斉に俺に襲いかかってきた。


 クソッ、緑色も復帰が早えェ。対人だと、もっと威力を上げねェと効果が薄いか!


 今まで習った拳法の中には、防御に主軸を置いたものもあった。手の甲や腕を使って、いなし、捌き、無力化していく。時には能力を使って体勢を崩させたり、隙を見てカウンターを叩き込んでいく。


 そうして動ける頭数を減らし、赤色一人だけが残った。


「貴様……よくも仲間たちを!」


「殺しちャいねェじゃねェか! テメェらはアクヤクを一人残らず殺して回りやがッて、ほんの少しくらい悪いとは思わねェのかよ!」


「我々は、正義を執行しているんだ! 世界の平和を守るために!」


「セカイのヘイワだァ? 何ヌかしてやがる! ただ停滞させるだけじゃねェか! 世界を変えるためにはな、命賭けて行動するしかねェんだよ!」


 これが最後の応酬になるのは、お互いにわかっていただろう。


 次の一撃に、俺の全てを乗せる。


 上段から切り下ろしてくる、魅せる事に特化した攻撃を左手から左腕を沿わせるようにして外させる。


 剣の重みで重心が前に来たところで、俺は地面を強く踏みしめた。


 震脚で体に通っている力を赤色の腹に右の掌底でぶつけ、飛んでいく前に俺の能力も発動する。段々、能力を使うのが上手くなってきたのを実感する。


 最初の緑よりも激しい打撃を与えた赤色は、苦悶の声すら上げずにビルを貫通して飛んでいく。


 肺の底から息を吐き、構えを少し緩める。


 ……周囲から、物が投げつけられた。


「何やってるんだ、アクヤクめ!」「ヒーローを倒して、どうしてくれるのよ!」「極悪人が生まれたぞ!」「英雄たちに討伐されてしまえ!」「この、悪魔が!」


 投げられる物を、少しの反射で体に当たらないよう調整しつつ、疲れた体を休める。


 ゆっくり呼吸をして整えていると、最初にアクヤクになった男が物を浴びながら俺に声をかけてくる。巨大化を解除して、普通に成人男性の姿をしている。


「あ、ありがとう。助かったよ。……ところで、名前を聞いてもいいかな? その、命の恩人の名前くらいは知っておきたいから」


 構えを解いて、自然体になる。


 ゴミと罵詈雑言の雨の中、俺は名前を言った。



「俺はカゲツ。アクヤクに憧れて、アクヤクになる男だ」



 こうして、俺は悪魔と呼ばれる災厄になる、最初の一歩を踏み出した。

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