第三十九話

 結界のはるか遠くから、雷公が、人の世界へと、足を向ける頃、騒ぎのことは、なにも知らぬ桜姫は、靑龍󠄂せいりゅうと結界を挟んで、向かい合っていた。


 結界が張られる前から、人の世界、こちら側に来ていた鬼ともは、次々と“呪”を詠唱し、使役する神を降ろす真白陰陽師ましろのおんみょうじたちの前に、バタバタと倒れてゆくが、何分に数が多く、にらみ合いを続けている桜姫を抜きに、苦戦を強いられていた。


 それを静かに見守っていた螺鈿らでんの君は、いきなり元の姿、七オクターブの音域を軽々と出す、付喪神つくもがみことへと姿を戻し、促すように、天藍てんらんの君の前へと、降り立つ。


「あらまあ……」


 少し困惑した様子を見せていた天藍てんらんの君は、やがて、ふっと優雅にほほ笑むと、人の姿のまま、人そのものの大きさとなり、まるで内裏の宴に出た天女のような仕草で、ことに戻った螺鈿らでんの君を、そそとした仕草でつま弾きはじめていた。


 流れ出した音に、自分が使役する十二神将を維持する体力の限界を、少し感じはじめていた“六”は、音色と共に、自分の中で力が自然と湧いて出るのに、気がついていた。

 この旅に出てからというもの、いついかなるときも、弓を手放さず、なにしているときは、無理矢理に背中に、邪気を払うための弓を、背負っていた“弐”も、鳴弦の儀めいげんのぎと呼ばれる邪気を払うために、弓をつがえる手を止めると、一瞬視線を、天藍てんらんの君に向けてから、再び、見えない光の矢をつがえ、鬼どもを射抜きはじめていた。他の陰陽師たちも再び力を取り戻し“壱”“参”“四”の三人は、龍の声を出す


 四君子しくんしのふたりの内のひとり“空を駆ける龍の鳴き声”『龍笛りゅうてき』に戻った蘭菊丸を吹いて、驚いた鬼どもを、次々と“呪”を唱えて調伏させえながら、ふもとに向かっていた。


 比叡の山は、人には広く険しい道のりであったが、彼ら、「特別な存在である真白陰陽師ましろのおんみょうじたち」は、見事に最後の一匹まで、比叡山にはびこっていた鬼どもを、ついに退治していたのである。


“あの世の音”そう称される『能管のうかん』の化身である梅竹丸は、すべてが終わったのを察すると、元の姿に戻り、長き時がかかったが、比叡の山からは、鬼がすべて、彼の出した音色に乗って、あの世へと旅立って行った。


「桜姫と靑龍󠄂せいりゅうはどうなったのかな?」

「さあな……」


 そんなことを言っていたのは、山のふもとで、比叡山から避難していた僧侶たちに、すべてが終わりつつあることを、重々しく告げていた三人であったが、その頃、しびれを切らした桜姫は、結界を無理やりに引きちぎると、最後の「結界」として、雷公が差し向けていた靑龍󠄂せいりゅうと、元の巨大な龍となり、桜姫を心配する“伍”を置き去りに、空の上、雲のかなたで向かい合っていた。


「ソナタが、かき回さねば、が主は、これほどまでに、面倒をかけられず済んだであろうに……そもそも異国の公主を招き入れたのが、間違いであったのだ……」


靑龍󠄂せいりゅうはそう言うと、蒼く輝くウロコを輝かせながら、桜姫に向かってくる。金属のこすれ合うような音がして、空の上では互いのウロコが飛び散り合い、とぐろを巻くように絡み合う。


 桜姫は、痛みに耐えながら、大きく口を開くと、桜色の稲妻を発しながら、靑龍󠄂せいりゅうの首元へ噛みついて、振り切ろうとした相手に、体中に爪を立てられて、血を流しながらもなお、きつく相手に稲妻の光を浴びせていた。桜姫は、おのれが倒れてしまえば、下にいる大切な、あの存在が、消えてしまうのが分かっていたから……。


「桜姫! 桜ひめ――!」


 空の上には、彼女を心配して叫ぶ“伍”の声は届かず、迫りくる鬼に取り囲まれていた彼が、ようやく、他のふたりと鬼の退治を終えて、目を凝らして空の上を見上げていると、螺鈿らでんの君を、つま弾く手を止めた天藍てんらんの君は、ことの前から“伍”そばへと優雅にやってくる。


 それから、おもむろに檜扇を取り出して、なにやら“呪”を唱え、彼女が開いた檜扇は、人を軽々と乗せられるほどに大きくなり、うながされるままに、そこに飛び乗った“伍”を乗せて、彼が望んだ、桜姫のいる空の上へと上がって行った。


「桜姫! 桜姫!?」


 空に上がった“伍”は、桜姫を探していたが、彼女の姿は見えず、あちらこちらには、蒼と桜色のウロコが飛び散り、漂うように、見渡す限りの雲の上には、血の海が近江おうみの海よりも広く感じるほどに、大きく広がっていた。


「桜姫……吾妹わぎもの君……愛おしいあなたはどこへ……」


 はらはらと血の海を見渡しながら、そう呟いていた“伍”が乗る檜扇が、なにやらごとりと傾いた。


「……じゃ……」

「え……?」


 “伍”は、自分が一番聞きたかった、あの偉そうで可愛らしい声が、うっすらと聞こえたような気がして、あたりをきょろきょろと見回すが、なにも見えずに困った顔で、立ち尽くしていると、また、小さな声が聞こえる。


「そなたが踏みつけにしておる檜扇の下じゃ! なにが愛おしい吾妹わぎもの君ぞ! さっさと助けぬか!」

「さ、桜姫!?」


 急いで彼が檜扇に乗ったまま、少し下をのぞいて見ると、傷だらけではあるが、ちゃんといつもの桜色の髪をした、小さな姫君が、ボロボロの十二単を着たまま、こちらを睨んでいたのであった。

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