第二十二話

 桜姫を守るかのように、金色の大蛇は血溜まりに倒れながらも、松葉の武将を威嚇し“伍”が、残りのふたりと共に、手を尽くして彼女を死守していたが、劣勢は覆らず、やがて金色の大蛇は、ついに力尽きたのか、どさりと床に倒れ、血がどろどろと床に広がってゆく。


 やがて桜姫は、その血の中に浸ったまま、失い負けていた意識をうっすらと取り戻し、ぼんやりと目を開けていた。血で濁ったまなこには、いつものような高慢さも、可愛らしさもなく、ただ、「贄」を探す飢えた獣のような色が、浮かんでいるだけであった。


 血で染まる美しい十二単から、僅かにのぞく首筋に、淡い金色の光を放つウロコが、うっすらと浮かびだし、額に浮かんでいる「梵字」がみるみる、うすれてゆく。


 やがて、目の前にいる『すべての存在』を飲み込むがごとく、龍となった桜姫が巨大化してゆき、正気を失った彼女が、大きく息を吸い込んだその瞬間であった。


 それまで、松葉の武将と対峙していた“伍”が、彼女の側に駆け寄ると、まるで、なにが起きるのか、悟っていたように、かっと開かれた龍となりし桜姫の裂けゆく顔を、両手で包み込み、おのれの肩口に嚙みつかれても彼女を離さず、頭を抱き寄せ、耳元で優しくささやいていたのは。


「桜姫、桜姫、大丈夫、大丈夫です……あなたのことは、なにがあろうとも、きっと僕がこの真の名“   ”に誓って、お側で守っていますから……」

「…………」


 一旦は本性である姿に戻り、荒れ狂おうとしていた桜姫が、彼の言葉を聞いて、瞳を閉じ、浮かび上がっていた、淡い金色の光を放つウロコが消えかけ、代わりに額の「梵字」が再び浮かび、彼らが、松葉の武将に“伍”が切りかかられた、絶体絶命であったそのとき、この地を収める神の『御神体』にして、桜姫が無遠慮にも分け入った神山、その側にある大杉の御神木から、この地を収める神の化身、白蛇が、ゆらりと抜け出したかと思うと、一気に里へと下り、松葉の武将の前に現れでいた。


『国造りの神、この国の精霊ものを統すべり、災をなす精霊ものを鎮める我の御座を汚す、おそれを知らぬ悪しき精霊ものよ、いますぐにね……』


 白蛇から、神託である言葉が、終わるか終わらないか、その一瞬の間に、松葉の武将たちは、頭の上から、さらさらと呪術が溶けだしたように、砂のようになって、やがて風と共にどこかへと姿を消してゆく。


 それから白蛇は、金色の蛇に囲まれ、血まみれの“伍”の腕の中で、うつろな視線を向けている桜姫を見下ろすと、その虹色のまなこに、一瞬哀れみにも似た光を宿して、みなの身体に治癒の呪法をかけてから、「鉢」をひとつ残し、「そなたらも姫君を連れて、すぐに、この地を去るように……長居は許さんぞ」そう言い残し、また、ゆらりと姿を消していた。


「か、体が元に戻っている……いまのって……」

「しっ! “伍”口に出すんじゃない!」

「気が変わらないうちに、さっさと卵をお供えして帰るぞ!」

「卵……???」


 そうめん神社の神の化身が、「白蛇」だと言うことは、広く知られており、その蛇が宿るとされている大杉には、いつも「卵」が供えられているのであった。


「そういえば、鉢……これは、なんでしょうね?」

「さあな……とりあえず、お前が担いで帰れば?」

「ええ――重いんですよこれ?」


 気絶したままの桜姫を、「ヒフミの祓詞はらえことば」で、目覚めさせた彼らは、なんとか、かんとか、桜姫を小さくしてカゴに入れ、大杉に卵を供えてから、「事」の顛末を書き記したふみを、社務所に預けて“伍”は鉢を風呂敷に包んで背負い、まだ弱っている桜姫の入ったカゴを手に“弐”と“参”のふたりと一緒に、脱兎のごとく京へと戻って行ったのでした。


「もっと……もっと、ヒフミの祓詞はらえことばを……」

「そんなヒマないです! 自分で唱えていてください!」

「役立たず……」


 ヒフミの祓詞はらえことばとは、死者をも蘇生させられるという“呪”であった。


一二三四五六七八九十ひふみよいむなやここのたり布瑠部ふるべ由良由良止ゆらゆらと……“    ”ありがとう優しき陰陽師よ……』


***


〈 京・呪いのやかた 〉


「おや、随分早かったな……」


 “壱”がそう言いながら、三人と一匹? を出迎え“伍”が担いで来た「鉢」の秘密を“壱”が解き明かしたのは、それから数か月後“弐”が、「もう米がない!」と、騒ぎだしてから、数週間のあとであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る