第三十一話

〈 畏れと祟りの世界 〉


「自業自得ですな……」


 天の世界では、「そうめん神社」へ、お詫びのご挨拶から帰った雷公が、死神にべっとりと貼りつかれ、なんとかならぬのかと、ひとり騒いでいる真白の神に、冷たくそう言うと、娘の紅姫のこともあったので、真白の神は、しばらくの間、とんでもない量の仕事を、雷公からたてまつられていた。


『ここは暑いですね……』


「やかましいわっ! そちが引っついているから、よけいに暑苦しいのじゃ!」


 真白の神は、地獄の窯の中で、朝も昼もなく、死神に、べったりと、へばりつかれたまま、中にいる亡者や怪異どもを、中に収める儀式に、ひたすら追いまくられていた。


「はい、次、参りま――す」

「休憩もないのかっ!?」

「もうしわけございません……色々と立て込んでおりまして……」

「まだまだ先は長ごうございます……」


 真白の神の見張り……でもないと思うが、すぐそばでは、あまりの暑さに、狩衣のそでを、紐をたぐって、たすき掛けのようにした、「天ちゃん」と「松ちゃん」が、分厚い紙の束を持って、扇子片手に自分たちを扇ぎつつ、真っ赤に燃えた窯の中で、付き添っていたのである。


龍頭鷁首りょうとうげきしゅまで、盗まれたんだって?」

「お気に入りだったのに……いい気味だな……」

「まあな……」


 ふたりの小声は、忙しい真白の神には、聞こえてはいなかった。


***


〈 京・呪いのやかた 〉


 その日の夜中、寝殿の牛車を引く牛を入れておくための場所には、例の龍頭鷁首りょうとうげきしゅが繋がれ、やかたは静まり返っていた。


 寝殿の御殿飾りの前以外は……。


「長公主さまに、娘になりかわって、ここに御礼を奉ります……」

「雷公か……ふん、礼を言われることなど、わらわはしておらぬわ。だいたい、そなたが、まるで赤子のように、あやつを甘やかすから、紅姫が、あんな目にあうのじゃ……そなた一体なにを考えておる? 眷属の数、持ち合わせた力、すべてにおいて、そなたがまさっておろう?」

「しかしながら、我はあくまで臣下、帝をいただいてこその存在……」

「そなた、まだ、この世の未練を……帝に見捨てられた未練を、天の世界で晴らすつもりなのか?」

「上に立つべき立場を投げ出した、そんなあなたさまには、理解できぬ話で……ございましょうな……」

「理解したくもないわ! 紅姫の幸せ、おのれのために命を失った、いまもなお、そなたにすべてを捧げる、けなげな娘のことも考えられぬ、の考えなどな……」


 寝殿の前に広がる暗がりには、桜姫が言う通り、主だった眷属だけであろうが、それでも数十、いや、数百はいるであろうか、そんな数の彼の眷属が、敷き詰められた玉砂利の上で、顔も上げずに膝まずいていたが、雷公を「」そう呼ばわった声と共に、びくりと身じろぎをしていた。


 夜空に浮かんでいた月は、いつしか黒い雲がたれこめて顔を隠し、雷公自身がまとう、稲妻色の淡い光と、桜姫が、彼を威嚇するように出している、桜色の小さな稲妻が、パチパチ音を立てながら、放つ光に覆われている。


 その頃になると、ようやくやかたに住む、真白陰陽師ましろのおんみょうじたちや、蔵で眠っていた、螺鈿らでんの君たちも、いつもとは違う表情で、重苦しい空気が立ち込めるその場へ顔を出していた。


 雷公は、重々しく口を開く。


「ひかえよ……争いに来た訳ではない。桜姫、いや、長公主さま、失礼をお許しくださいませ……本日は、あくまでも紅姫の、我が娘の御礼をしに参っただけ……次は分かりませぬが……」

