第三十六話

 豆粒のような四君子しくんしのふたりは、食事のあと、やたらと眠る子ネコに、構いたがって、騒いでいた。


「つ、つっついてもいいかな?」

「かわいいな……」

「おやめなさい。眠っているのに、かわいそうでしょう?」


 天藍てんらんの君に、やさしくとがめられて、「また明日にしよう」「そうしよう」と、自分たちの部屋(漆塗りの笛の箱)へと帰ってゆき、陰陽師たちは、雲行きが怪しいので、念のためにと龍頭鷁首りょうとうげきしゅを繋ぐ綱を、葉の生い茂った大木の高い位置に、しっかりと結んでから、それぞれ分かれて、交代で眠りについていた。


 その日の真夜中、“弐”が、なにやらパラパラした音に目覚めると、見張りをしていたはずの“四”は、案の定というか、気絶するように眠っている。


「おいっ! 夜に弱いから……って、弱すぎるだろうが!? 普通起きるだろう!? この大雨に強風、そして落雷! なぜ、起きないんだ!?」


 そう、彼らが知らぬ間に、雨はどんどん勢いが増し、高い位置に結んだはずの綱は、すでに大木をひっぱるようになっており、すっかり水かさが増えて、周囲を覆っていたあしの姿すら、広がりゆく、近江おうみの海に飲み込まれていた。


 彼らが流されなかったのは、大木がずばぬけて高くそびえている上に、案外頑丈であったことと、ほんのちょっぴり、龍頭鷁首りょうとうげきしゅが、水から浮いているので、そう大木に負担がなかったおかげである。


「いやはや、大木のお陰で助かったけど……背が高いだけあって、落雷が怖いような……」


 「龍」の方に乗っていた、“四”には、“壱”のその言葉は、聞こえていなかった。なぜならば、「げき」はすでに、綱がしっかり締まっていなかったのか、どんぶらどんぶらと、近江おうみの海の中ほどに向かって、流れていたのであった。


 わずかに水から浮いているとはいえ、強い水の流れや風に引きずられていたのであった。


「龍」に乗っているのは“弐”“四”“伍”と桜姫に、螺鈿らでんの君、そして食料と雑貨。「げき」に乗っているのは“壱”“参”と天藍てんらんの君に、四君子しくんしのふたり、同じく食料と雑貨。そして真っ黒な子ネコであった。


「お――い、大丈夫かえ――!?」


 真っ黒な墨を流したような、近江おうみの海の方へ流れてゆく「げき」に向かって、起き出してきた桜姫が声を張り上げる。


「桜姫さま――龍神であるのなら、この雨、どうにかなりませんか――!?」

「え!?」


 流れてゆく「げき」に乗る天藍てんらんの君からは、当然と言えば当然、そんな声が帰って来ていた。桜姫に周囲の熱い視線が集まる。唇をとがらせて、しばらく大きな雨粒を見ていた桜姫が、なにか重い話でもするように、口を開いていた。


「ひとくちに龍神と言っても……そこはそれ“ほのお”と“水”に大体は分かれていて……それでその……」


 言いずらい!! そんな様子の彼女を見つめていた“弐”は、ため息をついてから、心の中に浮かんだ言葉を素直にぶちまけていた。


「よし分かった! だから内裏が燃えたとき、桜姫は役立たずだったんだ! 水出せないんだ! この癇癪かんしゃく持ちにはほのおが似合うもんな!」

「しっ、失礼であるぞ! 少しくらいなら、水もどうにでもできるわ! この無礼者!」

「本当に? ひょっとして、癇癪かんしゃくを起こして、内裏を燃やした犯人は……」

「燃やしておらぬわ! とにかく、もう船はあきらめよ! わらわが、みなを乗せてやる!」


 桜姫は、とんだ濡れ衣を、着せられようとしていたが、まだまだ続く大雨と数々の災難に、それどころではないと、さすがに思い、本来の巨大な龍の姿になると、先に「龍」の船に乗っていた“弐”“四”“伍”と螺鈿らでんの君を乗せる。


 それからすぐに、闇に飲み込まれそうにも見えた「げき」へ近づくと、“壱”“参”に、天藍てんらんの君に、四君子しくんしのふたり、真っ黒な子ネコを背中に乗せて、「しっかり捕まって置け」そう言うと、ぐんぐん空高く舞い上がり、やがて雨雲すら潜り抜け、ほっかりと月の浮かぶ明るい夜空へと、なんとかたどり着いていた。


 陰陽師たちは、目を丸くして、周囲を見渡す。“弐”が大声で桜姫に叫んでいた。


「雨が降ってない!」

「雲の上は、雨は降らぬ。雨は雲から落ちている故な……」


 月明かりに照らされて、深緋こきひ色のウロコに光を反射させながら、桜姫は、深緋色の瞳に金の光を宿し、ゆうゆうと空をゆく。


「へ――おっと、あぶない!」

「にゃ――」


 落ちそうになった子ネコを、いきなり人の大きさに変化した天藍てんらんの君は、素早く抱きかかえて、子ネコは無事であったが、桜姫は、「なにやら急に、背中が重くなった……はて?」などと思いながら、とりあえず下界の雲の色が分かる翌朝まで、極力、移動を避けながら、ぐるぐると、雲の上を飛んでいた。


「比叡山のあたりまで連れて行ってくれません?」

「…………」


 こちらは、眠さで背中からずり落ちそうになる“四”を抱えた“壱”は、腕の力が持たないと、そんなことを言っていたが、桜姫が、「暗すぎて比叡山の方角が分からない」そんなことを言い出したので、目を閉じてしばし考えてから、彼女に方角を指示していた。


「やれやれ、ひどい目にあった……」

「みな無事であるか?」


 明け方近く、一行は、どうにか雨の上がった山のふもとにいた。山の名前は「都史陀山としださん生駒山いこまやま」という。


「少し間違えていたか……」

寳山寺ほうざんじで確かめて来たので、間違いありません……」

「わ、わらわのせいではないぞ!?」

「今回はそうですね……」

「す、少しだけ寝かせてくれ……いまから比叡山はキツイ……」


 今回の桜姫の言葉には、さすがに誰も文句を言うものはなく、小さな姫君にもどった桜姫は“伍”が下げていたカゴに潜り込むと、すやすやと眠りだし、いつの間にか、黒い子猫はいなくなっていた。

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