第三十四話

 それからは責任のなすり合い、見苦しいばかりの泥仕合がはじまり、その光景は、延々と続いていたが、疲れ切った彼らは、とりあえず、「比叡山に行ってみるか?」そんな風に話はまとまって、そうと決まればとばかりに、全員は旅支度をはじめ……


 と言っても、桜姫たちは、基本、運んでもらうつもりであったので、ほどよきカゴや箱を探していただけであるが。やがて数日後、龍頭鷁首りょうとうげきしゅの二艘の船に、詰めるだけの荷物を積んで、彼らは悪目立ちも気にせずに、京の街中をあとにすると、比叡山に向かって出発していた。


***


「桜姫が乗せてくれれば……」


“弐”は、ふと、そんなことを口にしていたが、「そんなに早くつきたいなら、乗せてやってもよいが?」そんな風に暗い声でカゴの中から返事を返されると、「近江国おうみのくにって、温泉あったっけ? ゆっくりと名所めぐりをしてからでも、いいかもね……」なんて言い出し“参”と“四”は、「冥土のいい土産話かもな……」やはり暗い表情で、そんなことを考えていた。


「こう、ここに、近江おうみの海(琵琶湖)があって、その下の方……」

「ふんふん」


 休憩の間、桜姫は、カゴから出てくると、龍頭鷁首りょうとうげきしゅの縁に腰かけていた、螺鈿の君たちと一緒に“壱”が、そのあたりに転がっていた木の枝で、地面にガリガリと書いた、琵琶に似た「近江おうみの海」とやらは、本当に琵琶の形に似ている」と言いながら、その左下あたりに置かれた石を見て、「このあたりにあるのが比叡山!」「なるほど、近江おうみの海とやらは、かなり大きいのう」などと話をしながら、「比叡山の鬼門を、どうやって閉めてしまうか?」そんな真面目な話をしている陰陽師たちをよそに、「そこにはと呼ばれる美味い魚が、ウヨウヨ……」「まあ、お詳しい……」「ウワサで聞いた……」桜姫は、そんな様子で、とぼけていたが、知らないはずはなかったのである。


 その神社には、天龍八部衆てんりゅうはちぶしゅうに所属する黒龍大神がまつられていて、島自体が龍神の御神体、そのような神社があったので、もちろん龍神を称する桜姫が知らぬはずはなかった。

 彼女が暗かったのには、そこにまつわる、もうひとつ訳があったからである。


「…………」


『いまからでも遅くはない。わらわひとりだけでも、どこか遠くへ逃げて……』


「桜姫さま、いかがなさいましたか?」

「えっ!? べ、別になんでもない! あの、その、ひ、比叡山にゆくなら、近江おうみの海とやらを避けて、わらわが……ひとっ飛びしてもよいぞ? 急いだ方が――よい気もしてきた……」

「はい……?」

「な、なんなら、龍頭鷁首りょうとうげきしゅも、わらわの見事なしっぽに括り付けて、運んでやってもかまわぬ」


「…………挙動不審。まだなにか隠しているな?」


“伍”が相手ではあるが、妙に親切なことを言い出した桜姫に、“六”は怪しみを隠せずに、そんな言葉をぽろりとはいていた。


 そして、そんな“六”の言葉は、大当たりだったのである。


 桜姫こと長公主“   ”は、この日の元にある国へ潜り込む、もとい、入国するにあたり、紹介状が必要と言われてしまい、大慌てで周りの気配を探り、「同じ龍神仲間ではないか? 実は、わらわは、あ――で、こ――で、この国のたみを少しでも、どうのこうの……」そんな、実に殊勝なことを言って、近江おうみの海に住む、黒龍大神の姫君の涙を誘い、彼女を大絶賛する推薦状を手に入れて、()@の定めの会(会議)に提出し、難陀竜王なんだりゅうおうの後押しを受け、無事に「許可」を取ってからというもの、世話になった彼や彼女に、季節の挨拶ひとつもせずに、「自堕落ここに極まれり!」そんな様子で、深緋こきひの中で、ぐうたらしていたのであった。


 額に浮かぶ梵字、「ナウ」は、難陀竜王の御印であり、彼女が、この国で暮らす正当性の証明であった。


「おや? おやおやおや? そこにいるのは、あのときの、やんごとなき、素晴らしい心根をお持ちの、長公主さまでは、ございませぬか?」

「ひ、ひさしいのう……」


『ちっ! 目ざとい女だ……。さっそく見つかったらしい』


 桜姫は、暗雲が垂れ込めだした空から舞い降りる、優美な黒い龍が、人の姿に変化して舞い降りてくるのを、やや、忌々しげに見上げていた。焼けただれた半顔でありながら、ひと際に美しい龍女であった。


「あれ? そなた、その顔はいかがした……?」

「はっ、白々しいにもほどがある。あの日、比叡山の鬼門が焼け落ちたとき、わらわは、火を沈めようと、かの地に向かい……あの祟り神にしてやられたわ……」

「あの神?」

「真白の神である。そなたと深い仲なのであろう? では、ウワサになっているそうであるが……?」


『美しく白い神……あの、真白の神に、してやられたわ!』


 長い黒髪の龍女は、静かな怒りを、彼の身代わりとばかりに、桜姫に向けていた。


「ご、誤解! それは、誤解である! 確かに不義理はいたしておったが、わらわは、この地になじめずに、暗い槍の中で痛みに耐えながら、じっと、この国の空気になじむまで、すくんでおったのじゃ! 真白の神の妄言に騙されてはならぬ! あやつは、勝手に言い寄ってきているだけである! ほれ、そのあかしに、額の文字も消えておらぬではないか!?」

「…………」


『額のあれ、入国のだったのか……』


 周囲を取り巻いている陰陽師たちは、まだまだ、自分たちの知らない世界があるんだなと思いながら、関係ないことには、首を突っ込まないでおこう。

 そう決めて“伍”以外は、異国の龍神であるらしい、桜姫の心配もせずに、龍頭鷁首りょうとうげきしゅから、乾し飯を取り出すと、見物人よろしく、船の縁に腰掛けて、ふたりがどうなるか、見守っていた。


「水ある?」

「そこにあるけど、桜姫に浄化がもらわないと、少し危ういかもね……腹に気をつけろよ?」

「えっ!? あっ! 桜姫、頑張れ! 無実を証明するんだ!」


ノドが乾いた彼らは、急に彼女を応援していた。現金な話である。

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