「礼がこれではのう……まあ、あの、龍頭鷁首りょうとうげきしゅで、此度こたびは手を打ってやろう。はよう去ね。わらわは眠い……」

「は……」


 周囲に緊張が走る中、御殿飾りの中へと戻った桜姫を、こうべを垂れて見送った雷公は、目で自分の眷属に合図すると、また、「百の神の夜行」そのような行列が浮かぶ空へ舞い上がり、紅姫の待つ牛車に入ってゆく。


「父君……」

「よい、紅姫。すべては我の不徳……許せ……」

「いえ、わたくしは、なにがあろうとも、父君を信じております……」

「…………」


 そういう紅姫は、まるで地獄の業火を思わせる緋色を基調にした、唐衣からぎぬ十二単じゅうにひとえを身にまとい、牛車の中で大人しく座っていたが、先程なぜ呪いのやかたに、顔を出さなかったのかといえば、まだ完全に傷は癒えておらず、はじめて“伍”に出会ったあのときのように、少し足を引きずる、そんな状態であったのだ。


「用事は終わった。早く戻ろうぞ……」

「はい……」


 牛車の横についていた老松が合図を送り、眷属たちは、雷公を囲むように、すべてが空へ上がると、ふつりと姿を消していた。


 翌朝、遅くなっても桜姫は、御殿飾りの中にこもったまま姿を見せず、「ほ——ら、炊き立てのご飯ですよ——」そんな風に“弐”が、炊き立てのご飯の入った、お櫃を扇子で扇いで、香りを送っても、顔を出さなかった。


「中でしなびて……はかなくなっていたりして……」

「縁起でもないことを言わないでください!」


“弐”の言葉に、声を荒げて反応した“伍”であったが、それでも、かなりおかしいと、心配になり、そっと御殿飾りの屋根を外してみると……桜姫は見あたらず、中で金色の巾着が、桜姫の声で、「うんうん」うなっていた。


「う——ん、もう無理じゃ、もう餡はしばらく見たくもない……」

「さ、桜姫!?」


 桜姫は、昨夜、雷公が置いて帰った、無限に湧き出るかのような、「梅ヶ枝餅うめがえもち」と呼ばれる、中に餡が入った焼き餅が入った金色の巾着を、いじきたなく、ひとりで食べようと、御殿飾りの中に隠し持ち、一晩中、食べ続けて、起き上がれなくなって、ついには巾着の下敷きになっていたのである。


「意地汚い……」


“六”はそう言うと、なにか汚い物でも触るように、金色の巾着を持ち上げて“弐”に投げ渡し“弐”といえば、「よし分かった!」そんな顔で、巾着を持って、京の市場へと走って消えていた。


「そ、それは、わらわの巾着……」

「きっと毒でも入っていたのかもな……」

「え……?」

「考えて見ろ、お前が腹いっぱいで、倒れたことなんて、いままであったか?」

「あ……そういえば……」


 桜姫は、ぞっとした顔をして、「もうでも、沢山、食べちゃった……」そんなことを考えて、起き上がれないまま、泣きそうな顔をしていたが、それは普通、「ひとつで腹いっぱい」そんな、まじないがかかった品であったためで、特に害はない様子で、ひと月ほどの間、桜姫は、心配しながら絶食し、ひたすら、「そうめん」を、ひとのために増やしながら暮らしていたが、なにも起こらなかったのである。


「ああ驚いた……」

「これからは、むやみに人や神からもらった品を、ほいほいと食べてはいけませんよ?」


 桜姫はそんなことを言われながら、寝殿の簀子まで出て、高欄へ腰かけ、白湯を飲みながら、周囲にお説教されていた。


 やがて、ようやく空になった巾着を持って、いろいろな品を積んだ、龍頭鷁首りょうとうげきしゅを引いた“弐”が帰って来る。またすぐに事件は持ち込まれるのではあるが、とりあえず、そんな風に、やかたの中には、平和な空気がながれていた。


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