第三十話

“伍”は、桜姫の機嫌が直ったのを確かめてから、さりげなく、あのとき檜扇から出て来た死神と、真白の神が、あのあと、どうなったのか気になって、たずねてみる。


「あやつが消滅するまで、死神は永遠に、あやつに取り憑いていることであろう。人とは違い、神であるからこそ常に、死神が横にいるのが見えてしまう。うっとおしいこと、この上ないであろうが、あやつが自分で招き入れた結果じゃ……えっと、そう、、そういうことである……ふ、ふふふっ……」

「はあ……」


 楽し気に、そんなことを言っている桜姫に“伍”は、そんな風に、気の抜けた返事をしていた。


「なんじゃ? まさか、あの神にまで同情しておるのではなかろうな? しつこいから、まだまだ死なんぞ、真白の神は! ああ、うっとおしい!」

「いえ、気になっているのは、紅姫のことで……僕を、あそこに封じるためだけに、あのような苦しみを……」

「~~~~」

「うわっ! なにするんですかっ!?」


『ぺちんっ!』


 そんな音がしたかと思うと“伍”は、桜姫に餅を顔に投げられていた。


「命の恩人であるわらわには、餅ひとつで礼を済ませるのに、紅姫には随分と執心しておるのう!?」

「いえ、そんな訳ではっ!」


 騒ぎを聞いてやってきたらしき、四君子しくんしのふたりも、「この恩知らず!」「この大うつけ者!」などと騒いでいたが、桜姫は“伍”の性格を分かっていたので、ため息をついてから、ぼそぼそと彼に、紅姫を救うすべを教えていた。


「紅姫から預かっている“最後の願い”を使え。さすれば、すぐにでも、あの女は息を吹き返すであろう……」

「桜姫! ありがとうございます!」

「ふん! さっさと、どこぞで、最後の紅姫の願いを使ってこい。わらわは、大切な鉢を修繕するのに忙しいからの!」


 桜姫はそう言うと、ぱっくり割れた「鉢」の側へと近づいてゆき、餅を顔から剥がした“伍”は、彼女に聞いた通り、紅姫から預かっていた“最後の願い”で、紅姫の回復を願い、天の世界では、紅梅殿、そう呼ばれる雷公に仕えし眷属に、心配げに見守られていた紅姫が息を吹き返していた。


「最後の願いを、わらわのために使こうたのか……おろかな奴よ……」

「紅姫さま、ご本復、まことにおめでとうございます!」


 横で、はらはらと涙を流して、喜んでいる紅梅殿は、紅姫がいきなり回復したことに、一瞬驚いていたが、それが、あの役立たずの「御角みつの」の中に閉じ込められていた“伍”のお陰だと知ると、人の世界に身を降ろし、呪いのやかたへ近づくと、こっそりと、桜姫に仕える花の女房のひとり、「梅の精」を呼び出して、何かを手渡してから、また、ひっそりと帰って行った。


「おや? 季節外れの梅の香りが……」

「花の女房ではありませぬか?」

「ああ、そういえば……しかし、なぜ、わらわたちまで、この、おもしろおいしい“鉢”の修理を手伝わねばならぬのですか?」


 螺鈿らでんの君と、天藍てんらんの君は、蔵でゆっくりと眠っていたところを、桜姫に、文字通り叩き起こされて、蔵に持ち込まれた「鉢」の修繕を手伝わされていたのである。


 四君子しくんしのふたりは、大切な「作り直したそうめんとやら」が、流れて行ってしまわぬように、ひび割れた鉢の中を覗き込んで、見張っている。


「なおせそうですかね?」

「どうかな……あ、ひどい!」

「ひどくない……お前が下手だから……」


“伍”以外の陰陽師たちは、「鉢」が直り、そうめんが湧き出すまで、ときどき様子を覗きに行っては、囲碁をしたり、なにやかやと、それぞれ請け負った仕事をしていた。


 そして、その後“弐”が注文を取っていた、「大口予約のお客さま」とやらに、そうめんを運ぶのを、手伝わされていたのである。


一二三四五六七八九十ひふみよいむなやここのたり布瑠部ふるべ由良由良止ゆらゆらと……』


 祓詞はらえことばは、その日、一日中、桜姫が、そうめんを食べている間以外は、ずっと、やかたに響いていた。


「荷物を運ぶなら、その船を使ってもよいぞ?」

「え? 船? おわっ、う、浮いている!」


 桜姫は、例の、空に浮かんでいた寝殿にあった、龍頭鷁首りょうとうげきしゅと呼ばれる、赤、緑、そして金色で装飾された、二隻で一対、一隻の船首に「龍」の形、もう一隻に、「鷁・げき(想像上の大空を飛ぶ水鳥」の形の彫物のついた、空の池に浮かんでいた船を、行き掛けの駄賃とばかりに、桜姫は、あの世界からかっぱらい、もとい、持ち出していたのである。


 船は、地上においては、あまり高さは出ないが、「低く地面から浮かぶ船」ではあったので、呪いのやかたでは、以後、荷車の代わりに、使われることとなり、「やはり、あのやかたへは、近づいてはならぬ……」そんな話で、京は持ちきりになったという。


「これ便利だな!」


 色鮮やかに派手派手しい、龍頭鷁首りょうとうげきしゅは、もっぱら“弐”の買い物や、お使いに使われていたのである。

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