第三十八話

〈 真白の神が住むやかた 〉


 真白の神は、相変わらずなにも見えぬ「桜姫の龍球」を手に、寝殿の中で褥から外に出て、朝の支度をすませると、やはり部屋の隅に座っている、死神を無視して、ゆっくりとくつろいでいた。


 そこに、春の色目、紅色の下重ねに、うすく下地の見える白の絹地、八重紅梅やえこうはいを織り込んだ、桜襲さくらがさね裳唐衣姿もからぎぬすがた十二単じゅうにひとえを身にまとい、銀の糸の刺しゅうの入った長く白い絹地で織られたを引いていた紅姫が、膳を運ぶ女房たちを率いて現れる。


「朝餉をお持ち致しました……」

「おうおう、紅姫、すっかり元気そうではないか、さすがは雷公の娘、黄泉がえりの前よりも、うつくしゅうなったのではないか?」

「もったいなき、お言葉にございます……」


 最上位山崎紅姫天王さいじょういやまさきべにひめてんのうは、先日のことなど、おくびにも出さず、朝餉の膳の隅に、真白の神が好む篠栗ささぐりと呼ばれる栗と餡を包んで、竹皮で蒸した菓子を、そっと小さな白い皿に乗せていた。


「これは、篠栗ささぐりではないか! 季節外れであるのに、よく手に入ったのう!」

「わが使いである白狐たちからの珍しき供物、先日届きましたゆえ、まずにと持って詣りました」

「そなたの神使どもがのう……」


 真白の神は、少し考えてから、包んである竹皮を開くと、篠栗ささぐりの菓子を半分に割り、ぞくりとした視線を紅姫に送ると、その美しい顔の紅を引いた口へ、手にした篠栗ささぐりを差し出していた。


「???」

「お裾分けじゃ……」

「まあ、お優しい……」


 紅姫は、口元に差し出された篠栗ささぐりの菓子を、上品に手を覆う袖で受け止め、口の中へと運ぶ。袖口から手を出すなど、身分高き者のすることではないので、その光景は誠に美しく、真白の神も満足そうに、おいしそうにほほ笑んでいる紅姫を見てから、おのれの前にある篠栗ささぐりに手を伸ばしたそのときであった。


 ゆらりと彼の前にある竹皮に乗る篠栗ささぐりが、膳ごとふらりと揺れたのは。


「酒も飲んではおらぬのに……」


 それが、彼の最後の言葉であった。そう、毒は、篠栗ささぐりではなく、それを包んでいた竹皮にあったのである。竹皮は、黄泉醜女よもつしこめが用意した物であった。黄泉国の怪物とも呼ばれる古き神の住む場所に生える、彼女の好物であるたけのこが育った竹から作った品であり、その力は、「祟り神」とはいえ、古の神々のちからが及ぶ、黄泉の力には、逆らうことが出来なかったのであった。


「どうかなさいましたか!?」

「は、早く雷公をお呼びし……きゃあっ!」


 そう、真白の神が、その力で持って、作り出していた、白く輝くやかたは、みるみると崩れ始め、あわてふためく女房たちも、ただの紙切れとなってゆく。


 美しい瞳に、どこかしら、悲し気な色を浮かべた紅姫は、なだれ込んできた神使、白狐たちの化身に命じて、他の主だった眷属たちが待つ『地獄の窯の中』へと、急いで真白の神を運ばせていた。


 運んでいる途中にも、ぴくと、彼の手が動き、紅姫は、自分の額の前髪を上げていた、平額という飾りの下に挿している櫛を、そこに留めていた釵子さいしと呼ばれる、金色のかんざしを抜くと、彼の首の後ろを深く刺し、そこから流れ出した血が、自分にまとわりついて、そこから爛れが広がるのも気にせずに、狐たちの化身と走り続ける。


 そしてなんとか彼を、『地獄の窯の中』へ運び入れ、窯の底に開いた穴へめがけて、眷属たちが彼を放り投げてから、上を見上げていた。


 そこには黒の束帯に、冠を、しかとかぶり、下重ねを長く引きながら、飾り太刀を下げて、手に杓を持って姿を現した雷公が、はじめてこの地獄の窯へと降りてくる姿があった。


 そして彼は、あのとき、桜姫が“伍”を助けたときに唱えた、『ヒフミの祓詞はらえことば』を、同じように、に詠唱し、まだ信じられぬ……そんな様子で、彼を動けぬままに凝視する「真白の神」を、手にした杓を石帯せきたいのうしろに差して、おもむろに、の入った飾り太刀を抜くと、彼の首を落とす。


 そして真白の神を、崩れ行く体ごと、「窯の鋳掛」に使い、彼の眷属たちは、真白の神の力によって、地獄の窯の中へと、密に納まっていた悪しき魂たちを、次々と消滅させいた。


 長い争いのあと、火雷天気毒王からいてんきどくおうが、ぬるりとした血がしたたる猫丸を、一振りして血を払う頃、ようやく窯の中で起きた騒ぎは収束に向かっており、ことの顛末を告げるべく、雷公は心配げな顔で見送る、彼の眷属たちをあとに、結界へと足を向ける。


 その姿を見送ったのは、くだんの死神である。彼は、ニタリと笑うと、真白の神の魂を、嬉しそうに刈りとって、どこかへと消え去った。


 こうして、この世の摂理から外れた存在でしかない、それほどに美しかった、祟り神は、どの世界からも、死神が予言した通りに、姿を消したのであった。

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