第三十二話 小話

〈 不思議な巾着の話 〉


 これは、呪いのやかたに、雷公が来る少し前の話である。


「こ、これは、紅梅殿……い、いかがなされましたか?」

「しっ、静かに!」


 御殿飾りで眠っていた梅の花の女房は、頭の上の花を蕾にしたまま、いつもは眠っているはずの時間に、なぜか目が覚めると、ふらふらと、なにかに呼び出されるように、御殿飾りから出て、寝殿の簀子へと歩きだしていた。


 気がつくと、目の前には、「紅梅殿」と呼ばれる、すべての梅の花の精霊を統べる、雷公の眷属がいた。小さな小さな、梅の花の女房が逆らえる訳もなかった。


「あっ、あの、そのっ……」

「別に無理を言いに来たのではない。紅姫のことで、こっそりと礼をしにきたのだ」

「ああ、そうに……ございましたか……」


 梅の花の女房は、露骨にほっとした表情をしてから、神妙に紅梅殿の話を聞いていた。


「この粉を、毎日、金の巾着に入った餅に……」

「そうじゃ、いずれ必ずや雷公が、餅の入った金の巾着を持ってくる。礼には必ずお持ちになるゆえにな。そなたは、そこにこっそりと、この梅の花の粉で作った、まじないの粉を、残った餅にかけるのじゃ。さすれば餅はなくならず、そなたが使える龍の姫君も、さぞ、お喜びであろう?」

「ああ、それはそうでございますね!」

「紅姫からの奥ゆかしい礼である……」

「素晴らしい姫君で、あらっしゃいますね……」

「その通りである。意地汚いどこぞの龍神の姫とは格が違う」

「…………」


 小さな梅の花の女房は、真実であるので、なにも言い返せなかった。

 紅梅殿はそう言ってから、ひっそりと姿を消し、紅梅殿を見送った、小さな梅の花の女房は、渡された白い巾着を、なんとかかんとか引きずって、御殿飾りに戻ると、中にある塗籠ぬりごめと呼ばれる、寝殿造りには珍しい、普通は宝物などを保管する、壁で囲まれた部屋へ、白い巾着を、どんと隠し置いていた。

 普段は誰も出入りしないので、安心であった。


 やがて、いつか桜姫に、餅の入った金色の巾着が届いたら、毎日少しずつふりかけようと、毎日毎日、巾着の中に入った粉を覗いていたが、ようやく雷公が来たあの日、餅が入った金色の巾着を、御殿へ持ち帰った桜姫が、あまりの勢いで餅を食べているので、「中身がなくなっては、あの粉をふりかけても……」そんな風に、密かに、ひとりで気をもみながら心配していた。


 が、「少し休む……」桜姫がそう言って、餅の残った金色の巾着の側を離れ、几帳台の中で眠ったのを確認すると、彼女は、いまが絶好の機会と、他の女房に頼むわけにもゆかぬので、ひとりで必死に白い巾着を運び、なんとか、かんとか、粉を振りかけようとしていた、そのときであった。「やっぱり、もう一回食べる!」そんな声が聞こえ、あせった梅の花の女房が、白い巾着の中身を、すべて餅にかけてしまったのは……。


「残りの餅の数は、こんなに多かったかの? 少し粉っぽいような気も……?」

「き、気のせいでは? こ、粉は下に、た、溜まる物でございますし……」

「そうじゃな!」


 そうして、桜姫は腹の中に、「無限に増える粉」を一気に腹の中へと、入れてしまったのであった。


「最近、元気がないわね。どうかしたの?」

「えっ!? あっっ、いえ、姫君が早く、お、お元気にならないかと、ご体調が心配で……」


 桜姫が元気になったいま、小さな梅の花の女房の秘密は、誰も知らない……

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