第三十三話

〈 京・蔵人所の別当のやかた 〉


「牛車に乗り降りするのも、めんどくさい……」


 蔵人所の別当に呼び出され、そんなことを言う桜姫は、「わらわ、まだ乗ったことがないゆえ、龍頭鷁首りょうとうげきしゅ(道に浮かぶ船)を出してくれ」そんなことを言って、しばらくごねていたが、「あれは悪目立ちしますから……なんとか、ここはひとつ……」そんな風に“伍”に説得されると、しぶしぶ、いつものように、彼が下げるカゴの中に入り、別当のやかたへ、一緒にやって来ていた。


 以前、内親王である女童めわらに追い回されて以来、「あのやかたには近づかぬ」桜姫は、そう決めていたのに。


「なにか朝廷から素敵な品が、桜姫に送られるそうですよ? 楽しみですね?」

「送ると言うならば、朝廷から使者を立てて、わらわに持ってくるのが筋であろうが……まったく、礼儀知らずもあったものじゃ……」

「そんなこと言わず……そうめんのお得意さまですし……」

「アイツに売っていたのか……たまには米も食べたいしのう……しかたない……」


 そんな、周囲を歩く人からは“伍”が独り言を、ブツブツ言いながら歩いている、やはり悪目立ちしている、不気味な光景ではあったが、とにかく久かたぶりに、桜姫は、蔵人所の別当のやかたに来ていた。


 ちなみに、この貴族の住む、広大な寝殿造りと呼ばれるやかたは、誰かれなしに建てて良いものではなく、「公卿」という地位を得てこそ建てられる建築物であり、「呪いのやかた」の存在は、特別扱いも特別扱いであったが、桜姫は、「そんなことわらわの知ったことではないわ」そんな風に、あたりまえのように、主人の住むべき寝殿で暮らしているのである。


 今日も今日とて、体は小さいが、態度はでかい。そんな姫君? であった。


***


〈 蔵人所の別当のやかた 〉


「え? なにかいま言った?」

「えっと……なにか聞こえました……っけ?」


 別当のやかたで、めずらしく女房のひとりもいない、寝殿の御簾内にある母屋に通されたふたりは、別当が言い出した無理難題に、そんな言葉を発していた。


「もう一度だけ言う。比叡山の鬼門を閉じて来て欲しい。いますぐ出発してな」

「この顔だけの腹黒男! 比叡山の鬼門は、坊主の仕事であろうが! どうして、わらわが関係あるというのじゃ! “伍”帰ろうぞ!」

「あ、はい……」


 脇息に持たれていた、直衣姿の別当は、黒漆塗りの烏帽子の乗った頭を少し傾げ、目を細めて、ひとことつぶやく。


「雷公……」

「え……?」


 すたりは、その言葉を聞いて、ぎごちなく動くのを止めていた。


「比叡山から、いや、そこら中の主だった寺という寺から使者がきてな」

「なんの使者かのう……?」


 嫌な予感しかしない……桜姫は、そう思いながら、用意された小さな畳の上で、別当をねめつけていた。


「おかしな話だと、一旦は預かったのではあるが、桜姫、そして真白陰陽師ましろのおんみょうじたちに、貸し出しているやかたに、先日確かに、雷公がいたと言うのだ」

「へ、へ――、み、見間違いでは?」

「そんなに沢山の坊主が見間違えるか?」

「…………」


 挙動が明らかにおかしいふたりを、別当は怜悧な顔に、苦笑を浮かべながら、「やはりな」そんな風に思い、手にしていた杓を、すいと桜姫に差し出し、顔をしかめた彼女が、杓の上に乗ったことを確かめてから、すいと、杓を上に上げ、目線の高さに姫君を持ち上げると、にっと不気味な笑みを浮かべ、話を続ける。


「不参(無断欠勤)どころの話ではないな……これが誠であるならば、雷公と組んで、内裏を焼失させたのは、そなたと真白陰陽師ましろのおんみょうじ一同ではないか? そんな話もある。で、あるならば、そなたらは天下に大逆を犯したとがで……」

「待て! 少し待て! 話せば分かる! そもそも雷公が来たのは、わらわに詫びを……」

「本当に来ていたのだな……」

「~~~~」


 桜姫は、引っかけられたことに気づき、顔を真っ赤にして、怒りのあまり絶句していたが“伍”は、すでに真っ青になっていた。


「え――っと、雷公が来たのは、来たのですが、それは、内裏の火事とは、なんら関係なく……」

「彼らが言うには、以前、火事のあとで、京でひとりの僧、比叡山で大量の僧が、雷公の一行によって、此岸こちらから彼岸あちらへと渡ってしまい、それどころか、三途の川へかかる橋が落ち、いまだ多くの亡者が、あちらこちらに漂い、よりによって、比叡山の鬼門を打ち壊されたので、被害は多くなるばかりらしい……」

「…………」

「それが真実であるならば……分かるな? 無用な疑いを晴らすべく、そなたらが比叡山へ出向き、鬼門を閉じてくるのが、必然であるということが?」


 そんな長い話のあと、やかたにいた命婦から“六”へ渡して欲しいと言われたふみを、ふところに入れ、とぼとぼとカゴを持って道を歩く“伍”に、桜姫は声をかけてみる。


「“伍”よ、これから帰ったら、わらわが背中に乗せてやってもよいゆえに、鉢を持って、どこか遠い山の中にでも、分け入って、のんびりと暮らそうではないか……わらわは、三位さんみくらいなど、はじめから、どうでもよいといえば、どうでもよいし、そなたらも、そもそも宙ぶらりん、どこぞへと言っても構わぬではないか……」

「そういう訳にも……桜姫は天の世界へでも行けましょうが、なにせ大逆罪、朝敵として、我らは、子々孫々にいたるまで、ずっと追いかけられますし……」

「そうか……わらわが、ずっと守ってやっても……まあでも、わらわも寿命がないのかと言われれば、いまとなっては自信がないゆえ、そんな訳にも、ゆかぬかもしれぬしのう……」


 ふたりは、ひょっとして、あのときの「真白の神」についた死神が、気を変えて、自分たちに、べっとりと引っついているのではないか? そんな暗い気持ちになりながら、自分たちの住む、呪いのやかたへと帰って、みなに事情を話していた。


「た、大逆罪……それは、なんとも……」

「でも、比叡山には、あまり関わりたくないというか、よく僧侶が、鬼門のある寺へ、我々を呼ぶ気になりましたね……」

「嫌じゃないのかな?」

「雷公のせいで、鬼門のある比叡山から、すべての僧侶は撤退して、里に降りているそうです……」

「ああそう……」


 六人と五匹?(四君子しくんしを含む)は、寝殿の真ん中にある「鉢」を囲み、長々と話をしていたが、結論は出ず、少しだけ「そうめん」が浮かぶ「鉢」には、全員の渋い顔が映り込んでいた。

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